『パン屋再襲撃』村上春樹 「真夜中に読みたい小説」
このnoteは、本の内容をまだその本を読んでない人に対してカッコよく語っている設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。
『パン屋再襲撃』村上春樹
【村上春樹の作品を語る上でのポイント】
①「春樹」と呼ぶ
②最近の長編作品を批判する
③自分を主人公へ寄せる
の3点です。
①に関して、どの分野でも通の人は名称を省略して呼びます。文学でもしかり。「春樹」と呼び捨てで語ることで、文学青年感1割り増しです。
②に関して、村上作品は初期は比較的短編が多く、いわゆるハルキストの中には、一定数短編至上主義者が存在します。そこに乗るとかっこいいです。
③作品に共通して、主人公は「聡明でお洒落で達観しててどこか憂鬱で、女にモテる」という特徴を持っています。その主人公に自分がどことなく似ていると認めさせることで、かっこいい人間であることと同義になります。
○以下会話
■夜に読むのに適した小説
「夜に読んで欲しい小説か。そうだな、そしたら村上春樹の『パン屋再襲撃』がオススメかな。この本は短編集で、6つの短編が載っているんだ。その6つの中でも、本のタイトルにもなってる『パン屋再襲撃』がとても良い作品なんだよ。街が寝静まった夜に、ベッドサイドのランプだけつけて読むのにぴったりの小説なんだ。
この作品は、「2週間ほど前に結婚したばかりの20代の夫婦が、猛烈な空腹感を解消するために、夜中にパン屋を襲撃してパンを奪う」という物語なんだよ。
村上春樹っぽい不思議な設定の小説で、新婚夫婦の親密感と夜中特有のワクワク感がとても良いんだよね。
簡単にあらすじを紹介するね。時代は1980年代。2週間前に結婚したばかりの、法律事務所に勤める「僕」と、デザインスクールで事務をしている妻の新婚夫婦が主役。仕事で忙しい日々を送る二人が、ある日の深夜二時に、突然堪え難い空腹を感じて目が覚めるところから物語が始まるんだ。
冷蔵庫にはまともな食べ物はなく、唯一あったビールを飲んでも二人の空腹は満たされないんだ。「僕」は、「『オズの魔法使い』にでてくる竜巻のような」空腹感を、夫婦で同時に味わうのは、よほど「特殊な飢餓」なんだと考えたんだ。
「僕」は、この空腹感はあの時と同じだと思って、かつてパン屋を襲撃したことを奥さんに話すんだ。「僕」は若い頃、「相棒」と一緒にパン屋を襲ってパンを大量に持って帰った経験があったんだ。襲ったといっても、クラシック好きなパン屋の店主が「ワグナーを一緒に聞いたら、好きなだけ持って行っていい」と言ったから、ナイフを振り回すことなくパンを貰えたんだよ。
この話を聞いた奥さんは、「空腹の原因はそれだわ。今すぐに私たちもパン屋を襲うのよ」と言って、真夜中の東京の街を中古のトヨタ・カローラに乗って、パン屋を襲いに行ったんだよ。
80年代のトヨタ・カローラ
だけどいくら東京でも、夜中の二時半に空いてるパン屋はなかったんだ。「僕」がもう帰ろうと言おうとすると、奥さんが「停めて!」と言うんだよ。シャッターをおろした店が二百メートルばかり並ぶ先に、マクドナルの明るい看板が見えたんだ。
「マクドナルドはパン屋じゃない」と「僕」が指摘すると、「パン屋のようなものよ」といって、マクドナルドに押し入るんだ。
妻は散弾銃を構えて「ビッグマックを三十個、テイクアウトで」と言うんだ。店長は「帳簿が面倒になるから、お金を余分にさしあげます。どこか別の店で注文して食べてもらえませんか。」と緊迫感の無いセリフを吐くんだよ。
それでも三十個のビッグマックを作ってもらって、余分にコーラを二つ頼んで、コーラのお金はちゃんと払って、店を出るんだ。
三十分ばかり車を走らせて、適当なビルの駐車場に車を停めて、二人は心ゆくまでハンバーガーを食べ、コーラを飲んだんだ。気づくと空腹感は消えていて、二人は静かに眠ったんだ。
こんなお話なんだ。村上春樹っぽくて不思議で魅力的で面白いよね。
■「僕」より真剣な妻
何も考えずただ小説の空気感を味わうのも充分楽しいんだけど、一応『パン屋再襲撃』を読み解くポイントを3点紹介するね。
1つ目は、奥さんのチャーミングさ。「僕」がポロッと話した「パン屋襲撃」への食いつきが笑っちゃうくらい強いんだよ。
「僕」が奥さんに昔パン屋を襲撃したことを話すと、奥さんが「もう一回やるべきよ」ってノってくれて一緒に真夜中にパン屋を襲いに行くんだ。その時の奥さんの準備が物凄いんだよ。中古のトヨタ・カローラに乗って、午前二時半の東京の街をパン屋を求めて彷徨ってる時、奥さんは、
助手席に座って、道路の両側に肉食鳥のような鋭い視線を走らせていた。後部座席にはレミントンのオートマティック式の散弾銃が硬直した細長い魚のような格好で横たわり、妻の羽織ったウィンドブレーカーのポケットでは予備の散弾がじゃらじゃらという乾いた音を立てていた。<中略>どうして妻が散弾銃を所有したりしていたのか、僕には見当もつかなかった。
道端で肩がぶつかってノリで喧嘩売ったら、相手がプロボクサーだったみたいな話だよね。パン屋を探す途中に、二度パトカーとすれ違った時も、
僕はそのたびにわきの下に汗がにじんだが、妻はそんなものには目もくれず、一心にパン屋の姿を探し求めていた。
「僕」が何気なく言った「パン屋の襲撃」に、「僕」以上に真剣になってる奥さんの様子がわかるよね。とてもキュート。そして、マクドナルドに乗り込む時も、
妻は何も言わずにコンパートメントを開けて布製の粘着テープをとりだし、それを手に車をおりた。<中略>妻は車の前部にしゃがみこむと、粘着テープを適当な長さに切ってナンバー・プレートに貼り付け、番号が読みとれないようにした。それから後部にまわって、そちらのプレートも同じように隠した。とても手馴れた手つきだった。僕はぼんやりとつっ立ったまま彼女の作業を見つめていた。
この用意周到さと熟練度、確実に何か経験があるよね。もし僕が「僕」だったら、「プロじゃん!経験者じゃん!」ってめちゃくちゃ笑っちゃうと思う。これまで発見できていなかった奥さんの新たな側面をみつけられて嬉しくなるよね。
夜中にパン屋を襲撃するのは極端な例だけど、端から見て意味のわからない非合理的な行動を、一緒になって真剣に楽しんでくれる恋人ってとても素敵だよね。
■マクドナルドという資本主義の象徴を襲う
2つ目は、資本主義への抵抗。
作中にも出てくるけど、この『パン屋再襲撃』という小説は、『パン屋襲撃』という短編小説の続きのお話なんだ。
主人公の「僕」は、まる2日間水しか飲んでいなくて、お腹が空いてしょうがなかったから、当時の「相棒」と二人でパン屋を襲ったんだ。それが『パン屋襲撃』。そのパン屋は、共産党員の50代の男が経営するパン屋だったんだ。パンを奪おうとしたんだけど、パン屋の男が「ワグナーを一緒に聞いてくれたら好きなだけ食べて良い」と言ったから、大人しくワグナーのレコードを聞いて、パンをもらうという話なんだ。これまた不思議な設定だよね。
ざっくり言うと、1作目の『パン屋襲撃』は「社会主義っぽい」、続編の『パン屋再襲撃』は「反資本主義っぽい」小説なんだよ。
『パン屋襲撃』の主人公「僕」は社会主義的な価値観を持っているんだ。まず、そもそもまる2日間水しか飲んでいない状態だったのは、「働きたくなんてなかったから」と言う理由からくるもので、労働の対価でお金を稼いで食べ物を買うという価値観に抵抗しているんだ。パン屋の男にワグナーを聞いた見返りにパンをあげると提案された時も、「曲を聞くことは実質的な労働ではない」と考えてから承諾したんだよ。
一方、少し大人になった「僕」は、『パン屋再襲撃』で法律事務所に勤務するという労働への妥協をみせながらも、資本主義の象徴ともいえるマクドナルドを襲撃するんだ。
『パン屋再襲撃』が書かれたのは、1985年。ちょうど社会主義圏が崩壊し始める時で、資本主義の波が世界を一気に覆い始めた時代なんだ。今じゃ当たり前になってる「チェーン店」も、その頃アメリカから世界に広がったんだよ。
チェーン店、資本主義の代表格と言えばやっぱりマクドナルドだよね。小説のなかでは、マクドナルドに押し入った時
「ようこそマクドナルドへ」とマクドナルド帽をかぶったカウンターの女の子がマクドナルド的な微笑を浮かべて僕に言った。<中略>カウンターの女の子は突然スキー・マスクをかぶった我々の姿を唖然とした表情で眺めた。そのような状況についての対応は”マクドナルド接客マニュアル”のどこにも書かれていないのだ。彼女は「ようこそマクドナルドへ」の次をつづけようとしたが、口がこわばって言葉はうまく出てこないようだった。しかしそれでも、営業用の微笑だけは明け方の三日月のように唇の端のあたりに不安定にひっかかっていた。
と、チェーン店特有の「マニュアル対応」を強調しているんだ。
「僕」はこのマニュアル対応に対して「襲撃」という反マニュアル的な行動を取ることで、資本主義に抗おうとしているんだよ。まあ皮肉なことに、実際にはこういった「襲撃(強盗)への対処」もきちんとしたマニュアルがあるんだろうけどね。
3つ目のポイントにも重なるけれど、労働によって自由な時間が取れていない、資本主義に飲み込まれた新婚夫婦が、夜中に日常から脱け出して、マクドナルドという資本主義の象徴に反逆しているんだ。
そんな「資本主義への抵抗」がこの小説から読み取れるんだよ。
■襲撃を通して夫婦の絆を深める
3つ目は、空腹感の正体。主人公の「僕」とその奥さんのふたりは、夜中の二時前に「堪えがたいほどの空腹感」を覚えて、パン屋を襲撃することにしたよね。パン屋ではなくマクドナルドになったという当初の目的とズレた点はあるけれど、ハンバーガーを食べたことで空腹感をおさめることはできたんだ。
だけど、二人が感じた「空腹」は、お腹が空いたことによるものだけではないと思うんだ。あくまで僕の解釈だけど、二人の空腹は「夫婦としての実感」の欠如からきたものだと思うんだよ。
つまり、2週間ほど前に結婚した二人の、期待と不安と遠慮と疲れと愛が混じった、ふわふわとした地に足がついていない状態を「空腹」と表現してると思うんだ。
というのも、まず二人は空腹を満たすために冷蔵庫にあったビールを飲むんだ。
仕方なく我々は缶ビールを開けて飲んだ。玉葱を食べるよりはビールを飲む方がずっとましだったからだ。妻はビールをそれほど好まなかったので、僕は六本のうちの四本を飲み、彼女が残りの二本を飲むことになった。<中略>しかし残念ながら缶ビールもバター・クッキーも、空から見たシナイ半島のごとき茫漠とした我々の空腹には何の痕跡も遺さなかった。
僕自身お酒をあまり飲まないから尚更思うのかもしれないけれど、ビールってかなりお腹にたまるよね?缶ビールを4本も飲んだら、満腹感と酔いで充分満足すると思うけど、「茫漠とした我々の空腹には何の痕跡も遺さなかった」らしいんだ。つまり二人の空腹感は、何かを飲んだり食べたりすることで満たされるものではないんだ。
ここで改めて二人の新婚生活を見てみると、「僕」は法律事務所に勤めて、妻はデザインスクールで事務の仕事をして、生活は忙しく「立体的な洞窟のようにごたごたと混み入って」いたんだ。冷蔵庫に入ってるのは、フレンチ・ドレッシングと六本のビールとひからびた二個の玉葱とバターと脱臭剤だけ。二人の生活には、昼間仕事をして夜は寝て次の日また起きて仕事に行くという、生活リズムが固定化されてそこから抜け出せない不自由さがあるんだよ。
結婚して二人の間にはしっかり愛があるんだけれど、日々の業務に忙殺されてしまって、何か満足いく生活を送れていない感覚があったんだ。それが、「空腹感」として現れたんだよ。
そこで、「僕」がかつて若い頃にやったパン屋襲撃を、新しい「相棒」である妻とすることで、日々の生活から脱け出して空腹感という名の「心の飢え」を解消するんだ。
夜中に二人でいけないことを企んで、こっそり家を脱け出す。明日も仕事があるのに夜中に車を走らせている背徳感と、これから起きることへの期待と恐怖と、二人で親密な時間を共有している幸福感。この行為自体に意味があるんだよね。だから、例え最後にハンバーガーを食べなくても、二人の空腹感は朝日に照らされると同時に和らいでいったと思うんだ。
そしてこれがいわゆる「初めての共同作業」になって、悪いことを二人で行った「共同意識」も相まって、より強い結束力をもった夫婦になるんだよ。
戸籍上は夫婦になっても、何だか心がしっくりこなかった二人が、「パン屋再襲撃」によって、本当の夫婦になるんだ。
『パン屋再襲撃』は、こんな風に色んな読み取り方ができると思うから、自分なりの解釈を楽しめると思う。夜寝る前に、ベットサイドの灯りだけつけて読んでみて。きっと恋人にオススメしたくなると思うよ。」