『第2図書係補佐』又吉直樹 「こんな書評を書きたい」
このnoteは、本の内容をまだその本を読んでない人に対してカッコよく語っている設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。
『第2図書係補佐』又吉直樹
【又吉直樹の作品を語る上でのポイント】
①言葉選びに注目する
②過剰なセンチメンタルさを指摘する
の2点です。
①に関して、又吉は『火花』が有名ですが、小説だけでなくエッセイ、俳句も書いています。その言葉選びが繊細で上手で、更に笑いの要素もあるので敵なしです。
②に関して、又吉さんの作品は、彼のセンチメンタルさが色濃く出てます。何をするにも人の目を過剰に意識して、人の目を意識する自分すら意識しているという、二重にも三重にもぐるぐるに巻かれた自意識から発される言葉が魅力的です。
○以下会話
■若手の頃の文章
「本が読みたくなる本か。そうだな、そしたら又吉直樹の『第2図書係補佐』がオススメかな。この本は、芸人で芥川賞作家の又吉直樹さんが約40冊の本を紹介するコラムをまとめたものなんだ。
元々このコラム自体は、渋谷にある無限大ホールという吉本の劇場に置く、フリーペーパーに連載していたんだよ。又吉さんがピースとして有名になったことで「それじゃあ、あの文章書籍化するか」となって、出版されたんだ。だからもし又吉さんが売れない芸人のままだったら、この文章も誰にも読まれないフリーペーパーのいちコラムのまま、忘れ去られていたんだ。こんなに面白い文章なのに、日の目を見ずに消えていってたなんて考えられないよ。
■実体験と小説
『第2図書係補佐』は、又吉さんによるいわゆる書評記事をまとめたもので、それぞれの本を自分の体験に落としこんで語っているのが特徴なんだ。
紹介してる本は、太宰治から村上龍、大江健三郎、西加奈子と、色んなジャンルがあるんだ。それぞれの小説に、コラムを書いていた当時の貧乏話や、サッカー少年だった高校時代のアホな話、不器用な恋愛エピソードを重ね合わせて語るんだよ。これがすごい面白いんだ。
小説というものは当然虚構の話なんだけど、又吉さんが実体験を関連づけて語ることで、その紹介された小説が生き生きしてくるんだよね。ただの作り話が、ひとりの人間の命を吹き込まれて動き出すかのようなんだ。
■絵画から家具に
『第2図書係補佐』は、小説との向き合い方を変えてくれるんだ。例えばノーベル文学賞を受賞した大江健三郎とか、同じくノーベル文学賞を受賞したフランス人のカミュの小説が紹介されているんだけど、こういった小説はどうしても読むのにハードルがあるよね。なんだか難しそうな印象を持ってしまう。だけど、又吉さんの語り口でこれらの小説を見ると、アクが抜けて身近なものに感じられるんだ。
こういった難しそうな小説は、そのとっつきにくさから、美術館に展示された絵画のような、一種の芸術品として見てしまうよね。もちろんそういった芸術的な側面もあるけれど、そもそも小説というものは、本来誰もが読めるように書かれたものなんだ。つまり額縁の中の絵画ではなく、家の中の家具なんだよ。
より美しく、より魅力的に作った家具も、人に使われて初めて価値が出るものだよね。どんなにアーティスティックでカッコ良いソファも、「これは座るために作られたものではありません」ってソファは、もはや家具ではないんだ。
誰もが使う言葉で表現された作品である以上、小説も家具と同じなんだ。どんなに美しい言葉でカッコ良いことを書いたとしても、それが読まれなかったら意味がないんだよ。難しい言葉が使われてるかもしれないけれど、決してそれらの小説は、読まれることを拒否していないんだ。
『第2図書係補佐』は、「小説は読まれるものだ」という当たり前のことを気づかせてくれるんだよ。難解な小説も、又吉さんが実体験に落とし込んで語ってくれることで、小説は鑑賞するものではなく、実生活で使っていくものなんだって分かるんだ。
これはきっと又吉さんが小さい頃から膨大な数の小説を読んできて、まさにリアルな生活のすぐ隣に小説がいたからこその、小説との距離感なんだろうね。
■暗いノートと自由律俳句
どの紹介文も素敵なんだけど、中でも僕が好きなのは『尾崎放哉全句集』の紹介文なんだ。尾崎放哉は、「咳をしても一人」や「いれものがない両手でうける」といった自由律俳句が有名な俳人のことで、彼の自由律俳句をまとめたのが『尾崎放哉全句集』なんだよ。
「初めて漫才のネタのようなものを作ったのは小学校に入る前だったので恐らく六歳の時だった。」という語り出しから紹介文が始まるんだ。
又吉さんは、父親の誕生日に漫才を披露して以来、常時ネタ帳をポケットに入れて持ち歩いてネタを書き留めていたんだよ。そしてネタ帳とは別に、やり場のない暗い感情を書きなぐるノートがあったんだ。ネタ帳に書かれた言葉は、漫才やコントとして人前で発表されていったけど、暗い方のノートは絶対に誰にも見せられない惨めな存在だったんだよ。
10代の頃に書いたノートを拡げると、「人間の生活のリズムは喜怒哀楽などさまざまな感情の起伏によって出来ているが、僕の生活のリズムは溜息と舌打ちによってのみ出来ている」と、あまりにも暗いことが書いてあったんだ。
それを「ネガティブな小学生」を題材にした漫才で「将来の夢を聞かれたらフッと鼻で笑う」とか「学級目標は『溜息と舌打ちが俺達のリズム』だ」って言ったら、案外お客さんが笑ってくれて、このノートも無駄ではなかったとようやく思えたんだ。
それ以降も、どうしようもない感情や、何故か切り取って保存したくなる風景などをノートに書き留めるようにしていた。だが、そのノートに書かれた言葉達はなかなか日の目を見る機会に恵まれなかった。それでも、書く行為は続けていた。
そんな時に尾崎放哉の自由律俳句に出会った。
咳をしても一人
墓の裏にまわる
あった、あったと思った。あいつらの居場所があったぞと思った。
これはおそらく日本で一番『尾崎放哉全句集』を読んでみたくなる紹介文だよね。実際に僕はこれを読んで買ってしまったよ。
こんな風に色んなジャンルの本が魅力たっぷりに紹介されているんだ。『第2図書係補佐』を読んだ後、きっとAmazonで本を頼んでる自分がいるよ。」
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