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『推し、燃ゆ』宇佐見りん 「推しは距離があるから良いのだ」

このnoteは、本の内容をまだその本を読んでない人に対してカッコよく語っている設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。

『推し、燃ゆ』宇佐見りん

○以下会話例

■平成生まれの作家

 「若者がハマりそうな小説か。そうだな、そしたら宇佐見りんの『推し、燃ゆ』がオススメかな。この小説は、2020年の下半期の芥川賞を受賞した作品で、作家の宇佐見りんさんは、21歳の現役大学生なんだ。才能溢れまくりだよね。僕はこれまで「三島由紀夫が16歳の時に書いた小説」とかは読んだことがあったけど、西暦も自分より年下の方が書いた小説はこれが初めてなんだ。何かジワッと感じるものがあるよね。

宇佐見さんは、デビュー作の『かか』が文藝賞を受賞して、2作目の今作が芥川賞を受賞したんだよ。実はこの文藝賞を同時に受賞したのは、2020年上半期に『破局』で芥川賞を受賞した遠野遥さんなんだ。彼もデビュー作の『改良』で文藝賞を受賞して、2作目で芥川賞を受賞したんだ。遠野さんはこの受賞で平成生まれ初の芥川賞作家となって、その半年後に宇佐見さんが芥川賞を受賞したんだよ。

文学の世界にも平成生まれが躍進していて、まさに二人は平成生まれの小説家を引っ張る存在になるんだろうね。僕も同じ平成生まれとして負けてらんないよ。

■推しは私の背骨

そんな宇佐見さんが書いた『推し、燃ゆ』は、これまであまり文学の中で扱われたことがなかった「推し」の文化を扱っているんだ。大体のあらすじだけ説明するね。

主人公は高校生のあかり。彼女は、おそらく適応障害か何かの病気を持っていて、周りの人が普通にできることがうまくできなかったんだ。身の回りの片付けとか、学校の宿題とか、居酒屋のアルバイトとか。いつも慌ててしまって小さなミスを重ねてしまうんだよ。そのミスを笑いに変えるほどの純粋さもなくて、生き辛い世界に自分の居場所を見いだせなかったんだ。

そんなある日、自分の部屋で体操着を探していると、ベットの下からほこりまみれのDVDを見つけるんだよ。DVDを再生すると、それは小学生の頃に観たピーターパンの舞台のDVDだったんだ。その時ピーターパンを演じていた上野真幸の瞳にただならぬものを感じて、あかりはこの人を推すことにしたんだよ。

上野真幸は現在、アイドルグループ「まざま座」のメンバーとして活躍していたんだ。ピーターパンを演じていた12歳の少年だった頃から、頬が落ちて落ち着いた雰囲気のある青年になっていたけど、何かを睨むような目つきは12歳の頃のものと変わっていなかったんだ。

あかりは、その推しをライブや映画やテレビで見ていると、体の奥底から莫大なエネルギーが噴き上がってくるのを感じられて、推しを推すことが生きがいになっていくんだよ。そして「推しは私の背骨」と言い切るほどになるんだ。

背骨になるほど生きるために必須となった推しが、ある日ファンを殴ってしまう、というところからこの物語は始まるんだ。炎上する推しと、不器用な日常と、あかりの行動に神経質になる母親と、適度な距離で接する姉と、全てをわかったように接する父親と、すり減る肉体。

背骨である推しが燃えている状態で、あかりは日常をどう生きるのか描いた作品なんだ。

『推し、燃ゆ』は絶賛売出し中の小説だから、ここで全部ネタバレすることはできないから、中身にはあまり触れずに3つのポイントで、作家宇佐見りんのすごさを説明するね。

■①書き出し②会話のテンポ③描写力

1点目は、書き出し。「小説は書き出しが命」と言われるほど、小説の書き出しは大切なんだ。そして『推し、燃ゆ』は書き出しが素晴らしいんだ。

推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。

どうですかこの書き出し。とても美しいよね。唐突に物語が始まっているのに、世界にグッと引き寄せられる。ここからどんな展開が待ち受けているのかある程度予想できて、期待感が高まるよ。

「推しが燃え」る、といういわゆるオタク用語を文頭に持ってくる大胆さが惚れ惚れする。そして「ファンを殴ったのだ。」ではなく「ファンを殴った“らしい”。」と、伝聞を使うところも、燃えるいわゆる炎上することの構造を表しているよね。

太宰治『走れメロス』の「メロスは激怒した。」の突発性と、川端康成『雪国』の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」の世界の拡張性という特徴の2つを合わせたかのような良さがあるよね。

「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。」名だたる文豪と並べても遜色ないよ。これは、文学史に残る書き出しだと思う。

2点目は、会話のテンポ。主人公のあかりと友達の成美との会話のテンポが、超若者っぽいんだよ。例えば、あかりが成美のスマホケースに入ってる写真を見つけた時の会話。

「チェキじゃん」と言うと「最高でしょ」、スタンプみたいな屈託のない笑顔が言った。<中略>
「どんだけ撮ったの」「十枚」「うわ、あ、でも一万円」「て考えると、でしょ」「安いわ、安かったわ」

気持ちを共有しながら喋るこの感じ。まるで手持ちのトランプから同時に同じ柄のカードを出し合うような喋り方。同じ価値観を持っててお互い理解しあっているからこそできる会話だよね。とても若者っぽくてすごく良い。上手。

3点目は、描写力。宇佐見さんは描写力がとても高いんだよ。まるで村上龍を思わせるような力強さがある。まず何より読んでみて欲しい。例えば、プールの授業を見学しているシーン。ちょっと長いけど引用するね。

入ってしまえば気にならないのに、タイルの上を流れてくる水はどこかぬるついている気がする。垢や日焼け止めなどではなく、もっと抽象的な、肉、のようなものが水に溶け出している。水は見学者の足許にまで打ち寄せた。<中略>
濡れて黒っぽくなった水着の群れは、やっぱりぬるついて見えた。銀の手すりやざらざらした黄色い縁に手をかけ上がってくるのが、重たそうな体を滑らせてステージに這い上がる水族館のショーのアシカやイルカやシャチを思わせる。あたしが重ねて持っているビート板をありがとねと言いながら次々に持っていく女の子たちの頬や二の腕から水が滴り落ち、かわいた淡い色合いのビート板に濃い染みをつくる。肉体は重い。

どうですか、これ。上手すぎだよね。「タイルの上を流れてくる水はどこかぬるついている」。僕自身、学校のプールは大好きで一度も見学に回ったことはないんだけど、見学者として暑いプールサイドで嫌にぬめっと光る水を眺めている気分になったよ。

他にもアルバイト先の居酒屋で、あちらこちらでやることが一杯一杯になって頭が混乱する場面とか物凄いリアルに伝わるんだ。是非実際に読んで確認して欲しい。

■推しは現代の神様

『推し、燃ゆ』には印象に残る文章が色々あるから、その一つをあげるね。それはあかりが「現実の男を見なきゃ」とバイト先のお客さんに言われて、現実の男よりもアイドルを推す良さを問うシーン。

相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。

僕は推しがいたことはないんだけど、この一連の文章で何故身の回りの人間との恋愛よりも、推しを推すのか分かった気がするんだ。

リアルな人間関係は、お互いがお互いを認識しあっているからこそ、日々の生活態度とか、容姿の変化とか、価値観の移り変わりで、自分のことを受け入れてくれなくなったり、相手のことを受け入れづらくなったりするよね。

例えば、急激に太ったり、莫大な借金を作ったり、警察のお世話になったりしたら、おそらく人と会いにくくなるよね。こんな極端じゃなくても、朝からイライラしてたり、化粧のノリが悪かったりしたら、なんとなく人に会いたくないと思うと思うんだ。

だけど、一方通行で距離が近づくことのない推しは、自分がどんな状態にあっても、何をしようとも、その関係性が壊れることはないんだよ。推しと自分には距離があって互いに無関係だから、どんな自分を見せても推しは昨日と変わらず微笑みかけてくれるんだ。

「そのへだたりぶんの優しさ」があるから、今日も安心して推しを推すことができて、推しから安らぎと充足感を味わえるんだよ。

へだたりがあることが重要なのだから、推しに接近して、推しと対等な関係を結びたい訳では決してないんだ。だから「アイドルに恋したって、脈がないから意味ないよ」なんて意見は論外なんだよ。脈がないことが安心材料になるんだ。

ここから考えると、推しは宗教における神様に近いよね。神様と対等な関係になりたいなんて決して思っていなくて、無条件に信仰して、信じることに意味があって、信じることで救われてる。

推しは、無宗教の日本人が生み出した、人それぞれの神様なのかもしれないね。」

▷『

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