甘えさせると甘やかすの違い
春休みに友達の子供たちと遊んでいて「甘えさせると甘やかすって何がどう違うんだろう?」と思ったんです。
これは長女を生んでから約10年ぐらいずっと考えていて、違いはもちろん区別できているんだけど、ハッキリとした言葉にできたことないな〜と気がついたので、ここに私の考えを書いてみます。
パッと思い浮かぶキーワードは
甘やかす
・良くないこと
・親主体
・お金がかかる
・過保護・過干渉
甘えさせる
・子供主体
・お金はかからないことが多い
・信頼関係を育む
何個かキーワードは出してみたものの、私の頭の中がまとまらなかったので、10年前に何周も読み漁った保育士おとーちゃんのブログをチェックしてみました。
フムフム_φ(・_・
仕切り直して、こちら。
⭐︎甘やかす
物理的金銭的な要求を受け入れ続け、自分の要求がすべて通ると勘違いをさせること。18世紀の思想家ルソーも「子どもを不幸にするいちばん確実な方法はいつでも、なんでも手に入れられるようにしてやることである」っていう名言を残しています。
継続し続けた結果、子供に主導権ごと持ってかれて、最終的には本人もコントロールできなくなり人格を損なうことがある。
親としたら最大限に気をつけたいところです。
⭐︎甘えさせる
子供の気持ちを受け入れること。
その後に大人が伝えるのがNoだとしても、一旦子供の主張を聞く大人の姿勢が大事です。ほんとうに面倒くさいんだけど、急がば回れってこういうことだと思っていて「私はあなたを無視するつもりはありません」っていう子供に対する非言語的メッセージです。
ここまで書いてみて
甘やかすと甘えさせるの違いは
①継続性がある
②お金がかかる
③誰かの都合(黙ってほしい、急いでほしい、など)が関係している
これで判断出来そうだなと考えました。
他人の子育てに私が口を出したりジャッジしたりする必要なんて全くないけど、
こっそり心で思ってるのは
失敗しても、やりなおせばいいじゃん。
継続じゃなかったら甘やかしではないし、月1のチートデーみたいに、子供の要求を呑むことで親子が楽しく過ごせるならそれはそれで良いんじゃないかな?
ちょっと油断すると子供にズルズル引っ張られて、月1だったはずが毎日になっちゃってることがあります。
「あれ?最近チートデー多くない?」って気がついたら、また戻したらいい。
甘やかさずに甘えさせるために
子供の気持ちを聞く、必要なら言語化するのを手伝う、大人がNoをしっかりと決めておくことが大事だと思います。
私の場合はこれ ↓↓
春休みに色んな子供と遊んだ結果、
他人の子供と信頼関係を築くためには甘えさせるのが手っ取り早いと思ってます!笑
他人の子供と信頼関係を築きたいのは、何かあったときに私の注意を聞いてもらうためでもあるし、どんな子供にも「この世界には親以外にも信頼できる大人が存在するんだよ」っていうことを知ってほしいからです。
それが幼児教育の大事なことで、彼らの次の成長につなげることが出来るとも信じています。
生活の主導権を子供に奪われるのは決して良くないけれど、幼児期に「素直に誰かに感情を出せること」は大事にしてほしいなと思います。
どの年齢の子供なのか、どういう家庭環境なのか、
どれぐらいのサイズの心のお皿を持っていて満たしてあげるのためにはどうすればいいのか、
全て考慮して子供と遊べるようになれたらいいなと思って幼児教育の勉強を始めました。
(本当はまだ山積みの教科書を眺めているだけ。笑)
「心のお皿」は誰も気にしてなさそうなんだけど、サイズが大きい子は親だけが頑張って満たそうとしても無理なぐらい大きくて本当に大変です。逆に小さくてすぐ満たされるパターンもあります。育てやすいとか育てにくいっていうのは確かにあって、差はこれだと思うんだよね〜。
もうすぐ小学1年生になる次女。
心が揺れる新学期、ちゃんと甘えさせてあげたいなと思っています。(頼むから、学校は行ってくれ)
甘やかすと甘えさせるの違いについて、
ここまで読んでくださった皆さんはどういう風に考えてますか?コメント欄で教えていただけるとうれしいです。
ではまた。