意外と奥が深い文章における 「、」 の使い方
「、」の使い方について半日以上考えた経験がある人はいるだろうか?
そう、あの句読点の片割れである「、」だ。
自分はいま全くの未経験から「SF小説家」になるべく格闘している。
その中で自分の作品を書きつつ、そもそもの地力を上げるべく小説の学校に通っている。
その小説の学校で先日、面白い授業があった。
読点「、」の使い方についてみっちり2時間考える授業である。
句読点の歴史は思ったよりも短い。実は句読点は「輸入品」だ。
句読点が本格的に一般の日本人が使うようになったのは、明治時代である。近代化のための西洋化の一貫として文部省が作成し学校教育で用いられた国語教科書「読本(とくほん)」には英語文章の翻訳が多く並んだ。そして、英語文章は多く存在するカンマやピリオドを日本語に直す際の実務上の理由から「、」と「。」という句読点が生まれたのである。
もちろん明治時代を待たずして江戸時代には一部の人は句読点を使っていた。「解体新書」の翻訳で知られる杉田玄白などはその一人だが、あくまで一部の翻訳家が使うのみで、記法も現在の「、」や「。」ではなくそれぞれのオリジナルのものが使われていた。
そんなわけで、「、」や「。」の使い方に日本語文法的なルールは存在しない。つまり、自由なのである。
授業の中でいくつかのクイズが出された。
以下の文章は原文から改行と「、」をなくしたものである。以下の文章を読んで改行や「、」が入る箇所を当てよう、という問題である。
みなさんもぜひ以下の文章を読んで考えてみてほしい。
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正解は、改行は「名前はまだない。」のあとに一箇所入るが「、」はゼロ。
おそらく多くの人は「、」を複数追加したのではないだろうか?
夏目漱石は読点を特別使わない作家というわけではない。
しかし、この文章においては、「猫」という非人間的な存在を際立たせるためにあえて「、」を使わなかったのだろう。
次に、以下はどうだろう。
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正解はこうなる。
おそらくここまで読点を打った人はいないだろう。
太宰も読点を特別多く使う作家というわけではない。
しかし、ここでは文章の中で「、」が不自然なくらい多くなっていくことで、主人公が完全に人間でなくなっていく様を完璧に表現できている。
ただの「、」だけでここまで豊かな表現ができる、という事実に私はいたく感動してしまった。
小説の勉強をすればするほど道のりの果てしなさに卒倒しそうになるが、めげずに修行していこうと思う。