また会おうね。
春はまだ遠い、と思わせるような、底冷えのする日。
飼い猫のメイが14歳と10ヶ月の生涯を終えて天に還った。
我が家の歴代猫で、最も人懐こくて愛嬌のある子だった。
出会いは2009年の6月。
梅雨入り間近の蒸し暑い夕方、勤め先の玄関で鳴いていた子猫。
それが、メイだ。
当時、我が家には、ふう太と言う白黒のオス猫がいて、狩りと喧嘩を繰り返しながら野山を駆け巡る、ワイルドな元野良が暮らしていた。
ムササビや鳩を狩るふう太に、手のひらサイズの子猫なんて見せたら、
「獲物認定!」された日には喰われるんじゃないか(怖)
そう思ったが、国道が職場裏手を走る場所で、はぐれてしまった親を探して車道に出たら一発アウトだ。
考えた末、職場にあった段ボール箱に子猫を入れて家に持ち帰った。
母と妹は仰天したが、とりあえず物置を片付けてそこに子猫の居場所を作った。
ふう太には見せないように、気を使った。
子猫はひどい猫風邪をひいていたが、病院の診察も受けてゴハンを沢山与えるとみるみる元気になり、瞳の大きな、可愛らしい猫に育っていった。
ふう太も、最初の「ご対面」は唸っていたが、愛嬌があって物怖じしない子猫の事は、さほど怒る事もなく受け入れてくれた。
名前は、妹がつけた。
大きさからして5月生まれと推定、5月=MAYから。
丸い顔と大きな鳴き声。メイは我が家のアイドルだった。
時々、咳をするようになって、年齢と共にそれは増えて行き、慢性肺疾患と言われてからは昼間も殆ど眠ってばかりだった。
父も同じ様な肺疾患で、最後は息苦しさに悩まされていたが、メイの様子を見て、改めて父の苦しみに気付かされた(今頃かい!)。
最後は、抗生剤の接種で呼吸困難は起こらずにゆっくりとした呼吸を続け、起き上がれなくなった数時間後、眠るように旅立った。
寝たきりになった朝、外せない用事があったのだが、大きな声で鳴いていたので、今日はまだ大丈夫だなと思い、2時間ほど外出したら、その間に旅立ってしまった。ふう太に続き、メイの臨終にも、私は立ち会えなかった。
愛情を注いだペットとの別れは、何度経験しても辛い。
ちょっと前まで生きていて、息をしていたのに。
時間の経過と共に冷たく、固くなっていく身体を撫でて、救えなかった生命を悔やみ、自分を責め、ごめんねを繰り返す。
何度も繰り返して来たのに、まるで初めて喪ったかのように哀しい。
多分、誰もがそう言う感覚を持つのだろう。
それを持て余し、昇華出来ぬまま、心の奥底に沈み込ませてしまう。
時々、それは浮き上がり、治りかけた傷は再び口を開け、心は血を流す。
ペットロスに効果的な「薬」は「時間」だ。
時の流れと共に、心の傷は癒えていく。
メイを保護する直前、私はシェパードのシータを喪った。
あまりの哀しみに、もう犬も猫も飼わない!
と決めた10日後に、メイを見つけた。
シータからの贈り物?
そんな事を考えながら、保護し育てたメイ。
今でもまだ、階段の踊り場で「にゃあ」と鳴いて顔を見せるような気がしてならない。
メイを保護した会社は2年前に退職し、それきり縁が切れているのだが、メイが亡くなった事で、会社と私を繋いでいたか細い一本の「縁」は、これで完全に切れた。
メイと寝起きを共にしていた母は、寝室のあらゆる猫グッズを片付けてしまい、我が母ながら実にきっぱりさっぱり「お別れ」したもんだなーと思っていたが、やはりここに来て、神経痛と言う形でペットロスの症状が出た。
咳込むメイを、夜中に起きて介抱したり、半日近く膝に乗せて撫でていたり、老老介護・猫版を長いこと続けた疲れが出たのかもしれない。
痛みは徐々に和らぎつつあるけれど、心と身体は一体なんだなとつくづく思う。
メイ亡きあと、残された猫たちはどうだったかと言うと、
旅立った直後は、なにやらソワソワしていて、半年遅く保護した同い年のモモは、誰もいない部屋の真ん中でニャーオ、ニャーオと鳴いている事が度々あった。コタロウはメイが居た場所をジッと見つめていたり、Q太は突然、何かに驚いたように庭に飛び出して遠くを見ていた。
猫には、肉体を脱ぎ捨てた猫の魂が見えるそうだが、彼らの目には、身軽になって飛び回るメイが見えているんだろうか。
ふう太が旅立つ直前、私はふう太の頭を撫でながら、
「ふうちゃん、うちの子になってくれてありがとうね。楽しかったよ。神様のところに行って、また新しい毛皮をもらったら、うちにおいで。またうちの子になってね」とささやいた。ふう太は私の顔をじぃっと見つめ、それから1時間も経たずに、私がそばを離れた隙を狙ったかの様に旅立った。
そして「またうちにおいで」と言ったのが通じたのか、翌年、我が家に、ボロボロのキジトラ猫が迷い込んで来たので保護し、コタロウと名付けた。ふう太と違って狩りも喧嘩もしない、おどおどしたオス猫で(これは…ふうちゃんじゃないなw)と思った。
そして更に2年後、今度は黒猫・Q太を保護。
メイには「またうちの子になってね」とは伝えなかった。
正直、この年で飼い猫を増やす勇気がない。
モモは今夏で15歳。コタロウは推定10歳。
上の2頭はおとなしいが、Q太は推定4歳で、血の気が多くて狩りが好き。
自身とサイズが同じくらいの野ウサギを獲ってきた時は、ショックで言葉も出なかった。ネコ科肉食獣の野生の本能は、トラやライオンと変わらない。首をひと噛みで仕留めてしまう。ああ、ごめんねウサギさん。
飼い主は、狩りの成果を見せられるたびにブルーになってる。
コタとモモはともかく、血気盛んな若いQ太の世話は、飼い主にもパワーが必要なのだ。
なので、またうちにおいで、なんて言えないよ私。
会いたいと思っても。
でも、
なんだか、
そう遠くない未来に、
新しい毛皮をもらったメイが、うちに戻って来るような気がしてならない。
それは家族全員感じている事だが「もう勘弁」「4匹は無理」とか「違うお家へお願い」とか、弱気なセリフしか出てこない我が家(笑)
さて、どうなることやら・・・・・
メイちゃん。
あなたの真ん丸な瞳と可愛らしい鳴き声が、今も脳裏に浮かびます。
もっと一緒に暮らしたかったなぁ。
ごめんね。病気を治してあげられなくて。
いつか、私も虹の橋を渡って、
あなたに会いに行きますね。
私を覚えていてくれるかな。
頭を撫でると目を細めてゴロゴロと喉を鳴らしていたね。
また、会おうね。メイちゃん。
また、いつか。