ティーガー戦車異世界戦記 ~小さな希望を紡ぐ姫と鋼鉄の王虎を駆る勇者 #14
第13話 逢魔が時
西へと歩む魔族一行の旅は再開されたが、その後はずっと平穏だった。
それは、これからもずっと続いてゆくかのように思われた。
後にした故国とはもう遥かに遠い距離を隔てているのだ。
(チート勇者だって、こんな地の果てまではさすがに追ってこないだろう……)
彼等の心の中に、いつしかそんな安心感が芽生えていた。
ただ、そんな旅路の中で一人、揺れ動く想いに心を惑わせている少女がいる。
「テツオ……」
まだ身体が弱いから無理をしないようにとティーガーに設けられた安楽椅子から澄んだ、そして不安そうな声が呼びかける。
「テツオ……どこ?」
「ああ、ここだよ」
砲塔の反対側から、予備のキャタピラを引っ掛けているラックの様子を覗き込んでいた少年が慌てて顔を出した。
「よかった」
寂しげに翳っていたアリスティアの顔が彼を見るなりぱっとほころぶ。
「どこかに行っちゃったのかと思ったの。ごめんなさい」
「僕なしじゃティーガーは動かないよ。心配することなんてないのに」
屈託なく笑う少年に王姫の心など汲み取れるはずもない。アリスティアは目を伏せると、こっそりため息をついた。
本当は当てなどない悲しい旅であることは誰にも明かせない。
それだけでも胸の中が苦しいのに、この異邦人の少年と触れあい旅を共にするうちに、彼に惹かれてゆく想いが日々膨れ上がってゆく。
ほんのちょっとでも彼の姿が見えないとアリスティアは不安に駆られた。そして姿を見ると安心するのに、今度は胸が締めつけられそうになる。
苦しみと切なさで、彼女の小さな胸は破裂してしまいそうだった。
(わたし、どうしたらいいの……)
魔物達に生きろと手を差し伸べてくれた少年を誰もが頼りにし、今では魔族の一員のように接している。
自分が死の淵を彷徨っていた時には希望を持とうと皆に呼びかけ、前を向かせてくれた。
そればかりではなかった。道中では少年は歌を歌うことや魚釣りなど、様々な娯楽まで教えてくれていた。今では日が落ちる頃に誰からともなく歌いだし、それに皆が加わって合唱することもあった。少年が教えた歌には後にした故郷を懐かしむ歌もあり、泣きながら歌う者もいた。それを笑う者は誰もいない。
辛く苦しいはずのこの旅が明るく楽しいものになったことを、アリスティアは心の中でどんなに彼へ感謝したことだろう。
このままチート勇者に怯えることもなく、ずっと旅を続けられたら。
だが、彼は異邦人なのだ。
自分達の逃避行に加わっていても、かりそめの同行者に過ぎない。いつまでも一緒にいてくれる訳ではなく、いつか別れの時が来るだろう。
そう思うと、アリスティアの胸は切なく痛む。
(彼が元の世界に還ることを諦めてくれたら……)
しかし、それは身勝手な願望に過ぎないことをアリスティア自身が分かっていた。彼はチート勇者と同じ、本来この世界に存在してはいけない異邦人なのだ。
彼の世界に自分も一緒に行けたら……思い余ってそう考えてみたこともあったが、もちろん出来るはずがなかった。
自分は、この異世界の高貴な血を受け継ぐ最後の一人なのだ。彼が好きだからといって王族の責務を捨てることなどどうして出来よう。
(でも……でも……)
そうとも知らず、俯いたアリスティアを見た少年が「寒い?」と、マントを脱いで彼女の肩にそっと掛けてくれた。
「風が少し冷たいね。肩を冷やすといけないから……」と、彼の言葉を聞いた時、彼女の瞳からは涙がもう零れ落ちそうだった。
「アリスティア、どうかしたの?」
「……」
「ティーガーを止めて休もうか」
「……」
「……どうしたの?」
――もうこれ以上、自分の気持ちを抑えきれない……
唇を震わせていたアリスティアは、やがて決心したように伏せていた顔を上げ、少年をまっすぐ見つめた。
「テツオ、わたし、あなたを愛しています」
突然の愛の告白だった。
少年は、あっけにとられてアリスティアを見つめ返した。
「お願い、どうか帰らないで」
声を震わせ、魔族の王姫はしぼり出すように「ずっと異世界にいて……」と、言葉を紡ぐ。
「好きなの……一緒にいて欲しいの……」
王姫の心は千々に乱れていた。
そうでなかったら、そのとき忍び寄っていた闇の魔手に、あるいは気づけたかも知れない。
「素敵な告白ね。私もそんな恋がしたかった……」
――それは
背後から誰かが耳元へささやきかけた声だった。
揶揄と、そして虚無の闇に囚われた声。
「!!」
驚愕の表情を浮べて振り返ると一人の少女が虚空に腰かけ、悲し気にこちらを見つめている。
悪魔の血で染めたような、色褪せた真っ赤なドレス。膝の上には死神が使うような大鎌を乗せている。
それよりもアリスティアを戦慄させたのは彼女の瞳だった。虚無に魅入られた二つの瞳は漆黒の闇と血の色で濁っている。
「貴女は誰……?」
「私の名を聞くの? 喜びも、悲しみも、希望も、絶望も、生命も、何もかも、これから消えてなくなってしまうのに……」
それは、応えともつかない鬱ろなつぶやきだった。
「誰なの?」
再び問いただすアリスティアの声に、少女は初めて声が聞こえたとでもいうようにハッとなって、まじまじと見返した。
そして、腰かけていた虚空から飛び降りるとドレスの裾を摘まみ、優美な仕草でお辞儀した。
「初めてお目にかかります、異世界の姫君。私は本物河沙遊璃と申します。こんな最果ての地まで伺いましたのは……」
顔を上げた少女は、にぃ……とアルカイックな笑みを浮かべた。
「皆さまを、絶望の終焉へお迎えに参りましたの」
アリスティアの身体が無意識に震えだした。
今まで自分達魔族を迫害してきたチート勇者達は皆、気障で傲慢だったが考えていることは浅はかで単純だった。
だが、この少女は明らかに彼等とは全く異質の何かだった。その華奢な身体から禍々しい瘴気じみたものを感じる。
そして、少女の背後で揺らめくものがうっすらと見えた。
陽炎の向こうで何か巨大でおぞましいものがうずくまり、じっとこちらを窺っている。
(あれは……何?)
赤く瞬く単眼は、明らかに獲物を狙う捕食者のそれだった。甲羅のような甲冑を身に纏い、手には彼女の持つ大鎌をそのまま巨大化させたものを握っている。足はなく、蛇神のように節のついた下半身が不気味にとぐろを巻き、蠢いていた。
そして、蠍の尻尾のような先端がアリスティアの頭上を越えて伸びていて、その先は……
(まさか……)
真っ青な顔で、恐る恐る振り返る。
その毒針のような先端は……背後から少年の胸を刺し貫き、彼の身体を宙釣りにしていた!
「テツオ……」
突然の惨劇を目にして、アリスティアには、にわかにそれが信じられなかった。
震える声で呼びかけるが応えはない。宙釣りになった彼はがっくりと項垂れ、前髪に隠れて顔を窺うことが出来なかった。
(――!)
声にならぬ叫びがふいにアリスティアののどに突き上げ――
だが、それはのどに貼りついたようにつかえて言葉にならなかった。
毒針が彼の身体を高く掲げ、血飛沫を顔に浴びた時、アリスティアの口から初めて絶叫のような悲鳴がほとばしった。
「いやああああああああああああああっ!」
アリスティアは手を伸ばし、少年に駆け寄ろうとした。
だが二人を引き離すように彼を刺し貫いた毒針は大きく弧を描き、その身体を玩具でも放り投げるように遠くへ振り飛ばした。
「テツオ!」
投げ飛ばされた少年を追ってアリスティアは足を踏み外し、ティーガーから転がり落ちた。
まだ拷問の傷も癒えぬ身体で立ち上がると彼へ向かって駆け出そうとする。
遥か彼方で地面に叩きつけられた少年の身体は、そのまま無造作に転がって動かなくなった。そこからじわじわと彼の身体から噴き出た鮮血が広がり、赤い池を作ってゆく。
(死んでは駄目! 私の生命の全てを差し出しても回復魔法を……!)
そう思って駆け寄ろうとしたアリスティアの身体は次の瞬間、地面に突き立てられた鉄の柵に阻まれた。
「ああっ!」
気が狂ったように「テツオ! テツオ!」と、柵の間から手を伸ばし呼び続けるが、うつ伏せになった彼の身体はぴくりとも動かない。
アリスティアの後ろでは異変に気がついた魔物達が「テツオが!」「アリスティア様がティーガーから落ちた!」「何だ、あの怪物は!」と、驚愕と混乱の中でトロッコから飛び降り、アリスティアと少年を救おうとしていた。
だが次の瞬間、王姫を捕らえたものと同じ鉄の檻が空から地面に落ちてきて、魔物達をトロッコごと捕らえてしまった。
「みんな!」
思わず呼びかけたアリスティアの向こうで少女がつまらなさそうにつぶやく。
「最初からこうすれば良かったのよ。戦車と戦う必要なんてなかったのに空威張りして強がったり、格好つけたり……愚かなチート勇者達」
虚ろな瞳のまま、少女は唇の端を釣り上げて笑った。
「さあ、帰りましょう。果たすべき役割を担わされた地へ。貴方達に楽園なんていらない。こんな異世界でそんなものを探そうなんて無益なことを……」
少女が手を振ると、爬虫類が這いずるような湿った音を立て陽炎の中から巨大な悪魔『邪神騎』が、そのおぞましい姿を現した。
小さな山ほども高さのある闇の化身はその肩に少女を乗せ、二つの檻を引き摺って膝行るように旅路と反対の方向へと戻り始める。
檻の中で、少年と魔物達が作ったトロッコはバリバリと音を立てて崩れ、砕けてしまった。
「……」
父母を無くした時もそうだった。
どうして大切なものはある日突然奪い取られ、なくなってしまうのだろう……
囚われたアリスティアは、檻の中から遠く離れてゆく少年へ悲しく目を向ける。
そして、魔物達の檻へ向かって呼びかけた。
「みんな、魔力を私にちょうだい。せめてテツオに……」
アリスティアはそれ以上何も言う必要はなかった。魔物達は黙ってそれぞれの魔力を王姫へ差し出し、彼女は泣きながらそれを一つに集めた。自分の魔力のすべても加え、祈りの詠唱を唱えながら密封する。
やがて、透き通るような小さな魔法の球が出来上がった。中には治癒と蘇生の魔法が凝縮されている。少女に見つからないよう、柵の間からそっと少年へ向かって押し出した。
透明な魔法球は風船のようにフワフワと進み始める。
邪神騎の肩から少女はちらりとアリスティアへ眼を向けたが、幸い、透明な魔法球は遠目に見つからず、彼女はふんと鼻で笑っただけだった。
何かこそこそ企んだところで何も出来やしまいと思ったのだろう。
(私達に出来ることはもうこれだけ……)
(テツオ、どうか生きて……)
もし、彼に息が残っていて魔法球が運よく届けば、もしかしたら助かるかも知れない。
そんな願いを込めて送り出した、密かな救護だった。
「母なる地よ、リアルリバーの大地よ、どうか我が願いを聞き届け給え。我らに希望を与えし者に生きる力を届けたまえ……」
引き摺られゆく檻の中でアリスティアは膝を折り、頭を垂れて祈りを捧げる。
これが最後の祈りになるかも知れない、と彼女は思った。
希望はもう、どこにもなかったのだから……
次回 第14話「闇と光の対峙」