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現代社会に蔓延する「コスパ至上主義」から卒業!エゴと幸せのカタチ

現代社会は、まるで「コスパ」という言葉に支配されているかのようです。物価は上がり続けるのに給料は上がらず、企業は高い給料で人材の奪い合い。そんな状況では、「ブラック企業でも、給料さえ良ければ…」という考え方が蔓延してしまうのも、仕方がないのかもしれません。

でも、本当にそれでいいのでしょうか?「お金のためだけに生きている人生って、果たして楽しいのか?」という疑問が生まれた。


「お金のために生きるって楽しいことなの?」

なぜ、現代社会はこんなにも「お金が全て」という思考に支配されてしまったのでしょうか?
私たちは「自分で思考する能力」を失いつつあることに着目しました。

誰かの指示に従い、言われたことをこなす。そうすれば「優秀」だと評価され、お金を得ることができる。自分で理想を描き、それを実現しようと努力するよりも、指示に従って行動する方が、よっぽど簡単で、確実にお金を得られる。そう考えてしまう人が増えているのではないでしょうか。

そして、この「思考の放棄」を生み出しているのが、日本の教育制度や文化、環境なのではないかと、私は考えています。

義務教育では、正解のない問題について深く考える機会はほとんど与えられず、ただひたすらに正解を導き出すための勉強を強いられます。年長者を敬い、上の者に従うことが美徳とされる儒教の教えも、私たちの思考を縛り付けている一因と言えるでしょう。

また、周りの空気を読み、同調圧力に屈してしまうのも、日本人の良くも悪くも特徴的な部分です。

このような環境下では、自分の意見を自由に表現することや、自分の頭で深く考えることを、知らず知らずのうちに抑制されてしまうのも、無理はありません。

しかし、もしも私たちが、このような「思考の抑制」から解放され、自分の頭で自由に考えることができるようになれば、お金やコスパにとらわれない、人間本来の幸せに辿り着くことができるのではないでしょうか?

「幸せ」とは何か? それは一概に定義できるものではありません。しかし、少なくとも、自分の現状に満足し、「人生、悪くないな」と思える状態は、「幸せ」と呼べるのではないでしょうか?
そして、そのような状態は、思考方法次第で、誰にでも手に入れることができるものだと、私は信じています。

では、どうすれば「自分で思考する能力」を身につけることができるのでしょうか?

私は、人間が行動を起こすまでのプロセスに注目しました。

信号を例にすると
「赤、黄色、緑に光る何かがある」と認知
↓だから
「交通整理のために設置されているもの」と理解
↓だから
「安全のために、信号は守らなければならない」と納得
↓だから
「信号を守る」

このプロセスを、「自分で思考する能力」を身につけることに当てはめてみましょう。

まず、自分自身を「認知」します。自分の現状、置かれている状況、そして、自分の「好き嫌い」を把握します。

次に、自分自身を「理解」します。なぜ自分はこう思うのか? なぜ自分はこんな行動をとってしまうのか? 自分自身と深く向き合い、理解を深めます。

そして、自分自身を「納得」します。自分の良い部分も、悪い部分も、全てひっくるめて、ありのままの自分を受け入れます。

このプロセスを経て、自分自身を深く理解し、受け入れることができれば、自ずと「じゃあ、自分はこう行動すればいいんだ」という答えが見えてくるはずです。

そして、その答えに従って行動することで、私たちは自分自身の幸福、言い換えれば、自分自身の「身の丈」にあった、自然体でいられる状態に辿り着くことができるのではないでしょうか?

「そんな簡単にいくわけない」そう思うと思います。

このフローは私の実体験をもとに生まれた。

大学時代、将来への不安から、ありとあらゆる資格取得やインターンに明け暮れていた。周囲から「優秀」と評価されることに、必死にしがみついていたのだ。しかし、心の中は常に空虚だった。なぜなら、それは本当に自分が「やりたい」ことではなかったからだ。「あの時間、あの人と遊びに行ってたから」と、試験に落ちたことすら他人のせいにする、そんな自分が嫌いで仕方なかった。

そんな私が、自分自身のことを「嫌い」という感情さえも受け入れられずにいた時、転機が訪れた。それは、「人に従うことをやめ、自分の足りない部分を認める」という、それまでの自分からは考えられないような経験を通してだった。

具体的に言うと、それは「自分の習性や癖を理解すること」だった。例えば、私は「他責思考」に陥りやすいという習性を持っていた。そこで、他責思考に陥りそうになったら、意識的にそれを自制するようにした。

最初は意識的な努力が必要だったが、次第に「他責思考になる自分」自体が生まれなくなっていった。そして、その変化は、私の人生に大きな変化をもたらした。自分自身に素直に向き合い、受け入れることで、無駄な行動や思考が減り、本当に大切なもの、本当にやりたいことが見えてきたのだ。

まるで霧が晴れるように、自分自身の輪郭がはっきりと浮かび上がってきたのだ。そして、その中心には、紛れもなく「エゴ」が存在していた。

「自分の幸せを追求したい」「自分らしく生きたい」

そう、エゴとは、決して悪いものではない。むしろ、人間が本来持つ、純粋なエネルギーなのではないだろうか。

私は、この経験を通して得た「自分と向き合う」ことの大切さを、一人でも多くの人に伝えたい。そして、一人ひとりが自分だけの「折り紙」を折りたたみ、自分だけの幸せを見つけるお手伝いをしたい。

「折り紙」とは、一人ひとりの持つ可能性、個性、そして幸せのかたちを象徴している。型にはまった「幸せ」ではなく、自分だけの「折り方」で、自分だけの「作品」を生み出す。そして、そのプロセス自体が、人生をより豊かで、彩り豊かなものにしてくれると信じている。

当時の私に、この話をしても信じないと断言できる。
感覚的なことが多いし、エビデンスがない。
「今の自由な状態をただ体験してもらいたい、共有したい」という私のエゴである。
「今の状態を変えたい」「わらにもすがる思いで、やってみよう」と思う人に届けたい。

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