改造とカイゾウ!!
どーもカイゾウ(@kaizo777)です。
タイトル見て「何それ?!」と思った方が多いと思います(笑)
今日はライトな記事で私の祖父の話をしてみようかと。
ただ結構なボリュームになると思います(書き終えてみたら4000文字超えてました(笑))
私は以前の記事にも書いたように、クリエイター名(Twitterアカウント名)を「カイゾウ」にしていますが、この名前は私の祖父「改造」からとったものです。
改造ってすごい名前でしょ?(笑)私の親族がこの記事読んだら名前だけで誰だか即バレです。
その改造ことカイゾウの祖父の話をしていきたいと思います。
今日は誰の参考にもなるような記事ではないのでサラッと読み流して頂けると嬉しいです。
私の幼少期
祖父のことを書く前に、少し私自身のことを書いていきます。祖父を表現するには私の幼少期を書いた方がより伝わりやすいと思うので。
私は物心ついた頃から大人の目ばかりを気にした子どもでした。
父は自分勝手の塊のような人間で私とはあまり関わろうとしませんでした。
母も日中は仕事に出ており私はいつも祖父母の家に預けられていました。大人の愛情に飢えていたのだと思います。
私には妹がいますが、妹のことは可愛いというよりもいつも私の後をくっついて邪魔をしてくる鬱陶しい存在くらいに感じていました。
しかも、今とは真逆で私は大人に対して愛想の良い子どもでしたが、妹はいつも私や親の後ろに隠れてモジモジしているような子でした。またそれが鬱陶しくてよくケンカをしていました。
すると祖父は「マー君(私のあだ名)暴君だな~」とニコニコとそばで私たち兄妹をいつも見守っていました。
毎日過ごしていた祖父母の家
祖父母の家はとても居心地が良かったです。
祖母の私への溺愛ぶりは半端なくどんな我儘でも聞いてくれる人でした。
「ドラえもん おばあちゃんの思い出」に出てくる子ども時代ののび太がまさに私です。
祖父はというと、普段は特に何もしゃべりません。いつも同じ席に座り新聞を読んでいるか、目の前にある塩辛やなめ茸の瓶詰を時折食べては野球を見ながら当時のヤクルト野村監督の采配に歯ぎしりをしながら怒っているような人でした。
あとは時代劇を良く観ていました。「遠山の金さん」や「水戸黄門」「大岡越前」など子どもながらに私も一緒になって観ていたのでどの作品もオープニングテーマや挿入歌が今でも頭に残っています。
それと祖父はご飯を本当に美味しそうに食べる人でした。塩辛やなめ茸など当時の私は食べられませんでしたが、祖父が食べているのを見ているとそれだけで食べたくなる。塩辛のCMをやらせたらバカ売れしたかもしれません(笑)
祖父の私への接し方
私は子どもの頃から、神経質で細かいことばかり気にしている子でした。
その割に気に食わないことがあるといつも誰かとケンカをしては母が学校やケンカした子の親に謝りに行く。そんなことを繰り返していました。
祖父母の家で母が私を怒っていても、祖父はその場では何も言いません。私がどんなに我儘を言って祖母を困らせていても、祖父は何も言わずにテレビを観ていました。
ただ、時折ふと話しかけてくると私や私の父をよく褒めました。「マー君は頑張ってるな~」「マー君のお父さんは遅くまで仕事してマー君達を育ててて偉いよな~」など笑顔で褒めてきました。
「なんでお爺ちゃんは僕を怒らないのだろう?」と自分が決して良い子どもではないことを薄々感じていた私は考えていましたが、祖父はそんなことお構いなしでいつも私を褒めてきました。
これは大人になってから母に聞いた話ですが、私には年上の従妹が6人います。祖父からしたらみんな孫です。しかし、祖父が一番そばで構って育ててきたのは私だったそうです。
それは祖父が定年を迎えてから出来た孫が私だったのも関係あると思います。祖父は私の母や叔父・叔母にとってはとても厳しい父だったそうです。だから私に関わる祖父を見て母は驚いたそうです。
頭の形が悪くなるからとドーナツ型のクッションに頭を乗せるようにしたり、泣いては私を抱いて外を歩いたり、足の形がキレイになるように抱っこ紐の巻き方にまで祖父はこだわったそうです。
私の幼少期の記憶に近所のバス停留所を良く散歩している記憶がありました。私の記憶にある男性は父だと思っていたのですが、母に聞くとそれも祖父でした。
それだけ愛されていたので、私は毎日祖父母の家から自宅に帰るのが嫌でした。父のいる自宅に帰るのが苦痛で仕方なかったのです。
当時はおばあちゃん子
でも実は当時はおばあちゃん子でした。祖母の愛情は真っすぐで我儘でもなんでも聞いてくれていつも不安定な私を一時安心させてくれました。
だから、祖父母の家から自宅に帰る時間になると私は毎回泣いていました。
すると祖母は自宅に帰ってからも私の様子を歩いて15分ほどの当時の私の自宅へ見に来てくれたりもしました。
祖母からは女性の優しい愛情をたくさん頂きました。
大人になり、祖父が亡くなってから知った祖父の愛情
祖父が生きていた頃。前述した通りたくさんの愛情を祖父からもらっていたのですが、当時はあまり実感がありませんでした。
私は中学生になると同時に、徒歩15分の祖父母の家から電車で1時間半の遠い田舎町に引っ越すことになりました。
これまた父の勝手な行動で、引っ越しを望んでいなかった家族の意向を無視して当時バカみたいに高い金額で立地の悪い郊外へ家を買いました。今では当時の4分の1以下の価格でしか売れないクソ家です(汚い言葉ですみません)
私はこの引っ越しが決まった時、祖父母から離れるのも父のいる自宅でしか過ごせなくなることも本当に嫌で嫌で仕方ありませんでした。
母に父と別れて欲しいと言いました。
「そうすれば祖父母の家にいられる」子どもながらにそう思ったのだと思います。母も父に対してはもうすでに思うことがあったのもあり祖父にその話をしたそうです。
すると祖父は「爺さんはどうやっても爺さんでしかない。ただ可愛がって全部を許す婆さんと父親にはなれない爺さんと一緒に住んでも良いことはない。父親と一緒に行け」と言い母を突き放したと聞きました。
当時祖父母は年金生活で貯蓄もなく、ボロボロの公営住宅に住んでいました。お金がないことが一番大きな理由だったと思います。
そして、祖父は自分がいざという時に娘と孫を守ってやる力がないこともわかっていたので、その力がある私の父を常に褒めて意識を持たせようとアプローチをしていたようです。
結果として私の父には全く持ってその意図は伝わりませんでしたが…。
母の話では、祖父は本当は私を祖父の家に置いておきたかったそうです。しかし、お金のない状況で孫を一人大きくなるまで育てることは出来ない。ましてや爺さんのそばに置いては本当に成長することは出来ないと考えていたようです。
きっと祖父がそう考えたならそれが正解だったのだと思います。当時の私が祖父母の家に残り、思春期を祖父母の家で育っていたらどうだったか今となっては分かりませんが…。
母は祖父が亡くなってから私に良く祖父の話をするようになりました。
私は母の話を聞くようになり、祖父の私への愛情や男としての考え方など多くを学びました。
祖父がいたからこそ、私はグレることなく大人になったと思います。元々神経の細かいタイプで、今どきの言葉で言うならHSPに近い性質だと思います。
そんな私だからこそ、近くにいるだけで時間がゆっくりと流れる祖父のそばがとても居心地が良かったのを覚えています。あの居心地の良さは今どこにいても味わうことが出来ない時間です。
祖父の晩年
祖父は晩年様々な病気を抱えました。慢性腎不全になり透析が必要になりました。脳梗塞も2度起こし、右片麻痺が残っていました。
でもギリギリまで公営住宅で生活しました。ずっと祖母との二人暮らしでしたが、祖母も祖父の晩年は全く介護出来る状況ではなく、今思い返すと良く生活出来ていたなと不思議に思います。
それも母の頑張りがあったからだと思います。
祖父は身体が不自由になってからも、私が会いに行くと笑顔で迎えてくれました。思い返せば祖父の辛い顔を見た記憶がありません。
晩年はほぼ寝たきりでしたが、それでも私の前では笑顔でした。
そして、いつも「爺ちゃんは100(歳)まで生きたいな。あと〇〇年か!生きれる気がするな」とずっと言っていました。
寝たきりで身体も上手く動かないのに「生きたい」と言っていた祖父。
なんでそこまで生きたいと思えていたのか今でも私にはわかりませんが、祖父がいつも「100まで生きたい」と言っていたのを良く覚えています。
そんな祖父も92歳でこの世を旅立ちました。
最期は病院でした。私は祖父の最期にも祖母の最期にも立ち会うことが出来ませんでした。
でも、いつでも祖父母がそばにいるような感覚はあります。
人は完全に忘れられた時に本当の死が待っていると言いますが、その考え方であれば祖父母は私が生きている限り死ぬことはないと思います。
今年で40歳になる私ですが、この歳になったからこそ祖父と色々な会話を交わしたかったと思うことがあります。
本来であれば、それが父親なのでしょうが正直私は父と会話をする気にはなりません。
むしろ父のように接してくれた祖父が今生きてくれていたら一緒に酒を交わしながら昔話に花を咲かせて楽しい時間が過ごせただろうと思います。
結局はないものねだりですが、人生の壁にぶつかる度に祖父に会いたくなります。
まとめ
ここまで読んでくださった方がいらっしゃったのなら、本当にありがとうございます。
私にとって祖父は特別な人です。
もっと祖父に対する思いを上手く書きたいのですが、今の私にはこれが限界。でも、こうして文章で残すことで振り返りにもなって良いなと思います。
私にとって文章で残すことは記憶を残すことになるので、いつかまた読み返して書き加えたいことが出てきたら加筆修正もしたいと思います。
今日も最後まで読んで頂きありがとうござました。
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今日はこの辺で。
ではまた!!