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依存について考える
どーもカイゾウ(@kaizo777)です。
今日は土曜日なのでツラツラと今思っていることを書いてみたいと思います。
記事の最後には今週の記事まとめを貼りますので、宜しければそちらだけでも見て頂けると嬉しいです。
今日は人間関係における「依存」について書いてみたいと思います。
私は若い頃はとても依存的な人間でした。
一人でいることが嫌いでしたし、優しい人や心開ける人には依存心が強くなりずっと一緒にいたくなったり。
心開ける人には自分の悪い所も受け入れて貰えると勘違いをして相手への気遣いを忘れたり。
依存は「素の自分でいられること」になっていました。
自分本位で優しい人、器の大きい人を食い物にする俗に言う「テイカー」だったと思います。
ところがいつの頃からか今度は180度考え方が変わりました。
一人でいることが好きになり、自分の力で出来ることを増やし、出来ないことは諦める。
人との接し方もよほど気の合う人以外は極力自分のテリトリーに入れないように無意識で距離を作るようになりました。
きっと気の合う人でも絶対に入れないテリトリーが私にはあると思います。
なぜ私は依存的な人間から180度変わったのだろう?
そんなことを考えた時、1つ確実に言えることは、人に依存していた時の自分の在り方が嫌いだったから。
相手に求めるばかりで、とにかく相手が自分のすべてになり、自分のすべてを相手に捧げているつもりで自分にすべてを捧げて欲しいと自己中心的な考えであった姿に気がついてしまったから。
そんな自分に冷めてしまったのだと思います。
それからというもの、私は家族だろうが、親友だろうが、交際相手だろうが自分の中の深いテリトリーには入れないようになりました。
いつまた依存的な自分が出てくるかわからない。
依存的になる時は感情が大きく揺れ動きます。その反動についていくだけのエネルギーも時間も今の私は持ち合わせていません。
そうこうするうちに一人でいることの気楽さを覚えると共に人に依存することを馬鹿らしいとすら考えるようになりました。
ここまで書いた依存は「悪い依存」です。
最近私は再び「依存」を考えるようになりました。
「依存」を「悪いこと」として見ていましたが、組織内のチームで何かをやる上では「依存」が決して悪いことではないのかもしれないと思い始めています。
私は先ほど「一人で出来ないことは諦めた」と書きましたが、まさにそれで、一人では何事にも限界があります。
「依存」することの最大のメリットは「相手を信頼する」ということ。
信頼していない人には依存はしません。
では組織内のチームにおける依存とは、仲間を信頼し組織内のチームで行う「仕事というテリトリー」を役割的に任せることなのかもしれないということ。
私は個人としてのテリトリーには人を入れませんが、これまで組織においても自分の仕事を任せることはほとんどありませんでした。
もちろんケアマネとして利用者を支援するチームには各々の役割で様々なことを依頼していましたが、それは組織の外であり、信頼出来なくなればチーム編成を変えれば良いだけと考えていました。
でも会社という組織ではそうはいきません。
仲間の個性や能力、人間性を「信頼し」自分の苦手なこと、自分より優れた効果を発揮できる人に「依存し」任せることは重要ではないかと考えるようになっています。
とは言えこれもまだ十分自分の中に落とし込めていません。
そもそも自分の中に出来上がっている「考え方」を修正していく作業は自分の「芯」に根付いたモノを取り除く、または書き換える作業が必要だから。
頭では理解していても、心が追いついて来なければ自然と実行できないのが私。
新しい自分を手にするなら、これまでの自分を手放す作業が必要だと思っています。
今日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。
今週の記事まとめ
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