お誘いを受ける時と断る時
どーもカイゾウ(@kaizo777)です。
今日は祝日なので今思っていることをツラツラと書いてみたいと思います。
3連休になると3日目には特に予定もなくなるのが私です。
でも予定がなくなること自体私にとっては「ゆとり」に繋がるので嫌いではありません。
むしろ常に予定が入っている方がストレスになるので、極力予定は詰めて入れないようにしています。
今日も「予定がないから勉強したり映画観たりのんびり過ごそうかな」と思っていた矢先に友人からお誘いが…。
以前の私であれば断っていたと思いますが、最近は極力プライベートの誘いはすべて受けるようにしています。
もちろん予定が入っていれば断りますが、予定が入っていなければ平日だろうが夜だろうが受けています。
では何故「以前は断っていた」のに、最近は「受けているのか」?
友人が大切なのは昔も今も変わらないはず。でも昔は誘いをすぐに断っていましたし、今は断るという選択肢は極力除いて「どうすれば受けられるか?」を考えるようになっています。
それは単純に「友人と遊ぶのが楽しいと感じるようになったから」
以前は誰といても「気を遣って」ばかりで「嫌われないように」することに意識が向いていました。
でも最近は「プライベートで誘ってくれる友人はどんな私でも良いから誘ってくれているんだ」と理解出来るようになり、純粋に楽しめるようになりました。
とは言え「楽しめる」のは「友人」という限られた関係性のみ。
初対面や仕事関係などの人とは必要以上の接点を持ちたくないと感じてしまう。
ここにはやはり『「無駄に気を遣ってしまう面倒さ」や「下手に嫌われたり誤解される」ことを踏まえると極力接点を持たない方がリスクが低い』と感じる自分がいるのだと思います。
友人とも初めから気の知れた仲間であったわけでもなく、色々なことを経て今に至るわけですからスタートは誰でも同じはず。
要するに「誰とでも仲良くなれる可能性はあるはず」なのは理解しているのですが、極力「人」と接点を持ちたいとは思えません。
これは私のキャラクターと私が信じているものが合わさった結果だと思っています。
私はそもそもそこまで人が好きではありません。ただ本当に繋がるべき人とは「縁」が結んでくれると思っています。
この「縁」の強さは強弱があって、強く縁がある時期もあれば、縁が弱まってあわない時期などもある。でも自分にとって縁が深い人は決して切れることがない。そう本気で信じています。
でもどこかモヤモヤすることもあります。
「私は縁にばかり頼っていて良いのかな?」
自ら切り開いていくエネルギーがない私に時折モヤることもありますが、いつも「無理しても仕方ない」という結論で着地しています。
これって、今はここまで言語化が出来ていますが、10代の頃は出来ませんでした。ただ、私のキャラクターは10代の頃から変わっていないのでこれからも能動的に誰かと接点を持とうとすることはほとんどないのだと思います。
もしあるとすれば、それは「成長したい目的が明確になった」時。
自分を変えて○○になりたいの「〇〇」が明確になった時に私は能動的に行動を起こすタイプに変わるはず。
そろそろ新たになりたい「〇〇」が見つかるかもしれないなぁ…。
今日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。