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8/6

今日は広島に原子爆弾が投下されてから77年。
1週間ほど前にもうすぐ8/6だなと思い、noteに下書きをしていた。
そこに当日を迎えてからの心情を加えたものを以下文に記したいと思う。

少し平和について頭に浮かぶものを繋げてみようとした。
ただ、平和と言えど前提、
どこで、誰が、どのくらい、基準は?とか
平和についてもある一定の条件のようなものはあげられる気がする。
平和という言葉がいかに広義であるかがわかる。
逆にいうと、個人的解釈に託されるという概念でもあるかもしれない。

よく、日本は平和だ。とか、その反面、平和ボケしてるだとか最近は良く耳にする。
まぁそれは僕は両方ともあると思う。
ただ、生まれてから今まで目にしてきた世界が基準とすると今がどうで、これからの未来どうなるかって言うのは、
1、先人の知見
2、過去の歴史を触れること
3、諸外国の現状と比べることで日本を客観的に見るということ
これらが挙げられる。

その一つとしてあげた先人の知見といった部分。これを僕らの世代や、それよりさらに若い世代に直接語りかけるといった人がいなくなってきていることが問題点である。それはしょうがない。人は歳を重ねる生き物。そして、戦争を経験されたり、被爆されたという方はすでに戦死や、後遺症で亡くなられているか、ご存命であれ77歳以上、ということもあり、どんどん経験された方々がいなくなっている。それは今後は加速し、いずれは0になり、それを聞いた人が伝えていくことでしか生きた経験が伝えられない。
今後新たに戦争を経験する人が出てこなければいいが。
そして僕たちの世代の中にも、そう言った声を聞いたことはあるがまぁそういう時代だったんだな〜今とは違ったんだな〜って思うくらい。日常的に、今は日本は戦争もしてなくて平和だ!!って毎朝起きてバンザイする人はいないはず。僕もそこまではしない。笑

生きた声が届かない、自分たちの生きている時を知らない、その物差しでしか世界を見れない、どん底や、絶頂をしらないから、ふわふわとした感覚で呑気に生きている。それ自体は悪いことではないと僕は思う。そんなこと知らなくても何とか生きてるから。命に危機感を感じるということがそうないから。そんな中、先日の参議院選挙の際、一つ悲しい事件があった。選挙の街頭演説中に安倍晋三元内閣総理大臣が射殺された。あらゆるメディア媒体が報じた為にこのことを知らない国民はほぼいないだろう。この事件に関しての心情として、僕は身内ではないけど、どこか身内が亡くなったかのように心が痛んだ。この事件を経て、立候補者の中には防弾チョッキを着て街頭演説をするようになったり、SPの是非を考える機会になったり、日本はどこか安全といったふわふわした雰囲気を壊すかのような出来事であった。これによって命の危機感や、平和について改めて自分なりに思いを寄せた人もいるだろう。
これが示すように、自身の命についていつか、どこかで、もし自分がというように頭にちらつく心情は平和がもつ要因に反している。令和に入って、そういった殺人事件や、流行病によって人間の精神は見えない何かに常に語りかけられ、圧をかけられている気がする。
これによって心は満たされず、次々と負の連鎖を生む。嘆き、憎しみが生まれ足の引っ張り合いに繋がる。
自身がこういったことを思うようになったということは平和ボケなんてしていないと思う。日本は戦争を現在してないから、争いはない。が、穏やかでもないはず。でも、今はそれ以上に、事件を犯したり、流行り病で少し過剰に反応しすぎるようになったり。どこか心に余裕のない人が増えていると客観的にみても思う。自分もそういう面が見えるときがある。
それを思うと、常に何か波が立っている感じがする。

心が満たされ、自分の機嫌を自分で取れるようになること。
まずはそこから。自分が幸せでないのに他人を幸せにできるはずがない。というフレーズはよく聞くが、最近は本当に身に沁みる。居酒屋のおでんくらいしみてる。楽しそうにしている人が楽しい!って言うものの説得力に通ずるものがある。
金銭的、身体的、精神的余裕がある一定のラインを超えバランスが崩れた時、自分のことしか考えられなくなる。そんな僕もバランスが崩れ、自分のことで手一杯な現状。だから僕が世界のこと、世界における日本のこと、平和のこと、について考えるのはまだ段階でいうと先の話。
でも、そこまで行きたいし、それを念頭におけるくらい視野が広くありたいと思う。だから、まずは精神が一度壊れてから情緒があまりに不安定で、付き合い方について自分なりにまだ模索しているところ。一生付き合っていく体であるからそこの資本については自分で機嫌をとれるようになりたい。
金銭的、身体的、精神的にある程度自分自身のものさしで、これくらいという指標をもち、それをクリアできれば、誰かから奪うことや固執すること、責めることも必然的に減るだろう。
その第1歩として、70億人の内の1人である自分をまずは幸せにしたい。
そこから輪を広げたい。

それが今考える、僕の平和。

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