最近、ふとした瞬間にスイッチが切れてしまうことが増えた。何というか、不意にブレーカーが落ちてしまうみたいに。 理由なんか知らんけど。 努力は夢中には勝てないって良く聞く。努力して頑張って成功しましたって自分の汚い部分を美談にして悠々と語る人間がよく目につく。どの口が言ってんだって思ったけど、最近なんか分かった気がする。結局のところ、努力は夢中には勝てないんじゃなくて、努力してる時点で「向いてない」ってこと。どんなに死ぬほど一生懸命血尿垂れ流して努力したところで、努力してる
学習塾も学校もそういった何かを教わるための組織は、大嫌いだった。それは、「個性を潰すもの」であるから。俺は、個性や個人の考えを尊重せず自分の思い通りにするためにひん曲げて、潰すような人が嫌いだ。自分が一度、他人のものも全て確認して自分の思い通りに進まないと気が済まない人。きっと自分の納得の行かない方向や不確定要素が怖くて怖くて仕方なくて毎日怯えて暮らしていてかわいそうだなあ、と思う。昔も今も周りには少なからずいる。 父親が嫌いだった。中学受験の時、勉強している時やわからな
引き出しっていうのは非常に便利だ。 収納としての機能はもちろん、よく使うものは、半自動的に、開けてすぐのところに集まる。よってすぐ、目に止まる。 頭の中、記憶。大きな棚のようなものだと感じることがある。その棚自体に名前がついていて、その棚にある引き出しがそれぞれ、その棚の名前にまつわる記憶ばかりが収納されている。嫌なこと、きついこととかは思い出したくないから引き出しから出すことはない。よって、自然と目につくことはない。 その棚を廃棄するとき、廃棄せざるを得ないとき、まず引
詩人たちは自らの体験に対して無恥である。彼らはそれを搾取し尽くす。 ニーチェ-善悪の彼岸 愛情の反対は憎悪ではない。無関心だ。関心がなければ人やものをわざわざ痛めつけたり壊したりはしない。 この世は知りたくないことで出来ていると思う。ふとした瞬間に闇が垣間見えた時、見たくないものが見えた時、誰かが自分の嫌う誰かに重ねて見えた時、当人からではなく他人から信じがたい話を聞いた時などだ。知りたくないことを知った時、知らなければよかったとは思わない。基本的には。ただ例外がある。自
面倒くさいと思うほど真剣に向き合っていたのかもしれない。喧嘩別れのような形ではあるが、旅立ちのような形でもある。 聞こえがいいだけ。 本当は、自分の居場所、自分を慕っていた仲間をほっぽらかして逃げ出した。これに尽きる。心残りがあるとしたらそれで、最後の面談で一切合切、因果を断絶する。あの場所から離れること、あの場所で育てられた自分の人格のうちの一つを否定することが、今の自分に必要不可欠だと思ってしまっている。それでしか、一歩前に進めなくなってしまっていた。そもそも前に進む