動く城

面倒くさいと思うほど真剣に向き合っていたのかもしれない。喧嘩別れのような形ではあるが、旅立ちのような形でもある。

聞こえがいいだけ。

本当は、自分の居場所、自分を慕っていた仲間をほっぽらかして逃げ出した。これに尽きる。心残りがあるとしたらそれで、最後の面談で一切合切、因果を断絶する。あの場所から離れること、あの場所で育てられた自分の人格のうちの一つを否定することが、今の自分に必要不可欠だと思ってしまっている。それでしか、一歩前に進めなくなってしまっていた。そもそも前に進む術もしらない。その人格を否定することで無用モノになるかもしれない。力がなくなるかもしれない。忘れ去られるかもしれない。

別にセンチメンタルになっているわけじゃない。

事実、今年の夏自分がどうなっているか皆目見当がついていない。小学生4年生までは習い事と家族での遊びと帰省で夏休みが終わっていた。5.6年生は受験勉強。中学1年から高校2年はひたすら部活。高3はAO対策。大学1.2年はインターン先での過密的な労働。大学3年生は?
時間がないとぼやきつつ、行動に起こせない自分はなぜか?言い訳は?インターン先への恩返しか?微塵も思っていない。インターン先で成長するため?できていないし、する気もない。じゃあなに?怠惰?惰性?難しい。

何事においても、先に本気になってしまった方の負けなのだ。

弱気とかじゃない。「何とかするし何とかしてきた」座右の銘というか、自分を奮い立たせる言葉。

今までの自分は何を見ていた?

小学校の自分は、小学校のコミュニティ全てを抜け出し新たなコミュニティを見ていた。

中学校の自分は、個性を見ていた。

高校生の自分は、人格を見ていた。

今の「何か」は何を見ている?

俺は、その「何か」を見ている。

今の「それ」は何を見ている?

俺は、その「それ」を見ている。

今の「キミ」は何を見ている?

俺は、君を見ている。

今冬、最後に残っていた3つのうち2つの居場所を捨てた。そして、1つ増えて2つになった。そのうちの最初から残り続けている1つは、居場所ではない。領地だ。人格の共存。最後の1人になるまで、自己の完成はなしえない。皮肉だね〜。

これから頑張ろう。

愛する者は手ぶらで愛せるが、愛される者は、永久に愛されたいと思うかぎり、永久に多少の神秘を保存しなければならない。すなわち、尻尾を保存しなければならないのです。人はわかりきったものを愛することはできません。
不道徳教育講座-三島由紀夫