先生であること
ボイストレーナーとして活動をし始めて少しの時間が経ちました。
初めて「先生」という立場になって思うところがあったので書き残しておきます。
言葉は全部返ってくる
発声練習時に生徒の方の音程感を指摘していながら、自分が練習する時に思ったより出来ないことが浮き彫りになることがあります。
「あんなデカイ顔したのに俺ってこんなもん!?」
投げたブーメランがザクザクと音を立てて体に刺さっていくのが聞こえます。
「良い声が出ても音程悪かったらもったいないからねー!」
何気ない一言が鋭利な刃物になって返ります。
他にも発声時の姿勢の取り方、
体にかける力の配分、
全部がいざ歌う時の自分に返ってきます。
だからといって、
「ごめん、俺も全然ダメダメだわ」
と謝れば良い訳ではなく、
そうならないように徹底的に鍛える他ないのだと考えています。
「上手くなったら教える」のではなく「上手くなるために教える」
相手にかけた言葉が自分に返ってくるからこそ見えてきたこともあります。
それは返ってくる言葉があるからこそ、より物事の理解や認識のクオリティが上がっていくことです。
一般的に「先生」や「師匠」といった言葉には
「その道を修めた人」という意味の他に「現役(前線)からは退いた人」というニュアンスが含まれていると思っていた節がありました。
ボイストレーナー(歌の先生)で言えば「アーティスト専業で食えないから先生をする」といったあまり前向きでないイメージ。
それもまた一つの事実かもしれませんが、
僕はまだ少ない先生としての経験の中で一つ確かな理解に至ったことがあります。
それが「人に教えるからこそ自分の技術も磨かれる」ということ。
歌をいざ人に教えようとすると、教えられる段階にあるスキルとそうでないものが明確になります。
それがそのまま「自分の磨くべきスキル」に置き換えてみると一個人のシンガーとしての確かな指針となると考えられます。
「先生」であろうとすればするほど、
「学徒」としての自身の助けになる。
これが一番の学びとなったかも知れません。
自分が持つ役割の意識
僕は虚弱体質なのでちょくちょくフラフラになります。
それでもレッスンに向かわねばならない事もあります。
調子が悪い時というのは自己肯定感その他諸々が下がるものですが、
いざレッスンに行き生徒の方々に向き合うと、
自分のやるべき事を再確認することが出来ます。
皆がそれぞれの悩みを解決するために自分を頼ってくれている。
そのことが奮い立たせてくれます。
「ヘラってる場合じゃねー!!」
端的に言うとそんな状態になれるのです。
先生をしながら自分もまた生徒の方々に救われる日々です。
さいごに
日々が学びの連続で、至らぬことも改めるべきことも増えていきます。
それでもこれまでやってきたどの仕事よりも楽しんで臨めるのは自分の性にあってるからなのかなと思います。
まだまだ始まったばかりなので、気長に続けていきます。