「今に見てろよ!」の危うさ
頑張ってることをバカにされたり、
相手の価値観で勝手に見下されたり、
失敗を嘲笑されたり、
そんなことがあると人は
「今に見てろよ、必ず見返してやる!」
と躍起になる時があります。
僕も至らぬところも足りないところも大変多い人間ですので、そうなることが少なくありません。
それでも、こういう思いを抱え続けることとそれを動機になにかを成そうとするのは良くないなぁと感じてしまうというのが今回の話です。
「見返してやる!」と誓うたびに溜まるもの
結論から先に言うと、
「見返したい」という復讐心は「うんこ」の様なものだと思っています。
取るに足らぬ価値のないものと言うわけではなく、文字通りの「うんこ」です。
汚くてごめんなさい。
でもそう考えると説明がつきやすいことが分かったんです。
「見返してやる!」と心に誓ったリベンジが果たされると大変気持ちいいもんです。
僕にも経験があります。
この流れでいけば分かると思うのですが、
つまり見返すためにリベンジをすることは
「うんこをあえて溜め込んで出すこと」だと思うんです。
我慢してる時はムッチャクチャ苦しかったけど、
いざ出し終わった時のあの開放感たるや。
まさにそれに置き換えられると思うんです。
人に嫌な思いをさせられたことを心に留め置き、そのリベンジが果たされてようやく解消させる。
嫌な思い出という心のうんこをいかに外に出すかという話なわけです。
引き続き汚くてごめんなさい、でももう少し。
溜め込みすぎると……
排便は確かに溜め込んだ分、
出す時は気持ちよくなるもんです。
でもこれが溜め込みすぎるとどうなるでしょう?
置き換えれば、
あれもこれも誰も其れも「見返してやる」とギラつくことでしょう。
……漏れますよね?
溜め込みすぎるとそこには渇望したカタルシスじゃなく最悪の惨事が待っています。
これも置き換えれば、
「見返してやる」と周囲に敵意を向けに向けた挙句、ストレスで身動きが取れなくなって手詰まりになることとも取れます。
それで周囲や環境に文句だけ叩く様になったら見事モンスターの完成です。
リベンジを果たすというこだわりのために身の破滅を招くのはなんとも報われない話だと思います。
それでも「見返したい」を溜め込むか
気持ちよくなるために、溜め込むのは当人の勝手です。
ですが、こまめに代謝を行ってるものの方が健康的で身軽なのはあらゆることが教えてくれることです。
悔しかった思いを水に流すのは簡単なことではありません。
忘れたと思ってもある時ふと顔を見せてくることもあります。
そういった時にそういった雑念に頭を支配されるなく、自分の幸せのために限りあるエネルギーを使えれば良いと思います。
どこまでいってもそれはうんこでしかないのですから。