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【緊急執筆】民主化の終わりとミャンマー

連日の様に日本のニュース番組でも報道されている、ミャンマーのクーデターですが、何が原因かを自分なりに解説します。

1.アウンサンスーチー国家顧問

日本で森崎ウィンの次に知名度が有りそうなミャンマーの政治家アウンサンスーチー。余りにも耳にしすぎて、大統領や総理大臣のような役割を果たしていると思っている人も多いと思います。

実はアウンサンスーチーは国家顧問としてという立場であり、ミャンマーの大統領はウィンミンという人物が据えられて、2人で国を動かしていました。

ウィンミンを知っている日本人は数少なく、政治的影響力や国民からの支持、「世界的知名度も大きいのになぜアウンサンスーチーが大統領やればいいのに…」って思う人も多いと思いますが、残念ながら、ミャンマーの憲法でアウンサンスーチーが大統領の職務を行う事は違憲になってしまいます

2.嘘の民主化

ミャンマーは長きに渡って軍事政権下にあり、1958年から2016年の間、軍が政治を行っていました。

そこへ、ミャンマー独立の父であるアウンサン将軍の娘、アウンサンスーチーが民主化を求める活動を開始。

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<ダウンタウンの浜ちゃんに似てるスーチーの父、アウンサン将軍>

軍からしてみればお邪魔虫である、アウンサンスーチーは幾度も拘束され、民主主義が幅を利かす国際社会からの圧力耐えきれず、60年間の軍事政権に幕を閉じることになります。

しかし、60年間国を守り動かして来たミャンマー軍をいきなり政界から放り出す事も出来ずに、国会議員の4分の1が軍人から推薦されるという憲法を、民主化移行ギリギリの段階で軍事政権は2008年に制定。

因みにアウンサンスーチーが大統領職務を行えなくする憲法も2008年に制定されました。

そして、2年後の2010年に見かけ倒しの様な民主的な総選挙が行われ、軍事政権は解散。第一党として当選したのは、USDPという軍事政権を讃美する党でした。

しかし、2院制という正式な討論を行う事のできる議会制を確立させたことは、民主化への大きな一歩です。

アウンサンスーチーは2010年の総選挙後に拘束から解放されました。その後2011年にNLD国民民主連盟の書記長として、本格的に民主化を進めるべく、頭角を現すようになります。

そして2016年に、選挙が行われアウンサンスーチー率いる国民民主連盟は、議会議席の半数以上を獲得し、アウンサンスーチーは国家顧問として、ウィンミンの前任者であるティンチョーは大統領として、民主化ミャンマーをけん引していきます。

3.不完全な民主化が招いた悲劇

建国の象徴であったアウンサン将軍から、民主化の象徴であるアウンサンスーチーが悲願の民主化を叶えた歴史的事実は国民にとどまる事なく、民主化を後押しする、国際社会からの称賛を多くもらう事になります。

開かれた経済は右肩上がりで、世界からは「ラストフロンティア」と称される程のポテンシャルを秘めた国とされていました。

私を含め、「アウンサンスーチーが解放され民主化を果たし、ミャンマーは可能性に満ちた素晴らしい国です!」といった人が沢山いたと思います。

しかし、2008年の軍事政権下に定められた憲法は、ティンチョー大統領とアウンサンスーチー国家顧問が国を指揮するようになってからも、存在していました。何度も憲法改正を草案しましたが、軍人が4分の1を占める議会では憲法改正を行う事は出来ないままでした。

そして、2021年のクーデター。軍はわずか一夜で、民主化に携わる政治家を拘束し、大統領は軍人が就任。

2008年の偏りすぎた憲法制定、2010年の総選挙で軍関係の政党が当選したこと、2016年にアウンサンスーチーに政権握らせ、外国から企業を誘致。僅か5年でクーデターを起こし、元通りに。

全てが軍のシナリオ通りに進んでいて、国際社会は、不完全な民主化に踊らされていたとしか思えない圧巻のクーデターでした。

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<アナログな方法でミャンマー軍によって切断された通信回線>

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<携帯キャリア等の電波使用できず、WI-FIを利用してもFacebookなど一部アプリが使用できない状況が続く>


4.クーデターと中国

1~3で説明したミャンマー国内の内部事情が6割の原因として、残りの4割はどうしても米中の関係性にミャンマーが犠牲になってしまったと考えています。


クーデターに対して多くの国から反対声明が発表されていますが、上記の記事を読む限り、欧米諸国は反対、中国はクーデターを見守る対応しています。

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現状ミャンマーは、圧倒的に中国に頼り切っている経済になってます。ですから、中国としても今回のクーデターは都合が良いといえます。軍事政権は共産主義と全く同じとまで言えませんが、似たような形をしていると個人的には考えています。

冷戦時代にも、東南アジアの国では共産主義のソ連がベトナムやカンボジア、ラオスなどに影響を与えて共産主義体制を整えました。民主主義の米国はそれを黙ってみてるわけにはならず、ベトナムで代理戦争を行いました。

米中覇権争いが過熱し、アフターコロナで中国がやや優勢な現状、クーデターの原因を中国との関係性に紐づけるには十分な見解だと考えます。



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