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ヨルダン旅行記と国王

ヨルダン旅行記とヨルダン国王(中東文化)を話題にしていこうと思います。

ヨルダンってどんな感じ?

ヨルダンは中東にある国で、首都はアンマンです。隣国がシリアやイラク、イスラエル、サウジアラビアです。ヨルダンは君主制ですので、アブドゥッラー2世という王様が統治しています。アブドゥッラー2世は国民から圧倒的な支持を誇っている王様です。なぜ国民から慕われているのか?

バカ殿様みたいな行動をしています。

多くの「伝説」を残しては王室関係者を常にヒヤヒヤさせています。漫画級の行動をしてきているので、国王にまつわる3つの「伝説」をご紹介いたします。

1つ目は、タクシー運転手や郵便局員に変装して街に繰り出して仕事をして、変装のツメが甘すぎて国民にバレまくってます。(かわいい)映画「スタートレック」にもカメオ出演経験あり。

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2つ目は、王室政府公用機(ジャンボジェット機)を自分で操縦して外交先に出向。自ら攻撃ヘリコプターを操縦してイスラム国への爆撃に参加する表明をしました。国王はヨルダンの特殊部隊にいたそうです。

3つ目は、外国の要人が来たら空港まで自ら運転して迎えにいきます。2007年に小泉総理がヨルダンに訪れた時もブドゥッラー2世が直々に迎えに来てくれたみたいです。こんな国王敵に回したら怖いと思ったそこの貴方。安心してください。ヨルダンと日本は2018年に日・ヨルダン投資協定という協定を結び、良好な関係を築いています。

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ボスとリーダーの違いがはっきり分かる良い国王だと思います。国王の志が非常に高いので、ヨルダン国民の皆様も非常にホスピタリティ溢れる方達が多かったです。

ヨルダン旅行記

日本からヨルダンへの直行便がないので、中国南方航空で成田-武漢-ローマで一度イタリアに上陸しました。その後はギリシャのエーゲ航空を利用し、ローマ-ギリシャ-ヨルダンという非常に面倒くさいフライトを組みました。理由は料金を重視した結果です。航空券代金すべて合わせて、6万円弱で済ませる事に成功しました。このロジックを知りたい方は下記の記事を参照してください。

国際連合結成

ヨルダン・アンマン国際空港には深夜2時に到着しました。その後は早朝7時に出発するバスに乗って「ペトラ遺跡」に向かう予定でした。ペトラ遺跡は映画「インディージョーンズ最後の聖戦」のロケ地になってから世界各国から観光客が押し寄せています。バス乗り場までどの様に向かうか迷っていた所、オーストラリア人のおっちゃんと出会い、「市内に向かうけど、タクシー割り勘しよ」と交渉しましたが、おっちゃんは「もっと安いバスが5時に空港からでるよ!」と教えてくれました。おっちゃんとタバコ交換した後、お互い疲れていたので、空港のベンチで寝る事にした。アラームを4時に設定し、おっちゃんとバス乗り場でチケットまで向かう道中。するとロシア人の青年が話しかけてきました。「俺もバス乗りたい」と言っていたので、一緒にチケットを購入して、5時まで暇なのでコンビニで買ったお菓子を食べながら、ロシアW杯の話で大盛り上がりしていました。ロシア・オーストラリア・日本という国際連合みたいな胸熱トリオが完成しました。

ロシアとオーストラリアの国際関係緊張

バスはワーゲンバスの様な小さなバスで、地元民が沢山乗っていました。国際連合3人組はジロジロ見られて恥ずかしかったです。バスが発車すると突然ロシア人の青年は、「ワイこの後アレッポ行くんよね」と言い出しました。これにオーストラリアは「シリアなんか行くな。危ないからやめとけ」と言いました。するとロシアは「俺は誰も見たことがない景色を見に行くんだ」と言い出しました。するとオーストラリアが「今後お前は誰からも見られない存在になるよ」とオーストラリアジョークをかましてました。ロシアは少しムッとなっていました。日本はこれが国際社会緊張関係かと少し感動して、黙って話を聞いていました。私はペトラ行きのバスに乗車する為、オーストラリアとロシアの緊張を緩和する事なく、下車しました。

アンマンからワディムサまで

首都アンマンからペトラ遺跡のある町、ワディムサまで3時間バスに乗車しました。JETTバスという高速バスがヨルダンには存在するので、多くの観光客はこのバスでペトラ遺跡を目指します。事前予約ができるのでJETTバスのリンクを貼っておきます。

道中サービスエリアに寄ります。ここでトイレ休憩やおみやげを購入する事もできます。おみやげ売り場は観光客がくると皆起き上がって商品を売りつけてきます。押し売りには慣れているので、ジュースとスナック菓子、ドーナツを買って再びバスに乗り込みました。バスの隣は地元民の親子でした。子供が泣き止まなかったのでドーナツ笑顔で上げましたが、ドーナツを渡す私の顔を見ると余計泣いていました。そしてドーナツはお父さんが食べてました。(?)

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日本のサービスエリアと比べると汚ったねえです。

ペトラ遺跡の町・ワディムサ

ワディムサへ到着しました。ペトラ遺跡については語ると長くなるので、別記事にします。ワディムサはペトラ遺跡のおかげで成り立っている小さな町です。つまり観光を中心に収益を上げている町なので、COVID-19の影響を強く受けていると思います。バスを近代美術館の前で降りたらタクシーの運転手が待ち構えてます。相変わらずお金を持ってないので、ホステルがある町の中心まで1㎞の坂道をひたすらに上りました。因みに歩いてる人はいないので、タクシーを使う事を推奨します。

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この坂をひたすらに上り続けました。ワディムサの町が一望出来て良かったです。

そしてホステルに到着。初めて行くホステルはいつもワクワクします。今回ワディムサには3泊しましたがすべてこのホステルに宿泊しました。

オーナーは気さくなフランス人の方で、コーヒー・紅茶が24時間無料で飲み放題です。ロビーには看板ネコちゃんがいます。長旅で30時間シャワー浴びてない僕にもなついてくるかわいいネコちゃんです。名前はジャンボ2世です。(?)

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屋上には眺めが最高なロビーが用意されています。アラビアンナイトを満喫できます。

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ポルトガル人と北朝鮮

そして運命の同居人にご対面します。4人部屋で僕以外の3人は陽気なポルトガル団体組でした。入室した瞬間「ハポネス!」と言われたので「シー」と答えたらウケました。ポルトガルなので、サッカーの話題で盛り上がり、ポルトガルの強豪チーム、ベンフィカ、スポルティング・リスボン、ポルトと3人組のポルトガル人は一人ずつ応援しているチームが違うらしく、私に各チームのプレゼンがポルトガル語で始まりました。(一ミリもわからん。)ここで、欧州サッカーヘッズの私が各チームの主力選手を伝えると、ビックリしてハグしてきました。マイナーな選手もポジションを当てると感動していました。サッカーは国境を超えるんだと改めて体感した瞬間でした。そしてあだ名は当時ポルトガルリーグで活躍していた中島翔哉かと思いきや、ホンダになりました。

サッカー談義で打ち解けると彼らは世界一周しているらしく「北朝鮮いったぜ」と言ってきて写真を見せてくれました。すると「北朝鮮行きたいか?」と質問が飛んできました。私は真面目に返さずに「スーサイドしにいくようなもんだ。」と言ったら爆笑してました。特に北朝鮮の女ニュースキャスターは世界で有名らしく、彼らはモノマネを披露してくれました。私にもふってきました。本気でモノマネを披露しました。やはり本場は違うとかいって爆笑してました。(本場じゃねえけどな)とにかく笑ってる陽気なポルトガル人で話しててとても楽しかったです。

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ポルトガル人は「ミス・キム」と呼んでいました。


ワディムサの食事と国王との関係

ごはんは9割がケバブでした。先ほど紹介したrakifihostelの近くにワディムサで有名なケバブ屋がありました。まじうまいです。

ここの店主ムハンマドさんも陽気な人です。日本人が大好きみたいで、こんな小汚い1人の男にもデザートをサービスしてくれました。ケバブもうまいですが、トリップアドバイザー上位にランクインした要因には店主ムハンマドさんの人当たりの良さも入ってると思います。

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ここではラクダのステーキを食べました。ラクダ肉の感想は、ぱさぱさでした。しかし、ボスが客の前でスタッフを説教するタイプでした。接客に時間がかかりすぎている新人に「明日から仕事ねえからな!」と真横で叫んでいました。家系ラーメン吉村家の吉村社長をイメージして頂ければ結構です。しかし、新人が食い下がらずボスにお願いしてようやくボスも認めて「俺の背中みとけや!」と言いながら、ボスは私の接客を担当しました。ボスの接客は一流ホテル並でした。どこかヨルダン国王を思い出します。

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ラクダ肉のステーキ

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