二〇二四
あえて漢数字をタイトルにしてみた。
一瞬読めんくなるよね。
さて2024年を振り返ろう。
めちゃくちゃ長いよ〜!
成人式
なんと言っても成人式。
去年20歳になってしまった。
12歳で死にたいから始まって近年は常々20歳までに死ぬといろんな人に宣言してきたのに。
そもそも成人式に参加するつもりはなかった。
それには諸事情が絡んでくるので省くが、中学から高校にかけては絶対に行くもんかと思っていた。
だけど、やっぱりみんなに会いたいなぁという気持ちが圧倒的に上回り、成人式に参加した。
式場に行けばたくさんの子から声をかけられ、たくさん写真を撮って、懐かしい顔も見れて「来てよかった」という気持ちになった。
お世話になった先生方も参加していた。
人の100倍は先生にお世話になった身なので、卒業してからも関係は続いており、懐かしいよりも「やっほー」くらいの気分だった。
その中でもすごく嬉しかったのが小学校時代の校長先生と再会したことだ。
校長先生とは毎日のようにドッジボールをする仲だった。
今思うと学校一の権力者に対して本気でボールを投げるというトンデモ行動を平気でしていたという事実が面白すぎる。
おそらく7年は会っていなかっただろう。当時とは変わっているし流石に気づかないかなと思ったら、余裕で気づかれた。
名乗ってもないのに。
そして「毎日ドッジボールしたよね〜!楽しかったね〜!」と言われる始末。
恥ずかしいより断然嬉しいの気持ちが上回ったけど。
たくさんの先生にお世話になって、今でも連絡取り合ってご飯に行ったりする先生も何人もいるんだけど、多分こんな生徒滅多にいないんだろうな。
愛される天才なのかもな。
そんなことは置いておいて。
とにかく同窓会が楽しすぎた。
クラスのほぼ全員が集まってワイワイ楽しんだ。
懐かしい話から現在の話までいろんな話をしてたくさん笑った。
クラスメイトの何人かはパチンカスになっていたので、公営競技大好きマン代表としてパチンカスと期待値討論をしたのも楽しかった。
同窓会の後はもちろん二次会。
他のクラスの奴らも合流して総勢30人近くで集まった。
二次会なのにクラス会と同じような人数。
周りを見渡せばみんな知った顔。
久々に会うけどあの頃と同じようなテンションで戯れられる地元の仲間は本当に最高だ。
もちろん二次会で終わるはずもなく、その後も宴は続き、帰宅したのは朝の5時。
雪が降るほどの寒さだったが、久々に集まるメンツで肩を寄せ合って歩いた時間は心も身も温かくなった。
再会
4月。
音信不通になっていた先生と再び繋がった。
元々持ってた連絡先が急に消えて音信不通になっていたが、無性に話したくなって友達から連絡先をもらった。
多分4年ぶりの会話。
お久しぶりですって連絡入れただけなのに、すぐに「〇〇か!?」って反応してくれてめちゃくちゃ嬉しかった。
そこからお互いの話を少ししたけれど、流石に4年間も間があると時間が足りない。
ということでご飯の約束をした。
自分にとって先生たちは親を超える存在で、先生たちは過保護に育ててくれたように感じている。
過保護じゃなかったらわざわざ家の近くまで迎えに来てくれないだろう。
ご飯屋さんも一生懸命選んでくれたみたいで嬉しかった。
先生からの愛を再確認できて幸せな時間だった。
ちなみにそれ以降、その先生とは月に1回のペースでご飯に連れて行ってもらっている。
他にも今年は4人の先生にご飯に連れて行ってもらった。
やはり普通の人からは考えられないくらい先生に愛されている。
このエピソードだけでどれだけ心配をかけて、どれだけ迷惑をかけていたかがわかる関係値である。
私の身体は先生によって作られている。
記憶ぶっとばし期
6月に入ってからだったか。
めちゃくちゃ調子が悪かった。
希死念慮に苛まれてベットから動けない日もあって、苦しすぎて泣いて、自傷した日があったのは覚えてる。
気づいたら血だらけになっていた日もある。
大学に行ってたのかも記憶にない。
だけど履修していた授業の半分以上を出席不足で単位を落としたということは、この期間大学に行っていなかったのだろう。
1ヶ月くらいそんな日が続いた。
たくさん出来事はあったはずだが、なんせ覚えてないし、わざわざSNSを辿ってまで書くことじゃないので省略。
でも当時の自分に言うなら「生きててくれてありがとう。」
退学
9月。
通っていた大学を退学した。
周りの人間には「普通の人生飽きたわ」ってイキってみた。
そんな思考で簡単にやめるような馬鹿な人間ではない。
だけどそうやって振る舞っていた方が楽だ。
ずっと馬鹿だと思われていたい。
この退学の決断においては色々とあったので後ほど触れる。
3年の前期の終わり。
あと1年半頑張れば卒業できる単位数は一応あった。
けどもう頑張れる気がしなかった。
むしろ3年半あの通学によく耐えた。
そしてやりたいことも見つけた。
夏休み期間に真剣に将来について考えた。
たくさん考えた結果、こっちを全力で頑張って結果を残すことのほうが最重要だった。
だから退学を選んだ。
もちろん世間から見れば「退学」というのは良くは見られない。
だけど、自分自身が将来を考え抜いて選んだ結果だ。
「退学を選んでよかった。」と思えるように結果を出すしかない。
あの時「それじゃあ食べていけないでしょ。」と嘲笑った元担任を結果で見返してやりたい。
いや、もう見返せるくらいには稼げたか。
出会い
夏休みぐらいだったか。
いつものようにXを見ていたら突如として現れた人がいる。
その人とは過去のnoteにも何回か登場している近藤龍徳という競輪選手だ。
本当にいきなり出てきたポストだったが、なんとなく感じたものがあった。
「あれ?この人の性格なんとなくわかった気がする。」
なんとなくだが、自分の性格や価値観に似てるなと感じた。
言葉では表しづらいが、見た瞬間にビビビっと来た。
脳に電撃が走るような感じだ。
そして大学を辞めるかどうか悩んでいた時に背中を押してくれたのもこの人だ。
今まで全く絡みもなかったし、どこの馬の骨かわからない人間に対して、ものすごく優しい対応をしてもらった。
出会ってから1ヶ月の間は悩み相談に乗ってもらったり、モチベーションをあげる言葉をもらったりしていた。
そんな中で大学を辞めるか悩んでいるという話をしたら、いきなり電話番号が送られてきた。
そして3時間も電話をしてくれた。
この電話で大学を辞める決断ができた。
この電話がなければ今もグダグダと大学に通い…いや通えていなかっただろう。
大学もやりたいこともどちらも中途半端でさらに自己嫌悪に陥っていただろう。
本当に感謝している。
そこからあっという間に距離は縮まり、今ではもうお兄ちゃんのような感覚だ。
自分へ。本当に生きていてくれてありがとう。
龍さんへ。生かしてくれてありがとう。
詳しい話は以下の記事を読んでください。
近藤選手のファンなら損はしないはずです。
そんな出会いからもう4ヶ月か。
この4ヶ月の間に色々な経験をさせてもらった。
例えばステッカーのプレゼント企画。
これは龍さんと出会ってなかったら絶対にできていない。
自分が作ったものを欲しいと言ってもらえる嬉しさを知った。
本来ならば欲しい人全員に届けたいのだが、現実はそんなに甘いものではない。
いつかまたプレゼント企画ができたらいいなと思っている。
選挙
今年10月に衆議院議員選挙があった。
その衆院選でお世話になった方が当選した。
その人との出会いは2年前。
公認が出てすぐに声をかけ、政治活動のお手伝いさせてもらった。
事前調査や情勢調査では他候補を追いかける厳しい展開だったのだが、投票日が迫るにつれて怒涛の追い上げを見せた。
最後の最後まで陣営は諦めることなく、朝早くから夜遅くまで各地へ足を運び熱い演説を届けた。
その熱情が有権者の心へ届いたのだろう。
なんと下馬評を覆し約3000票差で当選を果たした。
激戦区だったために当選確実が出たのも日付が変わってからだった。
本当は今回の選挙期間もお手伝いに入りたかったのだが、退学の手続きや仕事で忙しく現場には行けなかった。
ゆっくりする時間がないくらい忙しかったのだが、選挙速報を見ていたら直接会って話したいという気持ちが心の底から湧いてきた。
そんな気持ちが抑えきれず、気づけば帰りの電車のことも考えず家を飛び出し、電車に乗っていた。
最寄りに着いて急いで事務所へ向かった。
が、手前の交差点で信号を待っていた時、大きな声が聞こえてきた。
その瞬間、勝利を確信した。
一瞬視界にモザイクがかかった。
今まではなんとも思っていなかった選挙。
祖母が選挙速報を見ているたびに他の番組を見たいのになぁと煙たがっていたもの。
政治について語ることは「悪」のように扱われてきた。
過去の自分も政治について話されると少し嫌悪感を抱いていた。
だけど、政治に興味を持ったことで選挙の楽しさや厳しさ、過酷さなど、今まで知らなかったことをたくさん学んだ。
朝の駅立ちやビラ配り、SNS用の動画編集なども経験した。
初期の頃から一緒に活動してきた人が国会で見れる日が来るとは。
本当に嬉しいことだ。
こんな経験をしている人はかなり少ないだろう。
とても貴重な経験をさせてもらった。
終わりに
以上が今年の振り返りだ。
一言で表すなら「激動」の1年だった。
ここまで激動だった年はない。
今年もたくさんの人と出会えて充実したいい年だった。
これだけ人との出会いがあると「行動力すごいね」とよく言われる。
言っておくが自分に行動力なんて全くない。
会いたいなと思ったら会ってみる。
やりたいなと思ったらやってみる。
それが行動力という言葉で片付けられるのは嫌だ。
そんなものを力だと思ってないし、直感で動いているだけ。
きっかけはチャンスだ。
そんな気持ちで生きている。
来年は今年の経験や出会いを活かして、もっともっと成長するつもりだ。
現状に甘んじることなく、もっと上を目指して駆け抜ける2025年にしたい。
2025年もnote更新していきますので気が向いたら覗きにきてください。
良いお年を。