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頑張りすぎないということ〜やや鬱体験記〜

(※ 写真について、末尾に補足あります。)

前置き

研究したくない


9月に入ったあたりから研究へのモチベーションが一気に下がり、こんな気分になることが増えた。研究に対する全てのモチベーションを失い、寝不足によるパフォーマンスの低下も同時に僕を襲った。“やや鬱”状態になった。

(※補足:ここで“やや鬱”状態を強調しているのは、鬱病の初期症状である、という自覚があり、さらに深刻化する前に療養に移ることに成功したからである。)

研究活動で辛いとき/大変なときは何度もあった。その度に研究へのモチベーション(そもそも何で研究を始めたんだっけ?)を思い出し乗り切った。

研究を始めた頃の自分の判断を無下にしたくない、過去の自分に胸を張れる自分になりたい、そんなことを本気で思って、落ち込んだときはいつだって乗り切ってきた。

だけど今回初めて、自力で立ち直れなくなった。“そもそもなんで研究やってたんだっけ?”という根本が崩れたせいで、何を思っても前向きになることができなくなった。

そしてついに動けなり、一切の研究活動をやめてしまった。先生に許可をもらい、2週間余りの休みをもらえることになった。特に詳細は話さなかったけど、メンタルがやられた旨を話すと、

そういうことなら無理しないで

とそっとしておいてくれたのは嬉しかった。

さて、今日は何故、“やや鬱”状態になってしまったかを言語化する。正直立ち直り方はまだ模索中であるが、行動しないといつまで経っても、何もしなくていいこの環境に甘えてしまいそうで、リアルに引きこもりとかになってしまいそうだから、活動は再開する。とはいえ、何故この状態になってしまったかはかなりクリアになってきたと思っている。だから今日はそれを書く。

“やや鬱体験記”を書くにあたって、どちらかというと嫌な気持ちである。こんな自分の弱い部分をさらけ出すことに意味はないし、常に周囲の目線に気を配り他人から一目置かれたい、なんてことを思っている自分なので、弱さをさらけ出すことはある意味最も苦手なことかもしれないと思った。

だけど、もしこれが同じ状況に陥った方に届けることができて、少しでも力になれたらいいなと思った。共感は何よりの救いとなることを実感したからこそ文章化することを決めた、という話もある。だからこの文章が同じ環境で悩み挫けている方に届くことを願ってやまない。何よりこの悩んだ時間を無きものにしたくなくて、noteに生きた証として刻むのである。

前提共有〜やや鬱になる前の生活様式〜

博士課程学生として、休みもそっちのけで研究に明け暮れる日々だった。半日以上研究室にいて、自分の興味が向くままに論文を読んだり資料調査をする毎日だった。研究に従事する博士課程学生としてはごく普通の日常。

研究に打ち込むことで見えてなかった世界が見えるようになり、世の中への解像度が一気に上がった気分だった。打ち込めば打ち込むほど楽しいと思える自分がそこにいて、この発見はやや驚きだった。休みなんてどうでもよくて、研究室公式の夏休みであった8月の3週間程度の時間もほぼ全て研究に注ぎ込んだ。

ただ、研究室内という狭い世界で自分の研究活動を完結させるのが嫌だった僕は、対外的な関係を好んだ。社会人の方とアポイントをとって時間を作り、自分の価値観や今後のキャリアに関する考え方の壁打ちをお願いしていた。

研究活動に面白さを覚える一方で、周囲の研究者と自分の間にある大きな溝に対するコンプレックスは拭うことができなかった。先に同研究室で博士課程を終えられた先輩、一個上の先輩、そして指導教員、どのお方も到底僕なんか及ぶことのない知識量で日々議論していて、正直彼らに追いつく絵が全く見えなかった。

そしてあるとき、エネルギー問題の最前線で活躍している方と出会った。“再エネ100%の日本“を志す企業に勤めていらっしゃる方で、政治家へ勉強会や政策提案をしているような方だった。ある意味僕が理想とする働きで社会に貢献している方だった。

ざっくりと、やや鬱になる前の状況を書き下した。伏線回収というわけではないけど、こういった状況で、僕の研究に対するモチベーションは壊れていった。

来週は、やや鬱になってしまった要因についてもう少し掘り下げて書こうと思います。

※ 写真は、明るいものを選びたくて、気持ちにピッタリはまるものを選んで使わさせていただきました。padmariaさん、ありがとうございました(^^)。

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