# 論理的に生きる
※画像引用に関して、末尾にコメントしてあります。
最近、論理的とは何か、ということがようやく自分の中で少し理解できた気がする。
ここで、あなたは研究をしている人間なのだから論理的で当たり前、という主張は受け付けない。最後にも少し触れるけど、それはあるべき姿であり、完成形なのである。
僕はその完成形を取りに行っている最中だからそうある必要もないし、むしろこれからそうなるつもりだから言われたところで気にしないんだけど、でも言われるとやはりへこんでしまうのでやめてほしいです。笑
これに気づけたきっかけは、実は研究生活とは少し遠い場所にあった。それは、イケている会社のイケている方との出会い、そして叱咤激励の日々。自分の弱みと自分以上に向き合い続けてくれ、誰よりも時間を割いていただいた。
短期間でかなり徹底して矯正されたこともあって、その効果は絶大だった。テコ入れを受けてからというもの、研究が楽しくて仕方ない。
それもそのはず、論理的に考えることなしに研究なんて成立しえない、でもそれなしで実際ここまでやってきた(し、実際やってこれるとは思う。修士まではね)。
だから自分のわかりやすい変化をここにとどめて、成長の証として残しておこうと思う。多分多くの学生が、”ロジカルってなんだ。。。”って悩んでいるはずだから、そんな人に少しでも響いたらいいなと思う。
1. ”論理的でない状態”とは何を指すか
直感で行動する。何かが頭に思い浮かんでその次の瞬間には行動している。考えるより先に体が(勝手に)動いている。
きっと普段論理的に生きている人には想像もつかない世界なんだろうと思う。でも実際つい最近の僕の頭の中はこのような状態だった。
これまでの人生、いろんなことを自分の中で考えてきたものの、既定路線(と自分が勝手に認識していたもの)として用意されていたものがあまりに多く、そういった環境で下した判断が、果たして自分の意思でなされたものか、自信をもって言えない。
だから、特に物事を深く考え、理解せずとも進んでこれたのだと思う。
ところが、これからの人生はどうやらそうではないらしい。自分の道は自分で決める、自分が納得した上で決断していかなければならない。
だからこそ、論理的思考力の欠如という課題にぶちあたり、そして今向き合っている。
そして、このスキルに気が付くために最も必要だと自分が思った要素を、今からお伝えする。
2. わからないことをわからないまま放置しない
わからないけどいいや。
これをなくすことで自分の思考/行動は論理的になっていくと僕は思う。
全ての思考プロセスを自分の脳内で可視化し、納得のいかない部分はとことん追求し、”何故?”を明らかにしていく。
そしてその疑問が明らかになった先に、論理的な思考は完成するのだと思う。なぜかというと、納得のいかない部分や理解の追い付いていない部分には必ず論理の飛躍が発生するからである。
わからないけどいいや。
実際生きていく上では困ることはないかもしれない。というより、これまでは生きてこられた。
でも、今自分がなりたい/ありたい自分は論理的思考を持ち合わせた人物であるし、そういった意味で、今の自分にとって、論理的思考力はなくてはならないものであった。
なくてはならないのだから、ないと困る。それだけの話。
3. こうあるべき<<<こうなりたい
これから自分という人物が生きていくにあたって、自分の人生は自分自身でデザインされる必要がある。
もう誰も道を用意してくれない。自分で決めて自分で進んでいく。
だから、世の中に転がっている一般論に自分を当てはめて比較する必要は、もうどこにもない。
世の中が向かっている方向に進んでいくのでなく、自分で自分の方向を決めていかないといけないのだから、そのような比較に意味はない(無論、情報収集は必要ない、という極論を述べるような意図はここにない)。
これからも、自分の純粋な”やりたい”を追求していくような人生を送りたい、と強く思う。
(画像は、人ひとりが生きていく、という僕のメッセージが上手く伝わりそうな一枚を使わさせていただきました。arinkosanさん、ありがとうございます!!)