野球 高校最後の夏が終わった
先日、部活を引退した。
中高5年半続けていた部活を引退した。
8月某日、最後の大会に臨んだ。私は野球部だが、硬式野球ではなく、軟式野球。軟式野球は県大会を制し、その後近隣の何県か合同で地方大会を行い、その中で勝った学校のみが全国大会にいける。そしてこの日、私達は県大会を制し、地方大会の一戦。勝てば全国大会も見えてくる試合だった。
球場が学校の近くというのもあり、吹奏楽部だけでなく、友達もたくさん駆けつけてくれた。アルプスから大声援で試合に挑んだ。
試合は一進一退だった。幾度とないピンチを切り抜けチャンスができるも、それもまた相手に封じられる。
同点で迎えた9回表、ついに相手に点を取られた。
そして9回裏、先頭打者は私だった。
打席に経ったとき、ここで打つしかないと思った。
私はこの日打てていた。絶対に先頭打者で出塁し、後ろの打者に託す。ヒットじゃなくてもいいフォアボールでも、デッドボールでもいい。
しかし結果はショートゴロだった。打ったとき打感はよかった。しかしショートゴロ。一塁まで全力で走った。結果はアウトだった。
一塁を駆け抜けて、塁審にアウトを宣告されたとき、空を見上げた。
あぁこれが最後なのかもしれないな。
なんとなくそんな気がした。ヘルメットを被って一塁まで駆け抜けるのが、こうやって野球をするのが、今日が最後になるかもしれないと思った。
はっきり言ってはたからみればこの試合、もう負けは確定しているようなものだった。
でも5年半ほぼ毎日やってきた野球が今日で終わるのが信じられなかった。というか終わるということがよくわからなかった。
その後はランナーを出すも得点は挙げられずそのままゲームセット。最後にしては余りにもあっけなかった。
整列をして礼をした後、初めて相手の選手と握手をした。頑張ってくださいと伝えると、
「はい。ありがとうございます。」
私の握った彼の手は大きくて案外冷たかった気がする。私がしたお辞儀より深くお辞儀をしていた。
相手に握手をしたけれど、別にそこまで勝ってほしい訳ではなかった。かと言って負けてほしい訳でもなく、相手の事なんてもうどうでもよかった。
自分がどう引退するか、もうあと、球場から退場するまでのわずか数分で終わるこの選手としての時間一瞬一瞬を輝かしいものにしたかったのだろう。そのための握手だったんだと思う。
負けて相手の校歌を聞いてる時、隣で後輩が泣きじゃくっていた。下を向いたまま。ずっと。それがなんとなく分かった。バックスクリーンに相手の校旗が上がる。その奥に青空。
去年の夏もその前の夏も、負けた時もこんな感じだったなぁと昨年、一昨年と負けた日の空が思い浮かんだ。今日の空と何も変わらない青空。まるで涙とは結びつかない明るくて、雲が処々に浮かんで、強すぎる日差しが地面に降り注ぐ。そんな青い空。
去年、一昨年と思い出すと、5年半の無限に感じるような毎日が1日、1日と脳裏に浮かんだ。毎日毎日グラウンドに行ってはボールを追いかけた。何度も監督に怒られた。吐きそうになるまで走らされたり、トレーニングしたり、そのほとんどは退屈で、途中で辞めていった同期を恨んだ。毎朝ヘトヘトで、野球なんて全然好きじゃなかった。なのにキャプテンまでやらされて、チームメイトの事を考えたり、監督にいろいろ言いつけられたり。
そんな日々が頭に浮かんで、やっと引退が確定したのに全く嬉しくなかった。
気づいたら泣いていた。涙が止まらなくなっていた。もう、目も開けられなくなって、下を向いていた。
この退屈な日々と決別できることより、仲間と離れることの方がよっぽど悲しかった。退屈な練習でも仲間といることが楽しかった。
校歌が止まり、礼をする。
私が「気をつけー礼!」と合図をしなければならない。声が出るかわからなかった。
だが涙はスッと止まるもので「気をつけー礼!」といつもよりは小さい声ながら言った。
そして、アルプススタンドに向かって走り出し、応援をしに来てくれた人に向かって礼をした。
その瞬間全てが終わった。私がキャプテンとして務めるべきすべての仕事が終わった。私はその場で崩れた。同期の1人が肩をかしてくれた。
ベンチに戻って荷物を片付けていると自然と涙も止まってきた。
球場の外に出たとき、応援に来てくれたたくさんの人が待っていてくれた。みんなに向かって挨拶をした。
すると監督が「じゃあお世話になった人のところに行きなさい」と言われた。
私は両親のところに行った。こういうときなんて言えばいいのかわからなかった。が両親のところに行くと自然と涙が止まらなくなった。何か言うどころか何も言う事さえできなかった。
その後、先輩達に挨拶に行った。先輩達の前で泣くのは恥ずかしいというかなんだかスッと涙が止まった。そして、見に来てくれた友達にも挨拶をした。
そうしているうちに、気づいたら私は引退を受け入れていた。そして、回りも私達の5年半を賞賛した。
あんなに悔しかった試合も終わって数十分もすれば引退をすんなり受け入れていた。
今考えてみればなんでそんなにすぐに受け入れられたのかわからない。はっきり言って試合の内容は最後にふさわしいと言えるほど良いものではなかったし、後悔してるところなんて山ほどある。ただそれを全て見て見ぬふりをしているようだ。確かに、ここで反省したってもうその反省を活かすところは二度と訪れない。それは言わずもがなもう選手として日々は終わったからだ。
だが、このままこの部活動生活5年半の何もかもを美化して記憶の片隅にしまいそうで怖かった。
この生活が輝かしいものだったのは自信を持って言えるが、その全てが美しかったわけじゃない。幾度となく、苦痛の日々の上に成り立つ勝利。それを味わったとき初めてその苦痛の日々を肯定できた。
結局、5年半の大半は苦痛だったと思う。しかしその苦痛の積み重ねたことで、試合に負けて悔しいと、試合に勝って嬉しいと思うんだろう。
部活動を引退しても、部活動が近くにあったままだった。後輩達は今日もグラウンドで野球をしているだろう。家にはグローブもスパイクもそのまま置いてある。
引退したときに野球と私との間に明確な線がひかれた。しかし、それにまだ私は気づけてない。まだ野球が遠くにない気がしてる。いつか、野球がまた恋しくなるんだろうか。
引退をした。この5年半は苦痛だった。
だけどこの苦痛の日々を送ることでしか得られないたくさんの体験が、感情が、仲間ができた。
なのでこの5年半は苦痛であり幸福だった。
この5年半は私の人生に色濃く残り、そしてこれからの私の人生にも色濃く残り続けることだろう。
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