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分かってもらえなくていい

自分を受け入れることは、時に苦しさや窮屈さを伴うことがある。
 
僕はどうやらHSPという気質を持っているようだと、最近気がついた節がある。

HSPとは「感受性が強く敏感な気質の人」という意味で、Highly Sensitive Personの略称。この気質は生まれ持ったもので人間に備わる特性の一つだ。ただ、比率にして少数派ということもあり、これまであまり知られることはなかった。

しかし最近では、巷で“繊細さん”と呼ばれることもあり、様々な著名人の公表や関連書籍の出版等で国内でも急速に認知度が上がっているようだ。
 
簡単に言ってしまうと、集団の中でHSPはどうしても目立ちにくい。もしかしたら、分かりづらい人間だと思われてしまうこともあるかもしれない。僕自身も、そのような印象を周囲に与えてきたと感じる経験がもちろんある。これではいけないとなんとか迎合すべく心がけてきたし、これからもきっとそうだろう。

でも、ふとした瞬間に「何気ない一言のはずなのに、何故こうも深く傷つくのか」「きっと考えすぎなのだろうけど、額面通りに受け取っていいのだろうか」と思うことが未だにある。

そうした感情に蓋をして生きることに、ひどく寂しさを覚えた時期もあった。軽妙な人とのキャッチボールの手を止めては、自分の本質を見抜かれ愛想を尽かされてしまうのではないか。そんなことを恐れるがあまり、限られたコミュニティにしか顔を出さないようにしていた臆病な自分も確かに存在した。
 
でも、HSPという言葉を知ってから、自信が持てなかった自分に対して少し気が楽になった。
自分だけじゃない。ただそれだけのことなのに、人は仲間がいることに安心感を抱き、悲観していた人生の航路に優しげな明かりが灯ったような感覚にさえなれるのだから。
 
世の中にはHSPである人もいれば、そうでない人もおり、彼ら彼女らをあえて分け隔てて接するつもりは一切ない。同じような感性を持っている人とは話も弾み仲良くなりやすいが、自分にはない感覚に触れると知らない世界のことを教えてくれるようで楽しい時間を過ごせることも往々にしてあるのだ。
 
今まで出会ってきた人、これから出会う人にどう思われても、僕の気質はそう簡単に変えられない。
生まれ持った先天的な性格と長い時間をかけて育んだ後天的な自己は、一夜にして劇的な変貌を遂げることはまずないだろう。

だから、分かってもらえなくていい。そんな負担を誰かに負わせるくらいなら、いっそ僕のこと自体を忘れてほしいとさえ願う。
 
ただ、僕は言葉には出さなくとも表情や行動に現れる機微を感じ取っていたい。
自分のことはもちろん、誰かと接している時は常にそんなことを考えている。ことさら、僕のパーソナルな部分を知ってくれている大切な人であればあるほど。

その人のことを知りたいと思った時は感情や言葉の裏側で生きている、目には見えないメッセージを探し続けたい。それがきっとゆくゆくは、僕らを繋ぐ架け橋の上空に鮮やかな虹をかけてくれると信じているから。

皆さんから大事な大事なサポートをいただけた日にゃ、夜通し踊り狂ってしまいます🕺(冗談です。大切に文筆業に活かしたいと思います)