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セクシャル・マイノリティの私の社会での過ごし方

こんばんは。
今回は私のマイノリティ性の1つであるジェンダー等ついてと、社会での過ごし方について書いていきたいと思います。
※これはあくまでも私一個人の例であり、全てのマイノリティーの方々がそうな訳ではありません。また私には精神疾患もあるので、そのお話も出ますが、全てのマイノリティーの方々が私のような人間ではありません。
そのため、一個人のスタイル程度に生温くご笑覧くださいますと幸いです※


ジェンダー

ノンバイナリー(男女どちらかにとらわれないジェンダー。Xジェンダーといわれることもあります。)です。
私の場合は生来のというより、結果としてのという方が正しいですが、いずれにしろ心持ちはおおよそノンバイナリーで生きています。

“結果として“の詳細はこちら↓
※性虐待・暴力や犯罪など胸が悪くなるような出来事が書いてあるため、お読みの際はご注意ください※

セクシャリティー

パンセクシュアル(全性愛。セクシャリティーを抱く対象に相手の性別が無関係なセクシャリティー)です。
こう書くと全回線対応の恋多き人という印象となるかもしれませんが、私の場合は強い尊敬の念を抱いて数年以上に渡る関係性がない人にしか恋愛感情を持たないので、30年以上生きてきて、恐らく本気で恋愛感情を持てた相手は2人しかいません。

因みにその1人はこちらの方です。↓

パンセクシュアルにも恋多き人、そうでない人(私です)、モテる人、モテない人(私です)、色々います。

服装や外見

仕事ではドレスコードに準じて、女性の装いをします。
メイクはボーイッシュな服装で出社する日も必ずしますし、場合に応じてフォーマルなドレスシャツにスカートスーツにヒールの日もあります。

プライベートでは、好き好きにその時の気分で着たいものを着ます。
メンズ物のXSサイズも着れば、レディースのワンピースも着ます。
スニーカーもバレエシューズも履きます。
メイクやアクセサリーもその服や気分、体調に合わせます。

一人称

「私」で一貫しています。

これは影響を受けた知的な知人男性の一人称の「私」がいやに美しく聞こえたことの影響、更にどうしても社会上は女性として「自分」や間違っても「僕」は使えない上に、たとえば文章上は「私」だけではジェンダーが特定しづらいため、書いてある言葉そのものがより強く印象に残りやすいという個人的な感覚から、「あたし」より抵抗が低く、かつ色々と便利だったという現金な理由で使用し続けています。

社会上の同性・異性との付き合い方

異性については、一応の距離(旅行で同室にしない、どんなに親しくても恋人でない相手とはオールをしない・自宅にあげない・相手の自宅に入らないなど)を置いてますが、基本的にはどちらでも大して変えません。
実際、同性の後輩から陰湿なセクハラに遭った事もあれば、異性の知人からこれもまた悪質極まりない性犯罪の被害に遭ったこともあるので、個人的にその人の性別<<人柄・関係性という認識でいます。

そのため(社会的)異性でもお互い気になる相手が違っていて、全くその気のない同期とは気軽に2人で食事をしては、ひたすら仕事の話ばかりすることもありますし、LGBTQs仲間の(社会的)同性と恋愛の話をしたり、その手のバーに行くこともありますし、恋人が同性だったこともあります。
(恋愛に発展はしなくても、居酒屋だと男性に絡まれる事があるので、正直レズビアンバーは便利なのです。)

気をつけていること

そうは言ってもマイノリティ。
人や世代によっては受け入れ辛いこともあるでしょうし、そうした人々とも関わりを持って上手くやっていく必要があるのが、仕事や人生
というもの。

ということで私が自分なりに気をつけていることを、勝手ながら紹介していきます。

1.御手洗いは誰もいない時、場所を出来るだけ利用する


誰だってジェンダーの定まってない、しかも相手への強い尊敬の念があれば同性でも恋心を持つ人間が、同じセンシティブな空間にいるとなると怖いですよね?

私も同性の後輩からセクハラを受けていた時は、職場も部署も同じな分、とにかくお手洗いで一緒になる事やエレベーターで2人きりになる事が怖く、会社がオフィスカジュアルで制服がない分に更衣室がない事に本当に安堵を覚えていたので、自分なりにLGBTQsへの恐れはわかるつもりでいます。
(見当違いでしたら、申し訳ありません。)

因みに後輩からの被害についてはこちらです。私が全てのセクマイ関連の訴えに賛成をできない理由もここにあります。↓

今、LGBTQsへの配慮が叫ばれており、中には個人的に賛成するところ(同性婚など)もありますが、他方で少なくとも賛成は出来ない(性別違和の診断なく利用できるジェンダーレストイレが、性加害者の温床となるリスクなど)ところもあります。

それらの事例やリスクなど色々と考えた結果、御手洗いは誰もいない時、場所を選んで使用しています。

2.余程の必要性が生じない限りカミングアウトしない

社会的なカミングアウトは、私が出来た人格者か既にパートナーシップを結んだ相手に相当する人がいればしても良いのかもしれませんが、残念ながら今の私はどちらにも該当しないため、していません。

不要なカミングアウトは、その界隈外のマジョリティーの人に対して、私とは異なる人格者やパートナーを持つマイノリティーに属する方々への不要な偏見を助長するリスクがあります

マジョリティーも人それぞれならマイノリティも人それぞれ。

少なくとも私は他のマイノリティの方の過ごしやすさを害する事に悪影響を与えたくないです。

特に会社という狭い社会の縮図とも言え、ジェンダーやセクシャリティがその人の評価に影響することがあってはならない一方で、隠密に行われうる場所では。

そう考えた時、特に人格者でもパートナーがいる訳でもない私が、私以外のマジョリティーもマイノリティーも一番傷つけないのは、カミングアウトしないことかなと思い、社会的には何も言わずにいます。

そのため私はずっと社会的にクローゼット(自身のマイノリティ性を隠していること)として働いていますし、プライベートでも一部の親密な友人やLGBTQs仲間にしか自分のマイノリティ性はオープンにしていません。

男性の恋人がいた時は、彼の性格を考えて内緒にしていました。
というのも、当時は当時で、定期的に会う異性愛者の女友達はいましたが、彼の性格から言うと男友達とごく偶に会うのにも「会わせろ」と言わんばかりに執拗に迫る人だったので、カミングアウトをしてわざわざ相手の気分を悪くさせる必要もないかなと思ったからです。
どれだけ「只の友人」と言っても「そういうセクシャリティなら、そういう(女友達を好きになる)可能性だってあるだろう」と信じては貰えない相手もいます。
どちらが悪いという話ではなく、人は分かり合えないこと含めての人間関係なので、そこは黙っていました。
分かり合えないことをわざわざ持ち出して、争いの火種を落とす理由はありませんから。

総合して

このように一般的と言われる男女関係ですら揉めやすいのですから、そこにわざわざ言う必要のない私のマイノリティ性まで盛り込んだら、余計に事はややこしくなります。

マジョリティーの人もマイノリティの人も、「出来る限り楽しく安心して暮らしたい。」、「普通に権利を享受して、何かに脅かされたり危害を加えられたりせず、暮らしたい。」、その思いは同じかなと、これまでに関わったマジョリティー、マイノリティの人々と接した中で思います。

だからこそ私は、今後も大切なパートナーが戸籍上同性であった場合や、未来の(自分の子でなく周囲の)子どもたちのことを真剣に考えて私も声を上げる意味があるのではと思わない限りは、戸籍上の性別とTPOに合わせながら、時にLGBTQs仲間と盃を交わし、性別関係なく親しい友人と付き合い続けるでしょう。

以上が私のいちセクシャル・マイノリティーとしての過ごし方でした。


最後までお読みいただき、ありがとうでした。
同じ様な方、参考になった方がいらっしゃれば幸いです。


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