(執筆10年くらい前)六畳一間の冒険譚/六

第6話「かなり重いがダイエットだと思えばなんでもない」

 どこか思いつめたような麻野さんという下級生は、僕の軽さに面食らったようだ。表情や化粧が暗いということではなく、彼女のまとう雰囲気が暗いように思える。シンプルだけど、着ている衣装からも窺える麻野さんの内面。Tシャツは割りと目を引くようなロゴがあしらわれているのに、わざわざ地味目なベストで覆い隠している。ガウチョパンツの色も控えめだ。しかし、ピアスやトートバッグは目を引く。

 全体としてオシャレには思えるのに髪色は黒に程近い焦茶、陽光下でもないとほとんどわからない。ぱっと見でだけど、彼女はなにかに抑圧されている傾向があるのかもしれない。特に、彼女は自分が話すときはかなり詳細に丁寧に伝えてくれるが、それ以外は目を伏せっている。

 去年から心理学を勉強しただけの素人分析でしかないが、もしかしたら深いものを抱えているのかもしれない。格好にしても個人の趣向や事情も加わるので一概には判断できない。

 それに、僕は心理学者でもカウンセラーでもない。予期していなかったTRPGが向こうからやってきたのだ。逃す手はない。

「聞いておきたいんですけど、麻野さんはTRPGをどれくらいご存知ですか? というのもTRPGって結構、下準備が要るんですよ」

 浅野さんはこっくりと頷いた。綺麗系の遊上(ゆかみ)先輩とは違い、彼女は可愛い系だ。『クロノ・ヴィル』で表すなら、遊上(ゆかみ)先輩がメインヒロインの“マリア”で、麻野さんは隠しヒロインの“モモ”だ。でも“モモ”の声(ボイス)は遊上(ゆかみ)先輩でお願いしたい!

「ネットで調べました。全部ではありませんが、なんとなくは。少なくともわたしの周りには、こういうことに詳しい人はいなかったので」
「ですよね」

 だからこそ、入学して間もない大学のゲームサークルにわざわざ足を運んでくれたんだろう。ネットTRPGというのもあるが、水が合わない人もいる。僕はリアルでの経験しかないが、リアルの方が臨場感があって良いと思う。

「じゃあ全くの初心者としてお話ししますね。下準備とか色々についてです」

 なるべく簡潔にわかりやすく説明を試みる。まずTRPGには最低でも三~四人くらいの人数が必要なこと。多人数ゲームのため、スケジュールの都合ですぐにはできないこと。その内のひとりが進行役として、その他のプレイヤーを(語弊はあるが)導くこと。進行役は遊ぶゲームの種類をあらかじめ設定して、皆の同意のもとで物語(シナリオ)をつくること。ゲームは実際の人間(プレイヤー)の会話とサイコロに依るランダム変数を利用して進めること。物語(シナリオ)にもよるが、ゲームは短くても数時間を要し、参加者が一同に会しながら行うこと。

 その他、言動面の配慮。休憩、体調不良によるアクシデントにも対応するし、わからないことは周囲の人に聞けば教えてくれるので心配は無用ということくらいか。

「おうちは遠いんですか? 慣れているメンバーだと僕のアパートなんかでも良いんですけど、麻野さんや妹さんのこともあるから部室(ここ)でやろうと思っているんですが……」

 麻野さんは、狭くて散らかった部室を見渡したので「片付けますから」とフォローを入れる。

「大学までは電車で一時間くらい掛かって。その、妹はあまり遠出ができないので」

 すいません、と麻野さんが頭を下げた。

「じゃあ、僕たちの方が伺いますよ。あ、自宅のほうじゃないです。TRPG環境はなるべく迷惑が掛からないように遊ぶのが第一です。参加者にもそれ以外の人にも。だから近くのカラオケボックスとかでもやることがあるんですよ」
「そうなんですか。あ、うちは全然気にしないでも良いんです。両親ともうちにいる方が珍しいので、ほとんど妹と二人暮らしみたいなものですから」

「そうですか……」場所の方は何とかなりそうだ。ツッキーが承諾してくれるならメンバーも不足はない。

「あとは、TRPGには何十種類のシステム……ゲーム機の種類みたいなものがあって、どれでゲームをするかというのが肝なんですよ。妹さんはその辺についてはどうなんですか?」
「すいません、わかりません」

 まあ想定済みだ。実際は部室に来てもらってシステム決定やキャラクター作りを行った方が選択肢が広い。

「もしよければなんですが、一度妹さんとお会いしてもいいですか? ああ、変な意味じゃなくて、妹さんの希望をなるべく反映したいなと思って」
「それは構わないですけど、うち蒼柳市(あおやぎし)なんで結構遠くて」
「全然大丈夫です。いつくらいが都合良いですか?」

 麻野さんはスマホの画面を食い入るように見てから、「今日、この後とかでしたら大丈夫ですけど」時間割や私用の都合があるようだ。

「すいません。突然過ぎましたね」
「いや……麻野さんが良いならそうしましょう。こういうことはなるべくすぐに行動しましょう。明日以降は授業が重なってるんで、タイミングがなくなるのも嫌ですし」
「あ、ありがとうございます。すいません、わたしの勝手な都合で」
「いいえ、とんでもない」

 ノートパソコンを閉じて専用のクッションバッグに入れる。部屋においてある中でも初心者向けのルールブックを三冊だけ詰める。かなり重いがダイエットだと思えばなんでもない。TRPGのためなら苦にはならない、クイデブは伊達ではない。

「だったら、私が車で送るわ。蒼柳(あおやぎ)でしょう? 私も燈篭坂(とうろうさか)の実家から車で通っているのよ」
「そうなんですか……、ゆかみ、先輩も」
「ええ、電車だと乗り換えが面倒ですものね。おまけに夏場は暑いし、駅構内の自販機って割高だしね」
「そうですね」

 優等生モードの遊上(ゆかみ)先輩。顔は読者モデルよりもはつらつと笑っているが、内面は真冬のシベリアよりも冷たく吹雪いていることだろう。

「私も今日は疲れたから、一緒に帰りましょう。ね」

   ◇◆◇◆◇

 遊上(ゆかみ)先輩のブラウスを洗い終えた、ツッキーこと月森(つきもり)隼人(はやと)の帰還を以って僕たちは麻野さんの実家がある蒼柳市(あおやぎし)に向かうことになった。
荷物が重いために遊上(ゆかみ)先輩の申し出は渡りに船だった。僕たちとしてはありがたい話ではあるが、わざわざ蒼柳市在住などと嘘を吐いてまで送迎してくれる辺りはやっぱり善人(いいひと)だ。

 車で国道を飛ばせば三十分くらい、麻野さんに気を使わせないようにとの配慮なのだろう。事情を話すとツッキーも同行を承諾した。先に顔を合わせるのは大事なことだ。セッションの雰囲気なんかも伝えられるだろうし。
 
「ちょっと狭いけど、我慢してね」人力で水分を飛ばしただけのびしょ濡れスケスケブラウス姿で、遊上(ゆかみ)先輩は愛車ロックを解除した。ブリティッシュ・レーシング・グリーンという長い名前の深緑カラー。丸みのあるボディ上部は一面白色。ボンネットの左右にも黒いラインが伸びる、ツヤのある小型5ドア。

 ずばり「ミニワン」という車だ。ゲームにしか興味のない僕でさえ知っている、街中で走行しているのを見るとカッコイイと釘付けになる。それが先輩の愛車だ。オプション次第では、一台三百万円弱くらいはするのではなかろうか。

 割と良く乗せてはもらっていると思う。距離的にも蒼柳市までくらいなら僕たちにとっては日常茶飯事だ。

 例によって後部座席の扉に手を掛けようとすると、先輩が容赦なく僕の首根っこ(の肉)を掴みあげる。「あらあら子豚ちゃん、どこに行くつもりなのかな?」と、目が語る。

「もう、ブチョーが後ろに乗るとバックミラーが見えなくなるって、いつも言ってるでしょう」と母親のように嗜めてから、助手席の扉を開き僕を押し込む。

 前は正直苦手だ。シートベルトが引っかかって苦しいから。後部座席に乗り込んだツッキーが親切にも僕の荷物を預かってくれる。麻野さんも「お邪魔します」と後部へ。先輩がカーナビに麻野さんの住所を入力する際に、透けた下着(ブラ)を見ないように窓の外を見た。

 エントリーボタンが押し込まれてミニワンが目覚めると、遊上(ゆかみ)先輩は“いつものように”アクセルを踏み込んだ。

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