仕事に貴賤(きせん)はないけれど(後編)
(前回はこちら)
「アットホームで家庭的」を重視するために、また、残存能力を維持するために利用者さんが調理に参加する、という考え方には賛同しますが、しだいに重度化がすすんで調理を手伝える人が0になって、職員だけがバタバタと調理に追われる状況になっていました。
しかし、料理が上手な職員さんだったら「手づくり、家庭の味」を味わっていただく施設の方針もアリ、なのでしょう。だけど、家の調理は妻にまかせっきりの私が、おぼつかない手で野菜を切ったり、フライパンで焼いたり、味付けしたり。
正直、私が作ったこんな料理を出しておいて、まともな金額を請求していいの?と思いました。
それと同時に自分の得意分野を発揮するほうが、よっぽど「世のため、人のため」になる、と思いました。
介護職を下に見ているなんてことはまったくなく、しかし、あえて苦手な仕事をして自分の生産性を低くしててはダメだ、と思いました。
介護が好きで介護が得意な人は介護を、
調理が好きで調理が得意な人は調理を、
ケアマネが好きでケアマネが得意な人はケアマネを、
カイロが好きでカイロが好きな得意な人はカイロを。
こんな当たり前のことに気づくのに、私は遠まわりしすぎた苦笑
私の自己分析をすれば、
ケアマネが好きでケアマネをやりたいのか。
カイロが好きでカイロをやりたいのか。
「うん、好きです」「やりたいです」とは言い切れないですが、
「困っている人、苦しんでいる人、悩んでる人を見て見ぬ振りできない」人間、ではあると思います。
それを解決する方法として、ケアマネやカイロ、という感じでしょうか。
そこに「仕事の貴賤」云々を考える余裕など、まったく無いのだよ。
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