2日目 善と悪
「善」と「悪」
ある者は、「勝者が善」で「敗者が悪」だと言った。
ある者は、「頑張った者が善」で「怠けた者が悪」だと言った。
ある者は、「善悪は見方次第」だと言った。
殺人は悪なのか?
この話題に、ほとんどの人が「YES」と答えるだろう。
しかし、果たしてそうであろうか。
もし愛娘を殺された父親が復讐の為に、殺人を犯したとすれば、
「殺人」という行為自体には、賞賛を与えることはできないが、少なくとも、父親のことを吊るし上げて「悪者だ」という人は少なくなるのだはないだろうか。
だが、殺人を犯してしまった以上、この父親は絶対に善人ではいられない。
鬼から財宝を奪う桃太郎
日本国民であれば全員が内容を知っている桃太郎
悪者の鬼を退治し、鬼の懐にしまってあった財宝を根こそぎ奪い、村へ帰還する
子供の頃これを読んだとき
「桃を切るとき桃太郎も一緒に切れるやろ」
ぐらいにしか感じていなかったが、現在は
「鬼の子供が不憫だな」
と言った感想を受ける。
桃太郎という物語は有名が故に
鬼が村を襲ったり襲わなかったり、財宝を盗んで桃太郎が暮らす村が貧困だったり
多少の違いはあるが、圧倒的に変わらない物は
鬼=悪
という、潜在意識の刷り込みである。
「鬼は悪いんだ」「倒されて仕方がない」
と、子供たちはごく自然に思ってしまう。
ただここで善悪の話を組み込むと、
「何の責任もない小鬼を倒す」
「小鬼の親を殺す」
「財宝を全て取られたことによる鬼ヶ島の貧困」
これらを行った桃太郎御一行は、本当に純粋な「善」であろうか
ある者は、「善悪は見方次第」だと言った。
今までの、話を聞いたり見たりすると、最初に提示した三つの文の三番目が正しいと思うかもしれない。
確かにこの文も間違いではないかもしれない。
しかし、見方を変えただけで、悪は悪であることに変わりはない。
圧倒的な善とは果たして・・・
戦わないことこそが善である
圧倒的な善とは戦わず、争わない事である。
戦ってしまった時点で、勝手も負けても悪であるのであれば、
戦いが起きる前に収めなければいけない。
戦わずして、和解する。
これが一番の善だなと思った1日でした。
ps .
桃太郎の物語の始まりは、老夫婦が子供を授かり産んだはいいものの、
「その歳なのにハッスルしたんだな」
と思われるのが嫌で、桃から生まれたと言ったことから始まったそうです。
(諸説あり)
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