エニアグラムと音楽
今日の松村先生のyou tubuは 今書かれている本の エニアグラムと音楽についてでした。
20250129 体から抜け出し、宇宙に飛んでいく音楽
https://youtu.be/VDsrwU5cA8E?feature=shared
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こういう話好き!
エニアグラム、7の法則、音、音楽7と言えば 北斗七星、虹、プリズム、7つのチャクラ、色々。
インターバルの話もきっと出てくるのでしょう。
**以下、先生の言っている事を、言葉の端っこをちょっと編集書き換え。まとめ。**
*ロマン派は、人の身体の中に閉じ込める音楽。ずっとずっと前の音楽では、身体の外に誘いかけるものだった。それは個人感情としてはあおりが少ないので、退屈な音楽であることが多い
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・Appleミュージッククラシカルというのがあって、大量にクラシック音楽が入っていて、作曲家の人数だけで2万人なんだそうです。一生かけてもこれ聞くことって無理じゃないですか。
・クラシック音楽を基本にした音楽の本を書く時に
Appleミュージッククラシカルを基準に、Appleミュージッククラシカルの聞き方みたいな感じの書き方をしてもいいんじゃないのかな。
Classic音楽と言うと、かなり多くの人がロマン派に集中するのではないかと思う。
<ロマン派>
人間中心というか、人の感情というか、それを中心にして音楽を組み立てていることが多い。それはある意味閉鎖的と考えてもいい。
人間の感情を色々扱っていくけれども、同時にそれは、人から外に広がっていく感情、人の体を抜け出してより高度なレベルに移動していくような感情はそこにはあまり描かれてない
<シュタイナーの発想>、
アトランティス七度が基準だったという。
それに対して、
ある時代から五度が基準の音楽が増えてきて、
現代に近いところは三度を基準にした音楽が多いという言い方をしている。
<3度>
体に、個人の体に縛られた感情という意味。
<アトランティス時代:7度>
体から抜け出して宇宙に飛んでいくみたいな感情、音、音楽
だからそういう意味で言うと、
ロマン派の個人の感情を基本にして、そこに終始するような音楽は、やっぱり三度の音楽、三度を基本にした音楽と考えていけばいいんじゃないのか。
<5度は3度に比べれば解放的。:インターバルを超えているから>
だけれども、これさえがエニアグラムの内側にあって、
それがシュタイナー式の言い方になると、体の壁からは突破しないという意味になる
その辺を習慣的に今までの音楽という事に対するアプローチという所から見ていると、
シュタイナーの発想が、なんというか、いかに異質、違っているというのが浮き彫りになると思う。
そういう風に改めて考えてみると、
ロマン派などのクラシック音楽ではなくて、古典派でも足りなくて、
それよりも個人の感情に没入する時代の前の音楽にもうちょっと目を向けてくというか、それをもっとたくさん聞いてみた方がいいんじゃないのかなと思いますよね。
それこそが本当の意味での感情の育成、情緒の育成っていう風になると思うんですよ。
<音楽による情操教育>
っていうことで考えてるケースって多いと思うんですけども、そもそも音楽で人間的な情操を育てるっていうのは、たぶん無理だと思います。
っていうか、一番不向きなんじゃないのかなと思いますよ。
人間的な情操を育成するには音楽じゃなくて、やっぱり対人関係とかじゃないですかね。
音楽の場合は、対人関係っていうものをスコンと抜いちゃって、もっと宇宙に開かれたような情感みたいなことになることがあるので、
と言っても三度の基本の音楽だったらそうではないですよ。
その辺りで、今書いてる音楽の本も、なんかだんだん面白みが増えてきた感じでです。
つまり、一般の情操教育としての音楽ということとは、たぶん似ても似つかないものになっていくんじゃないのかな、っていう風には思います。