見出し画像

田舎には田舎の事情がある(前編) 海賊の社会は民主主義だった

「田舎の牢獄からの脱出」というテーマでお送りしてきた本シリーズですが、今回を含む数回、ちょっと違う観点でいきます。さんざん私を苦しめてきた田舎の社会にも、それはそれで「そうあるべき」事情があった、というお話です。

といってもべつに「いじめられる側にも問題がある」というようなよくある話じゃありませんので、そこんところは誤解無きようお願いします。

初めに言っとくけど、長いよ? 長いの読みたくなかったら即刻Uターン推奨なり。


民主主義は海から生まれた?

「民主主義は海から生まれた」という説があります。ほんとかよ、なんでだ? と思ったときはこんな本「海賊の経済学」を読んでみましょう。

この本のp.30にこんなことが書いてあります。

「海賊は、自分たちの指導者を民主的に選出し、重要な事柄を投票で決めた。海賊たちは船長に説明責任を負わせ(中略)、船長の支配を弱めるような、民主的な抑制と均衡の仕組みを作り上げることになった。(中略)船長が私腹を肥やす能力を制約することで、民主的な抑制や均衡は海賊的な協力関係に貢献し、それによって海賊の犯罪事業も栄えたのだった」(出典:海賊の経済学-見えざるフックの秘密 ピーター・T・リーソン著)

映画などでは「海賊」というと船長が専制君主のように横暴に振舞うイメージがありますが、案外そうではなく、それどころか地上の社会よりも民主的であったと。ええっ? と思うかもしれませんが、そうなるのには理由があります。「海賊船」というのは、こういう環境だからです(以下、開米の私見です)。

画像1

海賊船というのは要するに、狭い船上で長期航海をしつつ、少ない戦力で、続発する危機に立ち向かわなければいけない環境。

「続発する危機」というのはたとえば海賊を取り締まろうとする官憲であり悪天候であり、他には病気、飢え、分け前争いなどがあります。

海賊船では「人間」こそが貴重な資源

商船を襲撃するとき、官憲から逃げるとき、悪天候に襲われた時などは船員は1人でも多い方がいいですね。たとえば船員10人の海賊船(そんなに少ないわけはないですが例として)があるとき海軍に見つかって追われる途中、逃げるために全員でオールを漕ぐ、といった場面では1人欠けただけで大変な痛手になってしまいます。戦闘の時も人数が多い方がいいのは言うまでもないので、こういう環境では「1人の価値」が大きくなります。そこで、「重要な決定をするときは全員の合意が必要である」という価値観が自然に生まれ、「一人一人を尊重する」という民主的組織文化が発達するわけです。

もし船長がその文化に反して独裁的に振舞い、恣意的に船員を処罰するような行動をしたらどうなるでしょうか? たとえば「戦果を山分けするとき」や「食糧不足の時」は1人でも少ない方がいいので、気に入らない者を追放したり処刑したりしていたら?

船長のその行動を見ていた他の船員にとっては「明日は我が身」です。運良くそのときはターゲットにされなかったとしても、こんな船長の下ではいつ自分が殺される側になるかわからない。‥‥と感じたその先に起きるのはクーデター。狭い船内・少ない人数の中で船長を暗殺するのは簡単なんですよ。船上ですから当然全員がナイフを携帯してますしね。船長だからといって常時護衛で周りを囲んで移動するわけにもいきません。覚悟を決めた誰かがいて、船長に隙が生まれた瞬間にブスリといけばそれで暗殺成功です。

その後は? 船長が本音では船員に支持されていなかったなら、誰も悲しまず、「こいつは殺されて当然の悪であった」として船長の過去の罪状(独裁的な振舞い)を並べ立て、淡々と次の船長を選んで船は進むでしょう。なにしろ海賊船ですから警察は来てくれません。

いつでも暗殺されかねない船長、やりたいですか?

さて皆様、こんな海賊船の船長、やりたいですか? 船長だからといって護衛で身を守ることはできません。ヘマをやらかした船員がいたとして、船長としては妥当と考える処罰をしたとしても、逆恨みされたらグサリとやられる恐れがある。そのとき、他の船員は自分を支持してくれていたなら、犯人は捕縛され処刑されるでしょうが、自分が死んでから犯人を処刑してもらっても救われません。そんな船の船長、やりますか?

というわけで海賊船という組織をマネジメントするためには「船長にとっても船員にとっても安心できる環境」を作る必要がありました。

そこで「安心できる環境」を作るために「掟」が生まれます。たとえば18世紀に活動した海賊ジョン・フィリップスのリヴェンジ号では次のような規則があったとされます。

1.乗組員は全員、命令には従わなければならない。船長は1.5人分、航海長、大工、甲板長および砲手は各々1.25人分の分け前を受け取る
(中略)
3.仲間のものを盗んだものは孤島に置き去りにする
(中略)
5~6.仲間を殴った者、船内で危険な行為を行った者は鞭打ちの刑に処す
7.武器の手入れや任務を怠ったものは分け前を減じる
8.戦闘で関節を失った者には400ピース・オブ・エイトを、四肢の1つを失った者には800ピース・オブ・エイトを与える
9.思慮分別ある女と会ったとき、当人の同意なしに手出しをしようとしたものは即刻死刑に処す
(出典:フィリップ・ゴス著「海賊の世界史」)
(出典の出典:山田吉彦著「海賊の掟」)

さらにこれらの掟に対して「海賊の掟」著者の山田氏はこう言うわけです。

「海賊の掟は、共同生活をするために最低限必要な約束事であり、意外に民主的なもの が多い。他の海賊の規則においても、分け前の分配の明確化、火の取り扱い、けがをし た場合の補償などを定めている。また、獲物の第一発見者に対する報奨金が決められて いる場合もあった」(出典:山田吉彦著「海賊の掟」)

海賊は意外と法治主義&民主主義だった

要するに「掟」というのは船長を含む全員にそれを守る義務があり、守っている限り「俺は正当だ」と主張できる、明文化された規則です。こういうものを現代では「法律」と呼びます。よく読むとその法律の中には「負傷者に対する補償」のように生活保障的なものがあったり、「女性に手を出してはならない」という倫理条項的なものがあったりします。しかも「船長の分け前は1.5人分」・・・って案外というか、「たったそれだけ?」というぐらい少ないですね。

この掟を守るのが当然であり、守っている限り全員がその掟によって保護される、それは船長だろうと下っ端だろうと例外ではない、ということを全員が当然の前提として受け入れている、そんな組織だったら、安心して船長をやれると思いませんか?

もし、「1人の価値が軽い」環境だったらどんな社会になるのか?

そんなわけで「民主的な組織文化」を築いた海賊達、彼らにそんな文化を築かせた「事情」とは、「海賊船では1人の価値が重い」という、どうにも変えようのない事実です。1人の価値が重いからこそ一人一人を尊重する価値観が生まれ、その価値観に則って組織をマネジメントするルールが生まれ、「明文化された法律(掟)」と「価値観」が互いに強化するように働くわけです。

では逆に「1人の価値が軽い」環境ではどうなるのでしょうか?

(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?