青の時代から 若き日のパブロ・ピカソ#2
パブロの青の時代(1901年~1904年)が始まった切っ掛けは、
パリへ共に来た友人が、自ら命を絶ってしまったことでした。
それから、青を中心とした、暗----い絵が続きます。
「抱擁」と「人生」
「抱擁(L'Ètreinte)」(1903年)と言う作品があります。
私はこの絵を見てビックリしました。
「ピカソって、こんなに悲しい絵を描いていたんだ…」と思いました。
3年前のパリに来たばかりの時。
パブロは、同じタイトルの明るい作品「抱擁」(1900年)を描いていました。
「パリで一緒だったはずなのに…」
「傷心旅行で彼を独りにすべきじゃなった…」
パリにまつわる色々な想いが伝わる作品です。
そして「あいつの人生は…そもそも人生は…」
色々と悩み、考え、生まれたのが名作「La vie(人生)」(1903年)です。
「抱擁(1903年)」がモチーフとなりました。(女性のお腹を見ると分かりますね。)
そして立っている男が、死んだ友人だと言われています。
この3枚によって、パブロの人生観に時間的な変化を感じ取ることが出来ます。
数年後、パブロは時間の変化を一枚に落とし込むことができる、キュビスムという手法を生み出していくことになります。
その片鱗が垣間見える作品です。
新たな出会い、時代が変わる
詩人・美術評論家のマックス・ジャコブです。
青の時代のパブロを愛した一人です。
マックスは、パブロを自分の家に呼びました。共に貧乏だったので、昼夜交代で一台のベッドを使っていたようです。
その後、住む場所を「洗濯船」というボロアパートに移転します。
「洗濯船」アパートの様子です。若き日のパブロの写真が載っています。
「洗濯船」の近くの酒場で、イタリア出身の豪快な詩人・アポリネールなどと出会います。
彼は後に「Sur-Réalisme(シュルレアリスム)」の名付け親にもなります。
こうした友人との出会いに、少しづつ青の色が変わっていきました。
突然の出会い
「洗濯船」の出会いで最大のものは、フェルナンド・オリビエとの出会いかもしれません。
雨宿りに「洗濯船」に入ってきたフェルナンド。
アポリネールの知り合いで、絵画モデルをしていました。
その美しい女性フェルナンドに、パブロは専属モデル(兼・恋人)になって欲しいと願い出て、OKをもらいました。
ここから絵の色合いが全く変わっていきます。
黄土色のような色が増えていったのです。
人との出会いで芸術は変わるものだという好例です。
(実は、フェルナンドは偽名です。彼女の人生も色々ありました。)
バラ色の時代(1904~1906年)
頭の中がバラ色という意味…ではないはずです。
フェルナンドのお陰で、精神が安定してきたパブロは、フェルナンドというモデルではなく、サーカスのピエロなどの絵を描き始めました。
結果的に、使う色に「薔薇のような色」が増えたという事です。
バラのような色はこういう色の赤です。
青の時代とは違う趣ですが、これもまたパブロらしい赤ということです。
さぁ、こうして心が安定してくると、やってきます。
「革新」の鼓動が!!
ついにキュビスムの誕生です!!
(#3へつづく)