コーチングを学んで気づいたこと(1/3)
この記事では、最近の私の心境についてお話します。
人生で最も自分の本音と向き合った期間
ここ数か月間ずっと、自分と向き合って考えていました。
それは2021年4月から「認知科学コーチング」を学び始めたのが、キッカケでした。
コーチングといっても、世の中には様々なものが存在していて、私が学んでいるのは「認知科学」という学問に基づくコーチングです。
認知科学コーチングに出会って
認知科学の観点から人間の脳のカラクリを知ることで、自らの判断や行動を客観的にみることができるようになり、たくさんの気づきがありました。
自分の「マインド」「心」の変化、「行動」の変化を実感しています。
これまでに、スクールの先生の教えやたくさんの先輩コーチの方々、スクールの同期たちとお話をしてきてわかってきたこと。
それは、自分がいかに周りの人の声や状況に影響を受け、判断を左右され、自分の本音ではない思考で物事を捉えて行動していたかということでした。
それも無自覚に、無意識的に。
そして、自分の本音に蓋をして生きていたということに気がつきました。
自分では人生の大きな決断から日常の小さな選択、その先の行動のほとんどを、自分自身の本音で決めていたと思い込んでいました。
でも、実際にはそうではありませんでした。
実際には、無意識的に自分の本音ではない思考によって判断し、行動したことを自分自身の本音だと思い込んでいました。
そして、自分の本音で正しい選択をして生きてきたと、自分を納得させるための理由を考えて後付けしていたのです。
その理由も、もちろん自分の本音ではないものでした。
いつも自分は、無意識に自分の判断や行動を他者と比較したり、他者の承認を求めていたということに気がつきました。
他者と比較して自分が優位かどうか、他者に承認されることで自分の判断や行動に意味や理由づけをして、自分の中で「正しい」「正解」というラベリングがされて納得感を得る。
何をするにしても「他者比較」「他者承認」をされないといけない。
つまり、自分自身に物事の判断をする軸がないということでした。
今まで「自分」と思っていた意思が、本当の自分ではない。自分は本音で生きていなかったと気がつきました。
コーチングを学び始めて以降、今までの人生で最も自分と向き合った中で見えてきたのは、これまでの人生で培った自分自身の凝り固まったマインドでした。
自分の判断や行動の裏にあった思考が、自分自身の本音ではなく、ほとんど「他者依存」でした。
私の人生に登場した家族、友人、知人、先生、先輩、後輩、上司、世間・・・・・
これらに対して、
と決めつけて、無意識にそうでなくてはならないと思い込んでいました。
これらすべてが自分自身の本音ではなく、生きてきた中で周りに刷り込まれてきたこと。他者との比較や評価、承認を気にした末に出来上がったルールであり「他者依存」の思考でした。
そして、様々な「なくてはならない」「すべき」「have to」によって、自分自身の本音ではない判断や行動を引き起こしていました。
さらには、お金、場所、時間、年齢、能力、経験といった「制約」や、自らにかけていた「〇〇だから出来ない」という「呪い」の数々。
これらの因子によって、自分の本音ではない「他者依存思考」で判断して行動し、変化を恐れて何となく居心地の良い範囲に留まろうと「惰性」で生きていたと気がつきました。
本音の欲求で判断して行動することを抑制し、自分の可能性に蓋をする。自分ができる想像の中の狭い範囲で思考する。理由をこじつけてそんな自分を納得させる。
自身の判断や行動に「正しい」とラベリングして「自己正当化」しては繰り返す。そんな負のスパイラルが回り続け、人生の大切な時間を費やしていました。
結果、変わりたいと思ってもやらない理由を思考しては、何も行動を起こさない。思考や環境を変えることをずっと恐れていました。
そんな生き方を積み重ねて自分のマインドが形成されていき、自分を守るバリアのようなガチガチに凝り固まったプライドが生まれ、自分の本音を抑制するのが上手になっていた。
これまでの人生を振り返って、自分が本音で判断して行動出来たと思えることは、ほとんどなかったという事実に驚愕した。
「やりたい!」だけで行動する
これまでの人生で、強いて挙げるとするならば、3歳から中学3年までずっと続けてきた水泳を辞め「アメフトがやりたい!」と親に言って、アメフト部のある高校に入ると決めたことくらいでしょうか。
たまたま父親がテレビでアメフトを観ていて、高校にアメフト部があるとわかると、自分もやってみたい!と急に思い立って行動しました。
小学生の頃は、水泳でオリンピックに出る!と本気で考えていました。
でも、中学生になって成績も振るわず、水泳でオリンピックは難しいと思うようになってからは、何事にも無気力的だった気がします。
そんな時、テレビで目にしたアメフトというスポーツは、究極の身体能力を追い求めた先にある最強のスポーツといったように感じられました。
行きたい高校にもアメフト部があることを知り、やったこともない、ルールもわからない、まともに試合すら観たこともなかったアメフトを、自分の身体能力なら出来ると、なぞの自信を持っていました。さらには、自分はアメフトで日本一になろうと思っていました。
結果、高校から始めたアメフトは大学4年まで7年間続けました。
高校の時はALL JAPANに選抜され
大学では学生日本一2回、準優勝1回。
とにかくアメフトが上手くなることが楽しく、自分の理想のプレーを追い求めてトレーニングにはげみました。
自分の「成長」と「進化」がたくさん実感できたアメフトがとにかく楽しく、ほぼ毎日の部活動の時間が本当に大好きでした。
周りが弱音をあげるような厳しいトレーニングも自分に負荷をかけて追い込み、楽しむことすら出来ました。トレーニングの後は充実感で満たされました。
しかし、大学4年でアメフトを引退してからは、再び自分の本音ではない生き方を無意識に選択するようになってしまいました。
続きはまた次回お話しさせていただきます。
ありがとうございました。
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