「面倒見のいい」大学とは?

管理人Iです。この記事が公開されるのは大学入試共通テスト翌日。いよいよ入試シーズンが本格的にやってきます。受験生は自分の第一志望に入学できるか、我々大学職員は自大学が志願者数を伸ばせるか、定員を満たせるか、それぞれ様々な思いを抱えながらこの時期を迎えています。我々大学職員はオープンキャンパスや進学相談会などで大学のアピールをする際に「うちの大学は面倒見の良い大学です」なんて何気なく使うことがあります。ですが私は最近「面倒見の良い大学」という言葉が気になってしまうのです。「面倒見のいい」ってなんだろうと。特に中小規模大学では言いがちなフレーズです。

大学は教員も職員も限りある人員で運営しています。そんな中で日々の学修支援、生活支援、進路支援、そのほかトラブル対応など学生に関わる支援に関して、全ての学生とじっくり深く関わっていくことは殆どの大学ではやはり無理だと感じます。

だけど多くの大学が面倒見のいい大学と自称している。つまりそれは一部の学生に対して懇切丁寧に対応していることで、そのように自称しているのではないかと思うのです。一人の学生に100の力を注いで丁寧に支援する一方で、他の学生に対しては5しか支援していないことがあるのではないか。それは少し違うのではないかと最近感じるわけです。

私の思う面倒見のいい大学とは「一人の学生に対し100、他の学生は5の支援」ということではなく、「学生全員に対し30の支援」ができている大学ではないかと思うのです。つまり全ての学生が最低限以上の支援を受けられている状態。

手のかからない学生は何の支援をしなくてもいい、ということではなく、学生の自立、自律を促せるような支援を全員に対して行うことの方が望ましいのではないか、その方が高等教育機関として望ましいのではないかと思っています。教職員の自己満足ではなく、本当に学生のためになる支援を考えるということでしょうか。

面倒見の良い大学の定義はそれぞれの大学で違うと思いますが、「面倒見のいい」大学であることをアピールするのであればその定義は各大学でしっかり議論され、全教職員で統一されたものでなければならないのかもしれません。その議論ができてはじめて「面倒見のいい」大学と言っていいのかもしれません。要はそれくらい「面倒見のいい」という言葉には責任が伴うとも言えるのではないか、と考えています。皆さんの大学ではいかがでしょうか?

【管理人;I】

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