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ガンジス川を見る

コロナの蔓延は人の蔓延を制しした。

Go toと背中を押されても腰は重い。 


国外となれば尚更。
それでも毎日上空を浮かぶあの鉄の塊に一体何人の人が運ばれているのだろうか。


社会人である僕の場合、
どっちにしたって仕事だと諦めもつくものだが、
せっかく自由に動ける時間を与えられた人たちにしてみればたまったもんじゃんない。


僕が私立の学生だった時分、

大学とは
人生で1番海外に行ける期間だ
と立派な信念を持って僕の頭の上をビュンビュン飛んで行った輩がいた。

SNSを開けば、
聞いてもないのに奴らの

"楽しもうよ"の押し売り合戦が繰り広げられた。



インドに行けば人生観変わるよ。

って言ってる奴らの人生観なんて大したことはないと揶揄した。


要するに、


貧乏人だった僕は奴らを妬んでいた。



インドなんて行かなくたって、
いつもの通勤、通学路を敢えて避け
一本裏道を歩けばいい。
そこにガンジス川が広がってることだってあるんだから。


そんなことを奴らに言ってやった。

いや、自分に言い聞かせていたのかもしれない。


そして毎度、どっかからの受け売りの小咄を1つ添付してやるのだ。


とある会社員の話。

その女性は毎日同じ時間に起床し、
同じ時間に家を出ていつもの商店街を抜け駅へと向かう。

そしていつもと同じ足取りでホームの定位置にて電車を待つ。


同い年くらいのサラリーマン男性が横に並び、
後から学生が自分の後ろに並ぶ。


景色すら同じ。


自分のルーティーンに合わせてるんじゃないかというくらい、周りの景色が固定されていた。

そんな毎日を過ごして数年。

初めて彼女は寝坊した。


いつもの電車に乗るため、急いで駅へと向かう。
ダッシュで階段を駆け上がり、ホームに着いた時には電車が出た後だった。

息を切らしながらホームの定位置に並ぼうとすると、
1人の男性が階段を駆け上がってきた。

どうやらその男も電車に乗り過ごした様子。


パッと顔を見ると、
いつも横で電車を待っている同い年のサラリーマンだ。


その時、初めて2人は目を合わせ、
女が「電車行っちゃいましたね」なんて声をかける。


この時だ。

景色の1つだった男とのこの今が、
彼女にとって1人の特別な異性へと変わる瞬間だった。

2人の決まりきった時空の歪みが重なりあって1つの奇跡が誕生したのだ。

ちなみに2人が最終的に結婚したというのがオチだ。


そんなドラマみたいなノンフィクションを偉そうに話した上で、
いかに海外遠征が無駄かを説いてやる。


そんなことを話すことこそ無駄だったのだが。



兎に角、そのくらい自分は嫌味な奴だったのだ。

それが皮肉なことに、


今になって自分が1番身に染みて感じている。

社会人になって多忙な日々を送り、

変化もハプニングも恋人もいない、

コロナなんて関係なく平凡なこの時空に住む僕に。



そんなことを思い出した、仕事終わりの日曜日。


映画「花束みたいな恋をした」を観たばかりの僕は、
いつも以上に感傷的だ。


今日はちょっとだけ遠回りして帰ろう。


目黒川を見に。



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