kAii
表紙のつけようがないような話ばかり。
コロナの影響でバングラデシュから日本に一時帰国した友人との同居生活の日常。
毎回1話完結の短い物語。
今年の4月の始め頃、 トロントに移住した。 玄関口のユニオン駅に降り立ち、 目の前に広がる高層ビル群と、 トロントのシンボルタワーに圧倒された僕は、 残雪の街を行き先も無く歩き続け、 初めて見る風景の中に身を委ねた。 それから暫くしてある事に気付いた。 欧米人の中に多様な民族が入り混じる特殊な雰囲気が漂うこの地で、 不思議と僕はどこか落ち着きを感じていた。 歩いていくうちにそれが何でかは直ぐに分かった。 日本、中国、韓国といったアジア諸国に限らず、 様々な国の専門店があちこ
窓の外をぼんやり眺めていた。 何がそんなに面白いんだろ。 何処から来て何処へ行くんだろ。 てか、僕たちはどう見えているんだろ。 次第に入り込んでくる情報に反応しなくなって、 コーヒーを握ったまま心を遠くに飛ばした。 前の職場のテレビ画面は何故か、 渋谷のスクランブル交差点のライブ映像だった。 信号が変わる度、アメーバみたいに蠢く雑踏に何故か吸い込まれるように見入っていた。 トロントのビジネス街に渋谷のような人集りは無いけれど。 窓ガラス越しに横切る群衆を眺めながらふと、
トロントに来て5ヶ月が過ぎた。 遅延した電車のアナウンスも、 街で見かけるカップルの喧嘩も、 ふとマックのポテトが食べたくなった時も、 ベッドから聞こえる窓の外の喧騒も、 全部が馴染みの無い言語によって行われる。 そんな環境下の僕の英語力は相変わらずで、 オンライン英会話に登録してしまおうか、 なんて本末転倒な考えすら頭を過ぎる。 ただ唯一、海外に染まったなあと思う事がある。 幽霊の存在に疎くなった事だ。 薄暗い所で感じるあの奇妙な居心地の悪さや、 誰かに見られて
僕はパンが嫌いだ。 朝食は決まって米と納豆と味噌汁。 今となっては朝食を取る習慣は無いのだが、 起きて直ぐ体に何を取り込むかと問われればそう答える。 朝だからというわけではない。 いつ何時、パンの類は求めない。 ピザもクレープも僕に言わせたら一緒である。 思い返せば、中学生以降、パンを食べたいと思ったことは一度もない。 なぜ中学生の時からなのかは分からないし、 パンに対する過去の因縁や恨みもない。 だから「理由は」と問われても困る。 とにかくある時を境に自分の意志でパンを食
閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声 松尾芭蕉が『奥の細道』で詠んだ有名な一句。 芭蕉はミンミンとうるさいあの蝉の声が、 岩にしみ入るほど閑か(しずか)だと感じたのだ。 解釈は任せるが(偉そうに、知らないだけ)、 蝉の鳴き声が聞こえているのに聞こえてないような、 確かに鳴いてるがそこには静寂が漂うなんてコトがある気がする。 そうそう。 いつだって気が付けば蝉が本気で鳴き始め、 本格的な夏の到来を迎える。 この夏はコロナに加えて熱中症のダブルパンチに、 電力不足が追い打ちをか
連休の高速は思いの外空いていた。 なんのストレスも無く車は都会から離れ、 あっという間に田舎の景色が飛び込んだ。 それから、僕たちはさらに山奥へと車を走らせ、 東京から2時間半かけて目的地へと辿り着いた。 北関東のそこは山々に囲まれた山谷のような場所で、 目の前には大きな湖が広がる温泉地だった。 湖畔を囲むように立ち並ぶ古い旅館の一つに僕だけが滞在した。 というのも、 僕以外の同伴者たちは別のホテルに宿泊したからで、 他のどんな旅館よりも豪華な外観の いかにも新参者といっ
男なら誰しもが週刊少年ジャンプを読んでいるだろう、 という偏見にも近い思い込みが僕の中に常にある。 学生時代。 月曜の学校帰りは友人とお決まりのコンビニに立ち寄り、 雑誌コーナーをあたかもプライベートゾーンのように陣取って長時間の立ち読みをかました。 『友情』と『冒険』が詰まった名作たちの集合体が300円以下という低価格で売られていても、 学生の財布事情からすれば毎週購読の出費は痛かった。 今思えば、 それは都合の良い口実に過ぎなかったかもしれない。 『週刊少年』という名
流れていく景色をぼんやり見ながら、ただ揺られていた。急な雨が降ってきても、倦怠感とも違う単なる無関心に支配された私は、たかだか数センチからの侵入など気にも留めず、時折それが目に落ちて来ようがただ無意識の瞬きが増えただけだった。 それを許すまいと運転手が窓を閉め、こちらに何かぼやいてきたのでイヤホンを耳に押し込み遮断した。 「え~、人にはそれぞれ辞めようと思ってもついついやってしまう所謂癖ってのがありましてぇ。ちっちゃい頃からの癖が、それが大人になっても抜け出せないなんてこ
広い空ってのは、 都心で暮らす人にとって、 それだけで世界遺産級の感動がある。 ただ、空の写真を撮って「綺麗でしょ?」の押し売りみたいにやたらSNSに投稿する人たちがいるけど、 あれは本当にみっともない。 仕事で羽田にあるHICityという施設に行った。 少し時間があったので施設の野外スペースに出てみると、ちょうど日没の時分。 土地柄、背の高い建造物は建てられないため、僕の視界にオレンジ色と薄い青色の層だけが広がっていた。 その遠くの端っこの方には、 富士山の輪郭がしっ
時刻は12時を過ぎ、 群衆は一斉に同じ方角へと動き出す。 深夜の新宿に僕だけ取り残された気持ちになった。 僕は激しい酔いの中、街の片隅でまだうずくまっている。 「ねえ」 そんな声がした気がする。 顔を上げたら、 まるで捨て猫を哀れむ様に見つめるミズキ先輩の姿があって、 「どうして?」 と僕が言うもんだから、 先輩も 「なんで?」 と返した。 そういう人だ。 大学の同じ学部のミズキ先輩とは、 たまたま授業で知り合い、たまに喫煙所で会話するくらいの仲
寝ようにも寝付けない。 いや、寝ることを諦めて寝ないだけかも。 いやいややっぱり寝たい。 そうやって、また枕元のケータイを手に取り、 煌々と灯りが僕の顔を照らす。 暫くして焦燥感に煽られケータイを枕元に戻し、また目を瞑る。 眠れない。 ラジオでも聴きながら寝ようと決め、 また灯りを灯す。 画面を下にして、 ラジオパーソナリティの声に包まれながら目を閉じる。 最近観たばかりの映画の評論が始まった。 湯を沸かすほどの熱量でありながらも、 優しく安堵する声色で滑ら
2021年もあと数日で終わる。 過去に意識が飛ぶと結局のところ落ち込むだけだから、 あまり1年を振り返るとかはしたくない方なんだけど、 時折無意識に過去に引っ張られて嫌になる。 聞かれはしないが、 2021年はどんな年って聞かれたらこう思ってしまう、 進んでいた物に見えないブレーキがかかって、 周りを見たら同じような現象が起きていて、 それでもどうにか前に進もうとしても中々進まない。 抽象的な言葉でまとめる癖がある。 それも自分の嫌なところだ。 夏に思ったことがある
日々の生活に充足感を感じている人、 豊かな暮らしを送っている人、 仕事もプライベートも上手くいっている人、 これらの人たちに共通していることがある。 必ずと言っていいほど、彼らの生活の中心に ルーティーンがある。 この自己啓発本的な入りに打って変わって、 僕の生活にルーティーンはない。 ましてや、色んな偉人や成功者を列挙して いかにそれが大事かを説いた末に、 ルーティーンのないことに罪悪感を与え、 焦燥感を感じさせるつもりも無い。 とゆうか、そんなこと出来ない。
コロナの蔓延は人の蔓延を制しした。 Go toと背中を押されても腰は重い。 国外となれば尚更。 それでも毎日上空を浮かぶあの鉄の塊に一体何人の人が運ばれているのだろうか。 社会人である僕の場合、 どっちにしたって仕事だと諦めもつくものだが、 せっかく自由に動ける時間を与えられた人たちにしてみればたまったもんじゃんない。 僕が私立の学生だった時分、 大学とは 人生で1番海外に行ける期間だ と立派な信念を持って僕の頭の上をビュンビュン飛んで行った輩がいた。 SNSを
江戸時代後期の話。 江戸の三代改革の一つ、 天保の改革とやらが老中・水野忠邦によって打ち出された。 天保の大飢饉とやらがあって、 食糧不足、人口増加、物価の上昇が起こって 幕府がそれに対処しようということで行った改革だ。 具体的にどんな改革だったかと言えば、 人返し令、株仲間の解散、徹底的な倹約、上知令。 簡単に説明してみる。 人返し令とは、人口増加によって食糧不足になったことをうけ、田畑を捨て地方から江戸に流れ込んだ農民を強制的に故郷に返し耕作させて年貢を納めさ
2020年も終わり、 2021年になったわけだが。 今年ほど年を跨いだ感の無い年はない。 そう感じたのは、 盛大なイベントも人の動きも、テレビのド派手な番組も、実家でくつろぐひと時も殆ど無かったからなのか。 コロナの感染者数が急増したせいなのか。 少なくとも、 めでたい! と自然と沸き起こるあの正月特有の雰囲気はどこに行っても感じられなかったに違いない。 そんな年を跨いだ感の無い一方で、 しっかり僕らは歳をとり、 代謝の悪さとあらゆる体の劣化に落胆する。