社会心理学は社会に提言できるか(1)
Covid-19下の社会で社会心理学者は何を考える?
2021年8月開催の日本社会心理学会第62回大会(帝京大学、オンライン開催、2021/8/26-27)において、Covid-19パンデミックを受けて「新型コロナウィルス1」「新型コロナウィルス2」というポスターセッションが設定されました。この機会を捉え、同セッションでの報告者に、社会心理学と社会の関係を問う、質問を投げさせていただきました(質問全文はこちら)。
現状の社会心理学から、新型コロナ対策にかんして何かしらの提言(社会的提言、政策提言)などをすることは、どの程度まで可能/適切と考えますか。Covid-19パンデミックに対して、社会科学の知見を積極的に発信するべきという立場と (Van Bavel et al., 2020など)、それらの知見はまだ頑健性や一般化可能性が低く、慎重であるべきという立場があるように思われます(IJzerman et al., 2020など)。新型コロナに関係する研究をされている立場から、ご意見をいただければ幸いです。
noteでは、大会終了後の公開をご了解いただいた回答を紹介していきます。かなりのボリュームとなったので、複数回に分けて投稿する予定です。おおむね回答いただいた順で紹介していきますが、多少の前後はあるかもしれません。
質問と回答は会期中にオンラインで行われました。限られた時間内でいただいた回答であることをご承知下さい。当の質問者である私自身、自分の回答を見返して、一貫していない所、説明不足な所があります。それを踏まえた上で、敢えて修正を加えずに紹介しています。
質問を投げるにあたっては、同セッションでの私の共著者から意見をいただきましたが、責任は全て平石に帰します。また各回答者への返信は私が書きました。
以下、回答者の名前と所属、学会での報告タイトルと共著者名、頂いた回答、私からの返信を紹介していきます。私の書いた部分については、読みやすさのために挨拶を削るなどの編集を行いました。
平石 界 (慶應義塾大学 文学部)
行動免疫は内外集団への態度を予測するか:
日本、中国、米国、英国、伊国でのWeb調査から
平石 界 慶應義塾大学
三浦 麻子 大阪大学
中西 大輔 広島修道大学
Andrea Ortolani 立教大学
三船 恒裕 高知工科大学
李 楊 名古屋大学
回答
質問者本人(平石)の回答を書いてみます。
私は社会心理学の現時点での(ほとんどの)知見は、その頑健性が不確かなものであり、社会的提言や政策提言に耐えうるものではない、という意見です。
再現可能性の問題(頑健性の問題)だけでなく、サンプルの偏りや小ささの問題(一般化可能性の限界)や、用いた実験や質問紙がどれだけ現実社会での行動と関連するか(妥当性の問題)など、社会心理学の知見には、社会に対して具体的に何かを言うのには、ふわふわし過ぎているものが多いからと思うからです。
もちろん社会心理学の知見の中にも、頑健で、高い生態学的妥当性と一般化可能性を持つものがあることを否定はしません。問題は、どの知見がそうした信頼に足るものなのか、良く分からないことにあります。「これは大丈夫」「これはちょっとまって」「これは恐らく間違い」という見分けが付かない、ということにあります。
そこで大事なことは(Ijzermanらの受け売りになりますが)、様々な研究知見がどれくらい信頼に足るものなのか、学会の内外で使える目安(evidence level)を作ることではないかと思います。もっとも、Ijzermanらが提案しているレベル分けは、若干、研究者視点に寄り過ぎなところもあるように思っています。つまり、そのまま使えば良いとは思っていません。しかし、こうしたレベル分けに研究者も、研究者でない人も注意を払って、さまざまな知見を扱って行くべきではないかと考えます。
例えばCovid-19を巡っては、ワクチンやらイベルメクチンやらについて科学的に話をする時には、もの凄く厳密なレベルで、その効果や安全性についてデータを積み上げてから話をしますし、それをしないで思いつきで取ったようなデータから何かを言うと、イソジンのような話になるわけです。社会科学者による社会的発言は、ワクチンやイベルメクチンよりもずっと緩くてやって良いのだ、という理屈は立たないと思いますし、だとすると、evidence level の不明なもの/低いものについては、そうであることを、かなり意識して発信していかねばならないと考えています。
宮崎 弦太さん (学習院大学文学部心理学科)
マスク着用における利他的動機と主観的幸福感:日誌法調査による検討
宮崎 弦太 東京女子大学
坂本 優香 東京女子大学
高橋 楓 東京女子大学
回答
ご質問いただきありがとうございます。
得られた知見がどのようなサンプルから得られたものであるか、どのくらいの効果量なのかに応じて、その知見に基づき提言できる可能性、またその適切性は変わってくるかと思います。
例えば、今回の我々の研究の場合、限られたサンプルに基づく結果であり、また、マスク着用における利他的動機が着用者の主観的幸福感に及ぼす正の影響は、統計的には有意であるものの、その効果量は必ずしも大きいものとはいえません。そのため、この知見に基づきマスク着用に関する提言をするには、まだ知見の蓄積が必要であると考えています。また、調整要因についてもきちんと検討したうえでないと、本人の心理特性や社会環境によっては、同じ心理・行動傾向がかえって悪影響をもたらすようなことも考えられます。
平石の返事
ご回答ありがとうございました。
効果量の大きさもまた、重要な問題ですね。他方で、効果量が小さいと言っても、それが頑健なものならば、巨大な規模で実施することで大きな社会的効果を持ちうるという議論もあるかと思います。心理学研究において効果量の大きさをどのように評価していくべきなのか、評価することができるのか、という問題も、まだまだ検討が必要であると思います。
改めまして、有難うございました。
工藤 大介さん (東海学院大学人間関係学部)
COVID-19ワクチン接種の促進・阻害要因:
第2回緊急事態宣言下におけるデータからの検討
工藤 大介 東海学院大学
李 楊 玉川大学
回答
工藤@東海学院大です。ご質問ありがとうございます。
以下の回答については,完全なる個人の感想・感情論です。それを踏まえた上でお読みください。
この問いに関しては非常に回答が難しいですが,工藤の考えとしては「積極的に発信すべき」という立場に近いです。というのも,今一度社会心理学者,いや心理学者の皆様には東日本大震災の時のことを思い出して頂きたく思います。
現在COVID-19禍の中で,日本国内だけでなく世界的な混乱にあります。しかし,それと同時に東日本大震災から10年の節目でもあります。その間我々には何ができたでしょうか。そして,何をしてきたと総括ができるでしょうか。結局のところ,(私を含め)散発的に研究成果が発表されるだけであり,大きな提言やセオリーがまとめられる・出されることは無かったのではないでしょうか。私は当時大学院生でしたが,ある先生の「東日本大震災に対して心理学にできることは何もない」という言葉に反発し,風評被害関係の研究を進めました。しかし,結局のところは研究成果は宙吊りとなるばかりで,その先生の言葉通りとなってしまいました。
結局,これらの研究が政策決定や意思決定に反映されることは殆ど無かったと,私は考えています。それは為政者は意思決定者の責任ではなく,丸投げにしてきた,身内だけで自己満足になってきた,積極的に発信をしてこなかった我々に責任があるのではないでしょうか。この反省や総括すらできていないまま,COVID-19の研究に突入をしていて,非常に危うく見えています。
そして,現在,同じような状況にあると考えています。今後も世界的にCOVID-19に関する社会科学的な研究成果が発表されていくでしょう。現に今回の社会心理学会でも2つのカテゴリに渡って,数多くの研究発表がなされました。しかし,これらの研究が今後同じように意思決定等に活用されるのでしょうか。また歴史の陰へと消えていくのではないのでしょうか。身内だけで盛り上がり,はい終わりでは済まされないのではないでしょうか。その活用に向けての方策を提案・進言していくのも,学会,そして研究者の役割の一つであると思われます。あとは野となれ山となれでは済まされません。だからこそ,「積極的発信」の立場に立ちました。
確かに,現在社会科学,殊に社会心理学は非常に危うい立場にあります。再現性の問題や倫理的違反行為によるものです。これらを自身で律する・反省する・総括することは,何よりも優先されるべきだと考えます。現に様々な方策が提言されていますので,それらに沿うことでより研究の信頼性や頑健性の担保につながると思います。ただ,その「前科」に委縮していては,また研究成果が,それどころか社会心理学自体が歴史の陰へと消えていくのではと懸念しています。
特に今の若手の方々は,信頼性や頑健性の問題が叫ばれるようになってから,大学院に進んでいます。現に私も大学院に進学してすぐに,この問題が大々的に俎上に載せられていました(Bem論文のあたりです)。なので,世代が若くなるにつれて,信頼性・頑健性問題に関しては非常にセンシティブであり,非常に真摯に取り組んでいると見えています。その現状や若手世代の在り方を無視し,ただ只管に危機ばかりを煽り・訴えるのは,界隈に対し不誠実に思えます。
最後に,このような(社会的・学界的)危機的状況だからこそ,今一度自身の役割を思い出して頂きたいです。研究者・学会として研究を進めていくのはもちろんのこと,社会的な発信にも今一度主眼を置いて頂きたい。科学振興のためにJAASといった組織が出来ていますが,社会的発信・アウトリーチに関しては,興味・関心のある人に任せればよいという考えは改められるべきです。そもそも論として,我々の役割には,社会的発信が含まれていると考えています。だからこそ(今こそ),その在り方を問うべきだと考えます。
以上です。乱筆・乱文にて失礼致します。
・本見解に関しては,工藤自身の個人的見解です。
・本見解のコピペ・まとめ等に関しては平石先生にお任せ致します。
・コピペ・まとめの際は顕名で結構です。
平石の返事
ご返信、有難うございます。
ECR(Early Career Researcher)の方からの見え方が非常に参考になりました。ECRの方の中にも、いろいろな意見があるだろうことは承知した上で、なるほど、と思いました。質問を投げてみて良かったです。
ECRの人ほど、信頼性・頑健性にかんして誠実に取り組んでいるという話は励まされるものです。他方で、例えば私が調べた限りでは、昨年度に国内の心理学系の雑誌(で、Jrecで見られるもの)で公刊された論文の中に、事前登録をしているものは、ほとんど見られないという状況もあります(私の調べた限りではゼロですが、カバーできてない雑誌もあり、ざっと検索しただけなので見落としの可能性も高いです)。これから再現性問題後に大学院に入られたような方が主導した投稿論文がどんどん載ってくるようになると状況が変わるのかも知れず、それはとても嬉しいことです。
危機感ばかりを煽るのは不誠実というご意見には、同意するところです。こちらについては、別に考えていることがあるのですが、話が広がりすぎるので、ここでは控えておきます。また別の機会に話ができると思いますので、その時はよろしくお願いします。
最後に、社会的発信を積極的に行うにせよ、控えるにせよ。それについて考えることには積極的であるべき、という点では工藤さんと意見が共通するのかな、と思いした。
改めて、有難うございました。
第1回はここまでとします。続きを楽しみにお待ち下さい。
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