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Door-In-The-Faceが追試成功したという話

泣く子も黙るドア・イン・ザ・フェイスが追試に成功したという話を耳にしたので論文を読んでみたので簡単にポイントをメモしておくことにしました。分かってる人向けに誇張して書いてますので、良い子は原典を読もうね

ドア・イン・ザ・フェイスとは?

あれです。人に頼み事する時に、10を頼みたいなら、まず100くらい無茶苦茶な要求をして、断られてから「じゃぁ、10ならOK?」って頼むと、引き受けてもらいやすくなるよねって話です。「お皿洗っておいて」じゃなくて「お皿洗って、洗濯畳んで、お茶入れて、なんならデザートにコンビニスイーツも買ってきて。あ、出掛けにお風呂にお湯も張っておいて」と頼むと、結果的にお皿を洗ってもらえるというやつ。「影響力の武器」で有名なチャルディーニ先生が1975年の論文で発表してます。なお10とか100とかの数字は全く根拠なく適当に書いてるから、良い子はここだけ見て「10倍のお願いすると良いらしいよ」とか流布しないように

追試してなかったの?

もちろんこんな面白便利な話ですから、後追い実験は山ほど行われてきました。で、そういう実験結果を統合して分析するメタ分析ってことも行われてきました。その結果、ドア・イン・ザ・フェイスは効くらしいってことだったのですが、困ったことが1つ。公刊バイアス(publication bias)と言うのですが、うまいことドア・イン・ザ・フェイスが効いた実験結果だけが論文になっている可能性が否定しきれない。「やってみたけどドア・イン・ザ・フェイスは効かなかったよ」という話が闇に葬られて...というと大げさですが、研究室の引き出しにしまい込まれている可能性が否定できない。だからここでちゃんと追試しましょう、ということになったのです。

あと今回の追試の著者たちが強調してるのは「古典研究の追試があんまりないじゃない!」という点でした。ここ10年の心理学の再現性危機で、色んな研究の追試が行われてきたのですが、だいたいそれらって1990年代後半以降の研究じゃない? 社会心理学興隆の礎を築いた、1970年代とかの「ザ・古典」の追試がされてないよね。それで「社会心理学は追試できないのがほとんどだ!」とか言ってるのは、バランス悪くない? ザ・古典は追試できるかも知れないじゃない?! と著者らは訴えます。

互恵的譲歩?

どうせ追試するなら、なんでドア・イン・ザ・フェイスが効くのか。その仕組みも検討できたらね、というのが、著者らのもう一つのモチベーションでした。なぜ人は、無茶苦茶を頼まれた後だと、引き受けてしまいがちなのか。少なくとも2つのアイディアが示されてます。まずチャルディーニ先生たちが言ってたのが互恵的譲歩というアイディア。洗い物と洗濯物とスイーツと風呂張りをお願いしたいところ「まぁ洗い物だけで良いよ」と向こうは譲歩してくれた。それならこっちも譲歩して、少しくらいは手伝わないとなぁ。歩み寄り大事。ということで引き受けるのではないか。

もう一つの可能性が「続けて断るのは嫌だよね」という理屈。相手の頼みを2回も続けて断るのは流石に気が引ける。だから2回目は受け入れる。

この2つのアイディアのどっちが正しいのだろうか。実はそれを確認できる実験が1975年の論文にはあるじゃないか!と著者らは(やや興奮気味に)紹介します。それが実験3。

Study 3!!

実験3では3つの条件を作って、どれくらいお願いを聞いてもらえるか比較しています。1つ目は無茶から入る条件。キャンパスを歩いている学生さんに声を掛けて、いきなり「ちょっとお願いなんですが、非行少年のために、毎週2時間のボランティアを、2年間やってもらえませんか?」とお願いします。無茶苦茶すぎますよね。それから「じゃぁ今度ある非行少年たちの動物園遠足の付き添いはだめ? 2時間なんだけど」とお願いする。2つ目は前振りしない条件。端から動物園の付き添いボランティアをお願いします。そして3つ目が軽いお願いから入る条件。まず美術館遠足の付き添いボランティア(2時間)をお願いして、それから動物園遠足の付き添いボランティアのお願いをします。3つの条件で、動物園遠足ボランティアを引き受けてもらえる割合に差が見られるか否か。

互恵的譲歩理論が正しければ、『無茶から入る条件』でだけ、動物園ボランティアを引き受ける人の割合が大きくなるはず。「2年間のボランティアが欲しいところ、2時間でもいいって向こうが譲歩するなら、それくらいはこっちも譲歩するかな」ということですね。

続けて断るのは嫌だよね理論が正しければ、『軽いお願いから入る条件』でも引き受ける人の割合が多くなるはず。美術館ボランティア断って、また動物園も断るのは面倒だな/忍びないなぁ、ということですね。

結果は

だんだん面倒になって来たので結果の紹介は大雑把に。ドア・イン・ザ・フェイスが見事に再現され、そして互恵的譲歩理論を支持する結果が得られました。まず、前振りしない条件で動物園ボランティアを引き受けてくれたのは29.6%でした。それが、最初に無茶苦茶をお願いする無茶から入る条件だと51.3%にまで増えてました。一方、軽いお願いから入る条件では37.9%にしかならない。これを統計分析すると色々あるんですが割愛。良い子は原典を読みましょう。

ドア・イン・ザ・フェイスは安泰?

きちんと事前登録して、十分なサイズのサンプルも集めて行った実験から、オリジナル研究とほぼほぼ同じようなデータが出てきたのですから、かなり明るいニュースだと思います。ただ懸念点が全くないわけではありません。

一般化可能性?
著者らも指摘していますが、実験参加者は7割ほどが女性でした。また参加者は大学キャンパスを歩いていた、恐らく学生と思われる方々。かなり偏ったサンプルです。追試著者らの名誉のためにも書いておきますと、これはチャルディーニらの最初の実験となるべく同じ手続きを再現した結果であり、女性に偏っていたことも、最初の実験と同じでした。ただ、この結果から「人類にはドア・イン・ザ・フェイスが効く」とまで言ってしまってよいのかというと、ちょっと保留はしたくなります。元の実験が米国、今回の追試がドイツと、共に西欧キリスト教圏で行われたことも、微妙に気にならないではない。果たして日本の大学のキャンパスでやっても同じになるのか? なるような気もするし、ならないような気もする。

実験者効果?
もう一つ個人的に大いに気になったのは、実験者効果の疑いです。この実験では「お願いをする人」=実験者の存在が不可欠なわけですが、この実験者たちは、実験の目的を知らされていたのですね。つまり、ドア・イン・ザ・フェイスという話があること、その話が本当かどうかはまだ分からないから確認するために実験をしているのだということ、等々、詳細な説明を受けた上で、キャンパスに散り、ボランティアのお願いをして回ったのです。そうするとどうしても実験者が手心を(意図的とは限らずとも)加えてしまった可能性が否定できません。

これは想像ですが、ドア・イン・ザ・フェイスは有名な話なので、何も言わずとも実験者が色々と詮索し推測することは避けられないと、著者たちは考えたのではないかと思います。それならば、むしろ初めに目的をはっきりと伝え、そして「本当かどうか分からないから確認するためにやっているのだ」と伝えることで、少しでも実験者のバイアスを減らそうと、著者たちは考えたのではないでしょうか。その気持は良く分かります。仮に自分がやったとしても、同じ決断をせざるを得なかったような気もします。

ですから、著者らの不手際だと批判する気は全くないのです。それに「実験者効果込みで、ドア・イン・ザ・フェイスは効くのだ」という議論だって、少々無理矢理感はありますが、可能ではあります。それらも踏まえて、勝手に著者らの忸怩たる思いを共有しつつ、兎にも角にもザ・古典の追試が成功したのは良かったですね。

簡単なメモのつもりが書き始めたら長くなってしまいました。間違いなどありましたらご指摘いただければ適宜修正してまいります。良い子は原典を読もうな

Reference

Cialdini, R. B., Vincent, J. E., Lewis, S. K., Catalan, J., Wheeler, D., & Darby, B. L. (1975). Reciprocal concessions procedure for inducing compliance: The door-in-the-face technique. Journal of Personality and Social Psychology, 31(2), 206–215. https://doi.org/10.1037/h0076284

Genschow, O., Westfal, M., Crusius, J., Bartosch, L., Feikes, K. I., Pallasch, N., & Wozniak, M. (2021). Does social psychology persist over half a century? A direct replication of Cialdini et al.’s (1975) classic door-in-the-face technique. Journal of Personality and Social Psychology, 120(2), e1–e7. https://doi.org/10.1037/pspa0000261

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