見出し画像

日常に取り入れるコンフォートゾーンを壊す「小さなストレス」トレーニング方法【ジブン株式会社ビジネススクール12月】

今回のnoteは、ジブン株式会社ビジネススクール12月のお題「メンタル・タフネス・レジリエンス」について。今月3時限目で取り上げている「日常に取り入れるコンフォートゾーンを壊す「小さなストレス」トレーニング方法」について、私なりの考え方も含めてお話ししてみたいと思います。



●日常に取り入れるコンフォートゾーンを壊す「小さなストレス」トレーニング方法

今回のお題に関しては、コチラの本が紹介されています。

コチラの本、早速購入してみました。この本を一言でいうと、「ストレスは悪という思い込みは逆に寿命を縮めたり不幸につながってしまう」ということ。世間的に「ストレスがない方がいいよね」「ストレスはできるだけ回避したいよね」という思想について、感覚ではなくデータも踏まえて否定し、ストレスがあるからこそ人は強くなれるし幸せになれる、という考え方を示しています。私も基本は適度のストレスは必要なもの、と捉えていたものの、ここまで断言出来るほどの意思はなかったので、非常に勉強になりました。


●私もストレスフリーは物足らなさを感じてしまう

私自身、もともとストレスについては、肯定的に捉えている方だと思っています。どちらかというと、暇になったり、やることがなくなったりすると、物足りなさを感じたりします。
仕事で言えば、いつもせかせかとやらないといけないことを頑張ってやっている中で、いいこともあれば嫌なこともたくさん遭遇したりします。
嫌なことについては、当然ですがやりたくないなあ、とか、避けたいなあ、なんて思ったりするのですが、いざやるべきことがなくなったり、挑むべきものがなくなったりすると物足りなさを感じてしまうのです。


●自分だけが辛い思いをしていても、あまり気にならない(大学生時代のエピソード)

自分だけが辛い思いして、そんなの不公平だ!なんて言ったりする人、私の周りにもいますが、私はどちらかといえば、そういうことに対してはあまり気にしないタイプです。逆にそんな人には、なんでそこまで公平感にこだわるのか?疑問を持ったりします。
そんなことは大したことじゃない、という考え。
周りがどうとかいっている暇があったら、自分はどうしたいのか、何をすべきか、に集中したほうがよっぽど重要だし、周りに不満とか言っている時間が非生産的で時間の無駄だと思ってしまいます。

特に、大学生時代に周りとの違いをよく感じました。
私は、1973年生まれの「団塊ジュニア真っ只中」の世代です。大学受験も今とは違って非常に狭き門。家もそんな裕福な家庭ではなかったため、なんとか学費だけは親で出してもらえましたが、自宅から通えるところしかダメ。下宿するなら自分で払いなさい、という親の考え。
周りには、下宿代や生活費とか全部出してもらいながら、日々遊び呆けているような友人ばかり。
そんな中、私は、なんせお金もないので、バイトに明け暮れる日々でしたが、周りの人はいいなあ、とか、羨ましい、とは思いませんでした。
自分自身の境遇を不幸に思わないようなバイアスが働いていたのかもしれませんし、逆にそう思ってしまったら負け、という気持ちのほうが強かったのかも・・・。


●配属部署もなかなかの劣悪環境でした・・・多少悔いあり

そんな大学生活も終えて、晴れて就職!しかしながら、配属された部署は組織として成立していないようなバラバラな部署でした。責任者は責任を持ちたくない他責な人、先輩社員は営業に行ってきますと言ってゴルフの打ちっぱなしやパチンコ三昧。
今では考えられませんが、なかなかのやばい仕事環境でしたね。
私とは違う部署に入った同期の仲間は、いい職場環境で上長・先輩からの教育もしっかり受けつつどんどん成果を上げていく。
そんな中で羨ましい、と正直思ったりしましたが、結局そこでも自分自身がどうしていくのか、を考えていったというのが、当時の率直な心境でした。

まさに宮崎駿の映画ではないが「君たちはどう生きるか」。親ガチャとか〇〇ガチャとかいろいろ言われるけど、どんな環境でも、「そこで自分自身をどう花開かすか」。その気持ちでやっていくことをずっと貫いてこれたのは、自分自身にとってプラスに働いていると感じます。

自分自身では気づかないのですが、周りからすると、私って「粘り強い人」らしいです。
どんな境遇とかであっても、周りのせいにしない、誰のせいでもない、自分はどうそこで振る舞っていくかが重要、という考えが結果的に「粘り強さ」につながっているのかもしれません。


●過保護ってその人を守っているようで実は守っていない

あと、今回のテーマを通じて私が思ったのは、

「過保護」って実はその人を守っているようで、全然守ってないよな・・・

ということ。その人が苦労しないように、嫌な思いをしないように、などなど、その人のことを思ってのことかもしれませんが、これって本人にとっては、良くないよなと思ってしまいました。
なぜなら、過保護に育てられた人には、「社会で生き抜くためのタフさを醸成できない」からです。
大きくなってから、何か思いも寄らない辛いこととかあっても、そこに対処できない。小さい頃からある程度のストレスも経験して耐性をつけておかないと、いざ社会に出てから適応しきれないと思うのです。
理不尽なことって、どこにでもあるもの。理不尽なことに全く遭遇せずに一生を終える人なんて絶対にいません。そんな、決して避けて通ることのできない理不尽な出来事も、そんなのへっちゃら!と軽くあしらえるようなタフさを身につけるうえで、過保護は逆にその人を守っているようで実は守っていない、と思うのです。

●まとめ「ストレスを悪と思う方が悪」

ということで、私の性格的な部分も含めて、小さなストレスについて書いてみました。ストレスは決して悪ではなく、むしろストレスを悪と思って過ごすことのほうが悪であるとも言えます。大事なのは理不尽な社会を生き抜くタフさ。それを身につけていくために早いうちにストレス耐性を上げておくことをおすすめします!



ではでは。

・福祉用具屋さんのブログ👇

・介護の三ツ星コンシェルジュのコラム👇

・Xはこちら
https://twitter.com/kaigoyouhin1


いいなと思ったら応援しよう!

福祉用具屋さん
よろしければ応援お願いします!