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vol.14 幸せのかたち <T.Tさん>

私が社会人になって少しして、母親が難病になった。病名は多系統萎縮症。

今は父と二人暮らしで、在宅介護中だ。母は一人で家事をしたり、外出をすることは難しい。ただ寝たきりではなく、部屋にあるバーを使ってつかまり歩きをしてトイレに行ったり移動することは可能だ。食事も介助はいるが私と同じものを食べている。

この状況になって気づいたことがある。「幸せ」っていろんな形があるんだってこと。当たり前なことだけど、こうなる前は言葉では理解したつもりでも、しっかり実感したことが無かった。

時々実家に帰ると、父親がイライラしていたり疲れていたりすることがある。介護のことも要因としてはあるだろう。私はその姿を見ると、つい「もっとこうしたら良いのに」というような自分なりの考えを伝えていた。調べたらもっと良いサービスがあるかもしれない、もっと便利な介護用品があるかもしれない。そしたら父も母ももっと“幸せ”に近づくかもしれない。

そんなことを想っていた矢先、父とぶつかってしまった。

ふと、思った。

私が思った幸せって、私の思う“幸せ”なのだ。どうして父はいつも同じやり方や考え方を変えないんだろう…と感じることもあったが、逆も然りだ。

私だってずっと「このほうが良いから、こうするべき。」と思い続けていたからこそ、ぶつかったんだと思う。ぶつかった後はたいてい、少し冷静になればまた落ち着く。お互いのことを悪くしようとして言っているわけでないので、その辺りは理解できるのかもしれない。

“幸せ”はこうであるべきだ、だからこそそのために介護サービスや道具があってサポートをしてくれる。きっともっと、もっと良い方法ややり方がある。そしたら前みたいに…穏やかな日が戻るし、父が声を荒げることも無くなるかもしれない。そう信じていた。

でも、その“幸せ”って誰にとってのものだろう。

そこは考えたことが無かった。父と母は私以上に一緒に生きている。だからこそわかる、理解できることがあるのかもしれない。

それでもやっぱり幸せであってほしいな、と思う。一日でも多く、一秒でも長く。そんなことを考えながら、時々家族とぶつかったりやっぱり周りに頼ったりして生きていく。ついつい“私に偏った幸せ”に導きがちだけど、そんな時こそまずは目の前の状況を理解するほうが大切だ。

目の前にいる人との関わりから、本当の幸せが生み出されるんだと知った。


T.Tさん

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