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vol.15 同居家族の介護 <レビー小体型認知症母の介護日記さん>

結婚後また母と一緒に暮らし始めたのは父が亡くなってから。

ある時、何度家に電話しても出ないので心配になった事がきっかけでした。もちろんその時は用事で出掛けているだけだったのですが、誰もいない家で倒れているかもと思いハラハラしてしまったのです。

一緒に暮らし始めて暫くは、それぞれの生活を優先して余り関わらずにいました。私の事を理解してくれている母でしたが、それ程ベタベタ仲良し親子ではなかったのです。

買い物に私が行く時何かいるものがないか尋ねて買ってきたり、夕食のおかずを一、ニ品あげたり日中どんな生活をしているのか気にもしていませんでした。

ある時、雨戸の隙間から誰か覗いていると言い始めたのです。それ以外にも人形が寝ている、水が漏れているなど私には見えないものが見えている?という事の様でした。

すぐに認知症に詳しい脳神経外科クリニックの診察を受けました。医師の選択もいま思えば大切で、認知症に詳しくなければ精神病やうつ病として治療が始まり、取り返しのつかない事になるケースがあるそうで。

結果は『レビー小体型認知症』の幻視によるものでした。それ以外は血圧が高い、眩暈がするなど体調以外は困った症状はありませんでした。しかし、この日から介護生活がはじまりました。

処方はアリセプト3㎎から。問題なければ5mgに増量。母はこの薬ととても相性が良くすぐに効きだし、幻視は余り見えなくなり、落ち着いた生活がもどりました。

地域の包括支援センターにも連絡し、認定調査などの手続きをお願いして、結果、要支援1という一番軽い結果をもらいました。

それが約6年前でした。

それから骨折などで具合が悪くなり入院した結果、現在は要介護5の車椅子生活となってしまいました。幻視はもちろん、妄想なども酷くなっていました。

家で介護できるのか悩みました。

母は自分1人では立位が取れなくなってしまっており、私は手腰首を既に仕事で痛めてサポーターでなんとかやっている状態でした。
これ以上、私の身体がもつのかなどなど、心配でした。

なぜなら私は1人っ子で、母を介護するのは私1人だったので、私が倒れたら全てが大変な事になるのが怖かったのです。

もし私が倒れたら、もし私が介護出来なくなってしまったら、、と思うと施設に入ってもらった方が私も母も幸せになるかもと考えたりもしました。

そんな時、ケアマネジャーから提案されたのが看護小規模多機能の施設でした。

在宅と泊まりが可能で看護師もいてくれる所、何故なら世の中はコロナ禍で泊まりのショートステイを探すのがそれはそれは物凄く、大変らしいのです。

ご縁があり、無事に利用する事が決まり退院してきました。本当にありがたい提案でした。

母の排泄のコントロールや血圧の変動など、看護師がしっかり関わってくれるのは 本当に安心でした。

現に退院後1ヶ月足らずで癒着による腸閉塞のため救急搬送されましたが、無事手術してまた元の生活にもどる事が出来ています。


これからどんな日々が待っているのかは誰もわかりません。でも、瞬間瞬間を精一杯悔いの無い様に、そして、無理しすぎないようにコントロールしながら介護生活をしていきたいと改めて思いました。

そしてこれからも色々な人々を巻き込んでお世話になって、穏やかな介護生活が送れるように、自分の為に前進していきたいと思っています。



「レビー小体型認知症母の介護日記」さん

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