連続事例検討会:第12回「親族間対立」
言うとることが矛盾しとるやないかい!
中坊のみぎりに、面白いことを言うヤツとつるんでいた。
曰く、「何にもない世界は、何にもないもない世界!」
何にもないも、無い、だと……どういうことだ!?
中2少年特有の暴走に、自分含め周囲は1週間くらい頭を抱えたのだった。
今回の事例「親族間対立」は、身内が互いに矛盾したことを主張して援助者側の思考も援助も止まってしまうという、地味に厄介で、実に良くあるケース。
遠くの親族ほど、声がデカくて、手は動かさないという世間の認識と合致している。
冒頭の「何にもない世界は、何にもないもない世界」であるが、しばらく考えて「それは、つまり今あるこの世界のことなのではないか?」が、記録者の出した結論である。
般若心経にいう「一切空」の概念の一解釈と結論づけ、今に至っている。
事例の詳細
さて、今回の事例「親族間対立」の詳細は以下のとおりだ。
・高齢女性。軽度アルツハイマー型認知症の診断あり。「なるべくここで、子供に迷惑をかけずに終わりたい」
・簡単な介助があれば独り暮らしができていたのに、ある日病に倒れて意思表示も食事摂取もままならなくなってしまった。
・兄妹が骨肉の争いを続けている。支援したいのに、親族間の対立で前へ進めない。
異質なテーマ
このテーマ、実は良くお目にかかるケースで、RPGならボス戦というよりも、セーブをこまめにしてなかったことを後悔する、やらしい敵が出現する通常戦闘というイメージである。
それはそれで、やり甲斐があるじゃあないか!
参加メンバー
今回も、常連さんからお久しぶりの方まで8名が集った。これだけのバラエティに富んだメンバーが、世間から見れば超ニッチな話題で盛り上がれるという事実に、とかく記録者は奇跡に遭遇した気分になる。
懐疑主義
本事例では、まず具体的な解決策よりも、援助者の心構えと水平思考的な意見が出た。
曰く、見方によって、違う景色が見えてくる気がする。「親族間対立だ」と誰かが括った結果、その場にいるメンバーにバイアスという状態異常がかかる。
長男・長女には、それぞれ別のバイアスがかかっており、長男は「母はまだ独り暮らしができるくらいしっかりしてます!」というバイアスが。長女には「認知症との診断が出たら、独り暮らしなんてできません!」というバイアスがかかっているのだ。
着地点を長女のプランAでも長男のプランBでもなく、全く新しいプランCとして提案する。例えば「独り暮らしの再開」はどうだろうか。
可能かどうかはさておき、提案してみることで、多くの関係者を巻き込んでいく。
この項の意見、やや端折っているが、お一人の発信である。
さらに一人ずつ、意見感想を語りついでいく。
具体論
次の発信者は、普段の仕事から疑問に思っていること等を、具体的に掘り下げにかかった。
以下のような意見が出た。
・「介護に必要なお金は、ご本人の持っているお金から工面していくのが基本」と聞いたことがある。
・長男の言動から「どれだけ子供である自分たちがお金を出しているか」兄妹間で競い合っている感じがする。
・長女が「胃ろうを作ってできるだけ在宅で。長男宅に行けばいい」と言っているが、そこは人に任せるのかい!と感じた。
・この事例の中の情報からだと、病院に投げ出された感じがする。
医療関係の諸々について、ケアギバーは知らな過ぎる
介護・福祉を生業としている者は、病院の相談員や看護師などと連携するが、対象者には“入院から退院まで1か月しか時間がない”とか、家族の意向に振り回されたりだとかがザラにある。
どこで落とし処をつけるか(在宅か入所か?)といった調整を、病院側は短期決戦で行わなければならない。
非常に大変であり、エッセンシャルな仕事でもあるんだなぁと、改めて想像。
医療ソーシャルワーカー(MSW)の話を聞いてみたい!という、医療と介護の連携についての対話を望む声もあがった。
これは一般論なのか?思い込みなのか?
今回の事例には色んな切り口があると感じる。
例えば、「認知症の人に独り暮らしは無理」という先入観をもつ人は、枚挙にいとまがない。
さらに、認知症の診断がでる=施設入所という先入観をもつ娘さんや息子さんも結構いる、というのが、この業界の肌感なのである。
しかし実際には、色々なサービスを受けながら自分で工夫と努力を重ね、時には家族の力を借りながら生活している人はいっぱいいる。
この考えが、もっと世に出てほしい!と切に願う。
善きサマリア人としてみる
もう一つ、考えを新たにした点としては“支援者は困った家族というラベルを一度外す”ということである。
“善きサマリア人”というフレーズが頭に浮かんだ。このタームの示す人物は、困った人に寄り添い、助ける人である。
親族間対立といえども、長女は母に専門的医療を受けてほしいと思っている。一方で長男は、母の尊厳と自尊心を守るため、独り暮らしをできるだけ続けてもらいたい。
どちらも、純度100%の悪意をもって接している訳ではないのだ。
対話のなかで、どうやって人としての当たり前を守っていくか?試行錯誤はどこまでも続いていく。
病院を巻き込む難しさ
前述のとおり、介護する側としては「なんとか医療側を巻き込んで事を進めたい」という気持ちが強いのであるが、そうもいかないというリアルな意見が、救急医療を知る経験者から続けて語られた。
救急病院の立場について、この段階で家族に伝えることとして「もしかしたら亡くなるかもしれません」と「2週間後には退院です」といった相反する選択肢を示すことになる。実は病院側はこうした選択肢を出すまでで手一杯というののだ。
さらに、在宅の支援について、急性期医療の医師や医療ソーシャルワーカーが詳しいわけでは決してない、という現実もある。
急性期病院の受け持つ範囲は、地域包括支援センター10個分くらい、下手したら20個分くらいと、非常に広範囲である。
(注:地域包括支援センターが想定する“地域”とは、中学校区程度)
したがって、急性期病院というものは、その地域のリソースなんてほとんど知らないと思った方が良い。
そんな現実がこの社会にはある。
自分が急性期の医師だったらどうするか?
さらに、こんな具体案も出た。
もしも自分が主治医だったら「ご飯が食べられないということがどういうことなのか、プロセスの部分を理解できるように何度も話していく」というのだ。
プロセスの話は、当事者の今後の人生を決めていくくらい重要且つとても難しいものである。
そんな時に出た解決につながるかもしれないパワーワードが公開された。
親族の治療を決めるとき、ドクターは「貴方が本人の立場になった時、この治療を望みますか?」という聞き方をするという。
パワーワード【あなたがその人だったら、何を選択しますか?】は、何度でも声に出して言いたい日本語である。
以上の話から、ACPが当たり前のように行われることが重要になる、という方面に話は進んでいく。
ACPとは、散り際の美学の実用化
ACP(Advanced Care Planning=人生会議)とは、このままでは命が消えるという状況で、①どのような医療やケアを望むかを予め考え、②その考えを親族や信頼できる人、医療介護の専門家と繰り返し共有すること。
これがなかなか普及しない。「元気なうちに死ぬことを話すなんて縁起でもない」「早く死んでほしいのか!」と親族間で関係性悪化のリスクがあるなか、こうした話し合いは、つい当たらず障らずで後回しになってしまう。
ACPを軽い(元気な)ときにやるということの大切さと難しさは、一般論としても自分事としても理解ができる。だが、なかなか風潮と行動を大きく変えるには至っていない。
例えば、今回の事例のように、病気により一発で再起不能になり、本人の意思表示がほぼ零になったら、八方塞がりになってしまうことは火を見るよりも明らかだ。
どうしたら、この【あくまで一般論】を変えることができるだろうか?
ACPをどう捉えるべきか?
たとえば、オリンピックのように、臨終をステージと捉えるのはどうだろう?同じ祭典として臨む気概をもつというのは?
或いは、美容のための紫外線対策に似ているのかもしれない。遠い未来にもあるべき姿でありますように、という願い続け、実際に行動を起こすという点で酷似していないか?
記録者も まずはACP、始めてみようか。
岩間先生の解説
テキストに掲載されている、援助者の心構えは以下のようにまとめられる。
・我々は本人への直接的支援だけでなく、家族の関係性の変化を軟着陸させる役割も担っている。
・一連の発言から、登場人物たちの多面的な思惑をキャッチする想像力が求められる。
・当事者たちには、対立をきっかけとして、家族の関係性を変える必要があることに気づいてもらう。
おとぎ塾第13回目にして「楽しい」という発言がでる
メンバーから出た意見としては、以下のようなものがあがった。抜粋して要約する。
・作った落とし処に固執しない柔軟さが一番大事だと思う。「それって本当に正しいの?」を常に考え続ける。
・人の視点を参考にすることの大切さを学んだ。事例検討会って楽しい。
・家族の思惑には背景がある。言語化されたものだけでなく行間に書かれていないものも読み取る。
・対立するときは、批判と否定が先立ってしまうので、結論の実現可能性をきちんと整理して筋道を提案。第三者でないとできないことを噛みしめながら。
・医療と介護のすれ違いを再認識した。ここを意識して日々にあたりたい。
最後に
記録者としての所感をここに記す。
この仕事に携わり、コミュニティで利害関係のない人と話し合うと、世界には無駄なことなど存在しないと信じていける。
“そんなことを考えるだけ無駄”という思考を除けばの話だが。
スケジュール
介護のオンラインコミュニティ「SPACE」について
「SPACE」は、“介護”に関心を持った仲間が集うオンラインコミュニティです。組織や地域を越え、前を向く活力が得られる仲間とのつながりや、 自分の視点をアップデートできる新たな情報や学びの機会を通じて、 一人ひとりの一歩を応援できるコミュニティを目指しています。入会できるタイミングは、毎月1日と15日の2回です。詳しくは以下をご覧ください。
書いた人
もっちぁん
現場で働きつづける介護福祉士。特別養護老人ホーム勤務(グループリーダー)、他に介護支援専門員と社会福祉士を名乗れる。
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