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#12 介護思春期

週に一度実家に通うルーティン。それにより、その他の時間は自宅で仕事に集中できていたし、自分のリズムで生活することができていた。環境が変わると気持ちが切り替えられる。順調といえば順調だったと思う。でも実際には順調とは全く真逆の、メンタルが壊れそうな危うい状況に時折苛まれていた。口をついて出てしまう言葉がこれだ。
 
「なんで私ばっかり…」
 
毎週の料理の作り置きや掃除などの家事全般の労働に対する不満はなかった。自分で計画をたて仕事モードで乗り切れていたし、自己満足もあった。けれど、時間的な余裕も精神的な余裕もなく気合いでこなしていたので、メンタルの状態はギリギリで脆かった。母が思うように動いてくれなかったり、ちょっとした粗相で仕事が増えてしまったりすると、張りつめていたメンタルが突然崩壊した。
 
「お母さんはいつもなんで私ばっかりこんな目にあわせるの!」
 
荒々しい語気で母を責めたてる。ティファールにも勝る瞬間沸騰する感覚。ビリビリしたムードはそう簡単には収まらない。顔をくしゃくしゃにしながら、ときには雑巾で床を強く拭いたり、洗いものをバシャバシャとしたり、自分の中にこみ上げてくる強烈な負の感情と対峙する時の私は手に追えない状況だ。
 
「ごめんね、ごめんね、あなたばっかり。」

母は申し訳なさそうにそう言って体を小さくする。私は最悪な気持ちになる。母は何も悪くはない。認知症になって心細いであろう優しい母に、私はどうしてこんな悪態がつけるのだろうか。母に対する悪行を今から取り消すことができるなら記憶が消えていたとしても根こそぎ消してしまいたいくらいだ。
 
「なんで私ばっかり…」
この言葉には、家族関係にまつわる昔々の記憶が伏線となって、いろんな感情がこんがらがって現れている。怒り、悲しみ、不公平感…。家族という身近な関係ゆえに甘えや依存もあると思う。無防備に感情が染み出してきてしまうのだからもう仕方がない。怒って泣いて反省するしかない。
 
自分ではコントロールできないこの気持ちは、思春期とよく似ていると思った。高齢になった親との距離を再び縮めるとき、第二の思春期がやってくる。関係性の中で未解決だったこと、未充足だったものが長い時を経て飛び出してくることもある。
 
母のサポートを行なっていることを身近な友人たちは「えらいね。」とか「よくやっているよ。」と言ってくれるが、全くそんなことはないのだ。時々母に酷い態度をとってしまう自分がちゃんといて、その度にブーメランのように自己嫌悪に苛まれている。それが偽らざる等身大の私なのだ。理想的な娘さんね、などとどうか言わないでほしい。いつでも許しを与えてくれるのは母であり、いつまでも大人になれない自分が恥ずかしいのだ。

ケアマネさんは最強メンター

自分でやると決めたはずなのに、“どうして私ばっかり”と情緒不安になる。介護初心者の自分の意思の力は隙だらけだ。
 
サポートを始めてから最初の三年くらいはそんな感じで思春期真っ只中だったと思う。そんな私を受けとめ、寄り添ってくれたのが、ケアマネジャーのオオサワさんだ。一番はじめにお願いした訪問リハビリの爽やかな理学療法士さんが紹介してくれた女性である。男の人はイヤということで、その方には大変申し訳なくお断りすることになったが、よいケアマネジャーさんがいると紹介してくださったのだ。彼らは自主的に介護福祉の勉強会に参加していて、熱心な理学療法士さんが、同じく熱心なケアマネジャーさんを紹介してくださったのだ。
 
オオサワさんは私よりもおそらくひとまわり以上お若いだろう。物腰がとにかく柔らかく、にこやかでまあるい印象の人だった。勝手な偏見でケアマネさんはボスキャラめいた人を想像していたが、まったく異なっていた。スニーカーにリュック姿。靴を揃えてニコッと振り返る姿がかわいらしかった。
 
ケアマネジャーは、利用者の状況に合ったケアプランを作成し、適切に介護保険サービスが受けられるようにする役割を担っている。介護サービス事業者を紹介し、進捗を見守り、必要があればプランの見直しも行なう。まさしくPDSをしっかり回してマネジメントする介護の司令塔、いや、総監督といっても過言ではない。
 
面談は月一回。「Fさぁん、こんにちは。」母にやさしく語りかけてしばらく雑談。母との短い談笑のあとは、私との対話に時間を割いてくれるのだ。自身の要件を先に確認しようとは一切しない。一方の私と言えば、一ヶ月の間にあった出来事を間髪入れずに早口にしゃべり出す始末。オオサワさん、聞いて、聞いて!と言わんばかりに。全くもって大人気ない。それなりに人生経験を重ねてきても、介護については初心者だから、聞いてくれる、わかってくれる人の存在は非常に大きいのだ。
 
私はオオサワさんと月に一度の面談の機会を通じていろいろなお話をさせていただいた。いつでもまるっと受けとめてくれるこの人の存在には感謝しかない。介護の話を気軽に話せる友だちはそう多くないから余計にそう感じる。私にとってオオサワさんは優れたメンターであり、救世主のような存在。平和で優しいオオサワさんの世界観はアンパンマンにも似ている。この方と出会えて本当によかった。


 

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