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アーニャがね、よく言うんですよ。危ない目に遭っても、ははが助けてくれるから大丈夫だって。あの子が笑顔ではしゃいでいられるのは、ヨルさんが安全基地になっているから27

「‥小さい頃、滑り台から落ちたことがあって、わざと落ちたの。お母さんに、心配してほしくって。お母さんは、お姉ちゃんのことばっかり見てたから。」

 「上京していい大学入っても、アナウンサーになってもね、お母さんは、こっち見てくれない。」


 「‥お母さんだけじゃない。私のこと誰も、一番大事にはしてくれない。ずっと。‥馬鹿みたい。こんなパーティ。」

 『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』の一説です。




 「記憶の固執」等の代表作を残したサルバドール・ダリ。

 彼も、幼少期、わざと大理石の柱に頭から突撃をした経験を持ちます。

 「何故、そんな事をしたのか?」という問いに対し、ダリは「誰も自分に関心を向けてくれなかったから。」と答えています。



 人は、幼少期に、親から必要な関心を向けられないと、1つの成長段階から抜け出せなくなります。

 その為、幼少期に、親から必要な関心を向けられないで育った人は、少年になっても、青年になっても、大人になっても、関心を向けて貰おうとし続ける傾向があります。


 子どもが発する言動に、敏感に反応する事は、子どもを甘やかす事ではありません。

 子どもが誕生してからの最初の数年間に、子どもとの時間を十分に掛けておく事は、後の人生において、その子ども自身は勿論、親であるあなたにとっても、大きなリターンとなって還元されます。

 子どもが誕生してからの最初の数年間に、子どもとの時間を十分に掛ける事で、子どもは「親との結びつきを持ちたい」というニーズが、満たされる状態に慣れていきます。


 やがて、その満足感が、子どもの内面に定着し「常に結びつきを求めなくても大丈夫」と、子ども自身、理解する事が出来るようになっていきます。

 これに対し、親から充分に関心を向けて貰える事なく育った子どもは、周囲の人に、直接行動で影響を与える瞬間にしか、満たされる状態を持つ事が出来なくなります。

 そして、この行動は、感情的な行動である事が多い為、周囲の人は、そのような子ども、若しくは青年、さらには大人の行動に嫌気が差してきます。



 親から充分に関心を向けられて育った子どもには「自分は親から愛されている」という安心感があります。

 その為、人間関係に気を取られ過ぎる事はなく、自分に関心を向けて貰う為に、大袈裟なパフォーマンスをしなければならないと感じる必要もありません。

 自分に関心を向けて貰おうという行動に反応が得られないと、子どもはその試みをより騒がしい形で、青年は悪い事をするという形で、大人は他者を責める・裏切るという形で、実行するようになります。


 高校時代、不良と呼ばれる同級生の母親と、話す機会がありました。

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