追憶のコインランドリィ。週に一度、40分間の瞑想。
池袋に引っ越したとき、洗濯機を捨てた。
近くに一軒コインランドリィがあって、離れたところには銭湯が二軒。そこにも洗濯機が併設されている事を知っていたから、万が一どれかが利用不能でも大丈夫だと判断した。
スーツはどうせクリーニングに出すし、当時のライフスタイルではその他の服をあわせても週に一度大型の洗濯機に放り込めるほどにしか溜まらなかったから全く困る事は無かった。
乾燥機まで使って一回400円。
さほど安くはないが、溜めれば溜めるほどお得になるのはものぐさな僕の性格にあっていた。
大きな袋を両手にぶら下げて夜歩くのも悪くなかった。
とかく社会から隔絶されがちな独り暮らしにおいては、強制的にでも家を出るイベントは用意しておいたほうが良い。
目的を持って世の中に歩き出して行くことは大切だ。
たとえそれが、ただの洗濯であろうとも。
大きなドラムの中へ衣類を放り込んでゆく。
ワイシャツは形状記憶だから気にしない。
少し前に着ていた服を見て、その日の記憶がよみがえる。
彼女はいまどうしているだろう。
一瞬の後、すぐに忘れる。
36分と表示される。この機械は時間にルーズで、結局それをオーバするのは知っているのでケータイのアラームを40分にセットする。
40分。
中途半端な時間だ。
何かを成すには余りにも短いし、無益に過ごすには余りにも長い。
そこに置いてある、知っている漫画が何一つ無いぼろぼろのまんがタイムきららや何週もまえの戦いをプレイバックしてくれるヤングジャンプにはいい加減飽きていた。
時々新しくなってはいるが、管理者がそんな親切なわけが無いので利用者の誰かによる寄付のようだ。
世の中は善意で成り立っている。
僕も今度何かを寄付しておこう。ブックオフで10円とか0円とかにされるか、二酸化炭素と灰をもって地球環境に悪影響を与えるよりかはよほど価値がある行為だと思う。
すぐそばの中華料理店で夕食を食べることもしばしばだった。
いざそうしていると、意外と焦って食べることになる。
店主と話しているとあっという間にタイマーが鳴る。
「町中華」などという作られたブームに荒らされる前の時代。どこにでもあるただの中華料理屋であった。
何の変哲も無い炒飯と餃子と老夫婦である。
瓶ビールを好いたのもこの頃だ。
家に帰ろうにも、その場合移動時間が完全に無駄な時間となることが確定してしまうのであまりやらなかった。
帰ったところで一時間区切りのTVや映画は間違いなくいい所で中断させらるし、どうせ本を読んだり音楽を聴いたりするのなら、そこが自宅である必要はない。
そもそも自分にとって人生の全ては家の外にあって、自宅というのはただ最低限の持ち物と住民票を置いておくための物置でしかなかったから、家にはあまり居たくなかった。
実生活においては入浴と睡眠が自由にできる場所以上の価値は無く、30日で割れば1日2,000〜3,000円。
まんが喫茶やホテルとの差は僅かだった。
外の世界に適応するように独自の進化をとげた僕の持ち物は例えば文庫本だとかウォークマンだとかカメラだとか出たばかりのスマートフォンだとか、外の世界での居心地を向上させるのに有益なものばかりになっていった。
いまでも僕の心は家には無い。
変化の少ない世界に留まるのは苦痛だ。
たとえ引き換えに安らぎを失ったとしても。
少しでもためらったらすぐに残り時間は20分とかになっているので結局は本を読んだり、煙草を吸ったり、音楽を聴いたりして無益に過ごした。
きちんと飛ばさずにアルバムを一枚通して聴いてみたりするとこの曲のこんなところにこんなギターのフレーズが、とか新しい発見があって結構良かった。
いまならyoutubeでも見ていればあっという間に潰せただろうが、その頃のyoutubeといえば海外での事故の映像とか野生動物が獲物を食べる瞬間だとか、バイクで東京湾を走ってみましたとかそんなものばかりだった。(そういえばCMは全然なかった)
ニコ生ではけっこう面白いこともやっていたようだが当時の通信速度では外では大したものは見れなかった。
そういえば一度だけ、首から下げたお盆のようなものにノートPCをのせた如何にも生配信者みたいなやつがランドリィに入ってきたことがあったが、唯一の客である僕に声をかけもせずまたぶらぶらと逃げるように消えていったあたり、大した配信者ではなかったのだろう。
きっと今は埼玉かどこかで普通のサラリーマンでもやってるに違いない。
twitterもいまよりももう少し更新の頻度と質が穏やかで、どっぷりとつかるようなものではなかった。
有名人が一日に数度つぶやく内容をみて、観客として眺める程度のものだった。直リプとかは結構ハードルが高かった。
週に一時間くらいは、なにも考えない時間があっても良いではないかと自分を納得させる。
瞑想。
洗濯が終わり、乾燥機に入れ替えて200円を投入する。
東京に雪が降った夜。
明治通りを走るタイヤが水を切る音が止む。
信号のタイミングなのか、それを街の脈動とよぶのか、一瞬の静寂が生まれた。
煙草を吸う為に店外に出て、雪に滲むサンシャイン60を見上げる。
傍から見ればただのガキでしかない20代の僕がハードボイルドな気分で見上げたビルはシティハンターや不夜城のそれ。池袋だけど。
その頃抱えていた沢山の問題は当時の僕を苦しめていたけれど、そんなものは今考えれば余りにも大したことが無さ過ぎて、恥ずかしささえ覚える。
20分の乾燥が終わり、COOL DOWNと表示されている状態で停止させた。
温度が高いまま取り出す。
片手で傘を差す為に、抱えた手提げ袋。
雪。
再び車たちを吐き出した街の脈動。
人肌よりも少しだけ暖かい袋を抱き締めながら明治通りの喧騒の中を僕はあるく。
明日は何をしよう。
これから何をしよう。
将来は何をしよう。
早くも温度が下がりつつある袋を強く抱く。
20代の孤独な冬にも、温もりはあるのだ。
おしまい。