田舎を進歩的でないと見下すのは気持ちがいいでしょうけど、愛すべき故郷が無いのは、親の無い子みたいなものですよ。
先日SNSで名古屋Disがめちゃくちゃ盛り上がったのですがその内容が結構ひどかったので悲しい気持ちになりました。
自分のふるさとって愛せてます?
ある種の人々は生まれた土地のせいでに郷土愛なんてものを理解できないのですが、それだけでは飽き足らず、それを持っている人や地域の風習などを大切にしている人を下に見ています。
街道くらいはあっても、基本的にはどこまで行っても家とチェーン店しかない街。
古い家や店、長く住んでいる人は少なく、電車一本で行ける東京(大阪や名古屋に置き換えても良いですが)で働けなくなった老後は静かに過ごすためにどこかに移住するつもりの人しかいない土地。
そこは結局街のフリをした巨大なビジネスホテルでしかありません。一階にコンビニが併設してるタイプのね。
マイホームだろうが、マンションだろうが、結局平面に延ばされただけで60年代から連綿と続くただの大きな団地なんです。
そんな土地を愛せといわれても酷ですよね。
だって同じような空間は日本中どこにでもいくらでもあるんですよ。特徴が無い。唯一無二の存在ではない。生まれた瞬間から、没個性が運命付けられてる。
アイデンティティを一つ失って生まれてくる。
愛すべき故郷が無い彼らは、親の無い子。根無し草。帰る場所の無い鳥。
かわりに彼らの欠落した心のスキマを埋めるのが「いかに自分が都会的であるか」という後付のアイデンティティです。
これは簡単です。基本的にはただ金さえ払えば、生まれも育ちも努力も実力も文化的素養も関係ありません。
だから東京的なもの、外国的なものを徹底的に求める。
東京で働いている。東京のお店を沢山知っている。東京のお菓子。東京のお洒落。
外国の、世界の、SNSで流行の、芸能人の……
でも、都会的で無いものや、都会的で無いものを守ろうとする人々がいたら古く前時代的な田舎者だと蔑むことで自我を保つしかありません。
それは自分の存在そのものへの攻撃に他ならないからです。
自分がそれ無しでは自我を保っていられないのに、それ無しで平然と生きている人たちがいる。
自分はこんなに時間とお金をかけてプライドを保っているのに、歴史のある街に生まれたというだけで心に余裕がある人たちがいる。
そんな存在は許されるはずがありません。
不平等、なにをされたわけでもありませんが、差別です。
打ち倒されなければなりません。
こうして、その心のゆがみを直す為に、認識のほうが歪んで攻撃性が研ぎ澄まされていくわけです。
歴史などというなんの価値も無いものに固執する旧い人種だ。
こんな田舎で満足しているなんて成長性の無い人達だ。
古いものにこだわって、未来や現在を見ていない、愚かな人間達だ。
と。
自分は変わる事は出来ません。
だったら世界を変えるしかないのですが、世界も変わることはないので、世界の見方を変えるしかないのです。
悲しいことですが。
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団地の末裔であるマンション群や典型的なニュータウンで生まれ育った人達にとって、家なんてただ住民票と荷物を置いておくだけの倉庫でしかないんです。
ノスタルジアを感じることはあっても、せいぜい卵が産み付けられた葉っぱの裏くらいの認識。いずれ失われると知っているからです。
神社や寺の少なさ、小ささも象徴的です。
そもそもその土地は神仏を必要としていなかったし住んでいる人たちももう神仏を必要としていないからです。
それは、彼らがもう自分たちの家族以外の人間も必要としていないことの証拠です。
近所の人なんてよくてNPC、悪く言えば障害としか認識されない世界。
ある種の共同体思想と違って、つきあって相互にメリットを出すという概念がそもそもありません。
本物の人間関係を拒絶しているので参考になるのはドラマやフィクションだけ。その中では、トラブルの原因でしかない存在として扱われがちです。
口うるさい隣人。アパートとかで下から某でドンドンしてくるタイプのクラシックなやつ。
そういうのを見聞きして育ったからそうとしか認識できない。
関わったこともないのに登場した段階ですでに悪役なのです。
だから所謂「下町」的昭和ノスタルジーみたいなやつ、寅さん、三丁目の夕日、オトナ帝国、ああいうのは本人にとっても、その親にとっても地続きの歴史ではないのでリアルさを持って認識することは出来ません。
日本によく似た外国と同じ扱いです。
たぶん、本当に理解できないと思います。
彼らの親も、生まれたときからそうですからね。
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人間が最も人間らしく活動できる寿命って25〜55歳の僅か30年くらい。その前は子供だしその後はもう老人。もっと短いかもしれないですね。たった30年です。10年が三回。
どんなに技術や文明が進歩してもやっぱり人ひとりに出来ることは限られてきます。
その制約を越えて発展していくには、世代を超えてリレーしていくしかないんです。
自分の家、血だけの話じゃないですよ。組織、会社、地域、その他全てにおいてそうです。
技術と知識と戦略を共有して継承して、発展していく。そうして鎖のようにつないでいく。
人と関係することのデメリットばかり見て、自分ひとりの力で何とかできると思っていて、それこそが正しいことだと思っている人。
言い換えれば、集団で何かをするという能力が欠如している人たち。
家族以外とのコミュニケーション力が欠如しているので集団での振舞い方が解りません。
この人たちは、その僅か30年で自分の中で勝手に完結して何も残さずに勝手に死んでいくので社会や組織の進化や発展を阻害している、ともいえます。
歴史を大切にしない都市は思い出の無い人間と同じだと、誰かが言っていました。
そういう人たちしか住まない街は、だんだんと空虚なものになっていくのでしょう。
あなたは、自分のふるさとやそこに住む人を、愛せていますか?
あなたやあなたの子たちが、帰ってきたいと思いますか?
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書いていて、一時期流行った飲み会が悪みたいな話を思い出しました。
もちろん世の中にはひどい飲み会はあるんでしょうけど、でも基本的にはあれを言ってる人って自分にコミュ力や状況への適応力が無い事を正当化してるだけですよね。
そして、ああいうのをすぐに真に受けて乗せられちゃう人。
それが進歩的であると信じているから、そうで無い人を古い人間だと見下すんですよ。
ただただ自分の能力が低いだけなのにその言い訳に便利なので使う。
酒が飲めなくてもうまくやってる人なんていくらでもいるじゃないですか。
飲み会という空間でTPOにあわせて上司や部下とどう接してどう振舞えばよいのかがわからないだけなんですよ。
家族みたいにつーかーで解る人以外との距離の取り方を学んでこなかったから、人間関係の作り方が下手。
結局はただのコミュ障。それを「自分だけの力で生きていく」みたいな綺麗な言葉で言い換えてるだけです。
そういう人は飲み会以外でも小さな失敗をコツコツ積み重ねてるからいつのまにか地方とか閑職に飛ばされて、何故か理由がわからなくて、俺は優秀だったのに社内闘争に負けたとかいじめにあったとか歪んだ認知のまま行き先で暴走するタイプのプライドの高いイタイおじさんのいっちょあがりです。
そういうおじさんが飛ばされてくる地方の身にもなってくださいよって。
元々そういうタイプな上に、中途半端な郊外生まれだと東京コンプこじらせてるから同僚や上司、下手すりゃ客を”愚かな田舎者”扱いしてるのがににじみ出て地方でもうまく行かないんですよ。
そしてそれを場所のせいにする。田舎のせいにする。
それも同じ、自分の家族以外との関係を構築する能力が欠如したまま成長した人たちの成れの果てですね。
どんなに都会に近くても、隔絶したセルの中でしか生きてこなかったとしたら、その場所にどんな価値があるんですかね。
私にはわかりません。
おしまい。
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