小さい頃に食べた味を超えられない
食べ物で初めて衝撃を受けたのは4歳の頃。
当時、父に連れて行ってもらった蕎麦屋のざる蕎麦に衝撃を受けた。今となってはお店の場所も名前も覚えてない。けれど、お店の古びた外観や、木造家屋の内装から香る匂いは妙に覚えている。そして無論、蕎麦の味から受けた衝撃は今も忘れていない。
次に外でざる蕎麦を食べる機会は、もう少し大きくなってからだった。5歳か、6歳か。ぼくの頭の中では、ざる蕎麦は絶品料理ということになっていたので、期待を膨らませて食べたのだが、案外そうでもなかった。もちろん、美味しかったことは美味しかった。だが、あの味には程遠かった。店の場所は覚えている。地元からちょっと出たところにあるショッピングモールの中のファミレスだ。
以来、外で蕎麦を食べる際には、あの味が頭をよぎるようになっていた。
現在32歳。この間何度も、何度も何度も、外食で蕎麦を食べているが、あの味を超える蕎麦に出逢ったことがない。立ち食いそばのような安価蕎麦屋のざる蕎麦から、そこそこお値段のする店のざる蕎麦まで。何度も何度も何度も何度も食べているはずなのに、あの味に届かない。
舌が肥えたのだと言われればそれまでだ。理屈はわかっているつもりである。けれど、どうしても未だに求めてしまう。父と入ったあのお店の、あの味を。きっと、もう一度当時の記憶に浸りたいのだろう。懐かしいなんてものではない。もう二度と戻れないかけがえのない時間だ。人間の記憶というものは恐ろしく叙情しい。
蕎麦は大好きだ。これからも何度も食べるだろう。死ぬまでに一度、あの味を超える蕎麦に出逢いたいものである。