絵描きのぼくと生成系AIの距離
絵が上手くなってきた頃に生成系AIが台頭してきた。
生成系AIは、圧倒的クオリティの一枚絵をものの数秒で仕上げてくる。
10年以上かけて磨いてきた腕はあっという間に未経験者に越されてしまった。
きっと、写真が台頭した頃の写実的な画家たちもさぞ複雑な心境であっただろう。
写真が現れたことで写実的に描く絵の価値は薄まり、人類は新たな表現を模索した。
印象派と呼ばれる画家たちが誕生した。
きっとぼくたちはまた、時代の境目を迎えている。
スマホ、暗号資産、生成系AI、
ここ10年の変化は本当に目まぐるしい。
人類が狩猟生活から稲作を始めるまで、何万年もかかっているというのに、全くどうなっているのやら。
ことさら、生成系AIを使った表現を嗜むつもりは今はない。
自分の表現を薄めたくないからだ。
自分の言葉で、自分の絵で、なるべく純度高く、自分の熱を伝えたい。
仮に、生成系AIを使用して、ものの数秒でクオリティの爆高い絵を仕上げることができても、その中に含まれている自分は微々たるもで、例えばおにぎりを生成系AIで作った作品とするなら、その中に含まれている自分はおそらく具程度である。
今は、描きたいものがあるからそいう氣がないというだけであって、自分の表現を貫いた作品制作に区切りが付いたら、AIを使ったクリエイティブにも挑戦するのかもしれない。
わからない。
もしかしたらその頃には全人類が生成系AIを使って表現を楽しんでいるかもしれない。
多くの人がスマホを使って写真や動画の投稿を楽しんでいるように、誰もが手軽に長編映画を作って投稿している未来が待っているのかもしれない。
それはそれで楽しそうである。
好きを見失いたくない。
時代に振り回されて、脳を支配されて、耳障りのいい言葉や楽な手法に惑わされて、自分の好きを見失いたくないのである。
どれだけ世の中が変化しようと、自分の中にあるものを大切にして生きていきたい。
苦節十余年、ようやく絵が上手くなってなってきたのだから、まずは今の自分を楽しむとする。
なんだかんだ、描く作業が楽しいのである。
しっかりと地に足をつけて、自分が熱を注げる作品づくりをコツコツとやっていく所存である。
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