「自分は悪いやつだ」という思い込みの縄を解いた言葉
氣がつけば、タイムラインを誰かの応援で埋め尽くしてる。
まるで自分を隠すように。
ここ一年ほど、自分を責める日々が続いている。
ぼくは大した人間じゃない。
他人に誇れないようなことをいくつもしてきた。
“自分は責められるべき人間である。”
そんな感覚が、心から離れない。
自分のやることは取るに足らない。むしろ、誰かにとっては害悪でしかない。
これまでにたくさんの批判を受けてきて、人を傷つけてきて、そのことを強く実感している。
だから自分を隠したがる。
ぼくのやること全てが、批判の対象だから。
そうはいっても、隠せるはずなどないのだが。
自分にとっては、当たり前にやったことだから。
対して、自分がしてしまったこと、間違ってしまったことがあれば、過剰に自分を責め立てる。
自分は悪い人間だと、執拗に追い込む。
この一年、どれだけ感謝の言葉をいただいただろう。友人知人からはもちろん、通りすがりの人からも、ずいぶんといただいた氣がする。
でも、まともに受け止めた言葉はほとんどない。
他人から感謝されても、心朗らかになどならない。
自分はできること、したいと思ったことをただやっただけ。
当たり前にやっただけ。
謙遜とも違う。感謝の言葉など、受け取るに値しない。
だって、自分は悪いやつだから。
これまでに多くの人から責められた。多くの人を傷つけた。
顔も名前も知らない誰かから。顔も名前も知らない誰かを。
ぼくは感謝の言葉を受け取るに値しない、最低な人間だ。
そうして生きて一年、いい加減、苦しくなった。
感情のバランスが、悪すぎる。
ぼくだって、生きていかなきゃいけない。
やりたいことをやっていかなきゃいけない。
前に進んでいかなきゃいけない。
瀬戸際に立たされて氣づいたのは、
負の感情が邪魔をしているということ。
過剰に自分を責め立てる心が、前に進む邪魔をする。
進ために必要なもの、受け取らないといけないものを、
素直に受け取ることができない。
どうしてこうなってしまったのだろう。
いつの間にか、判断をしていた。
自分は悪いやつだ。
という判断。
その判断が自分を苦しめてきたことにようやく氣がついた。
確かにぼくは、人を傷つけてきた。
誰かにとって、確実に悪い存在であった。
けれど、それ以上にきっと、
誰かの心に優しくもあったはずだ。
おそらくだけど、誰かにとっては良い存在でもあったのだ。
実際に、感謝の言葉はたくさんいただいてきたのだから。
昨日、“自分は悪いやつだ”という感情を手放してみた。
良い悪いで自分を判断するのをやめてみた。
自分は決していいやつじゃない。
けれど、別に悪いやつでもない。
そう思うことにした。
ほんの少しだけ、受け取るのが楽になった。
自分を出すのが楽になった。
だって、自分はどっちでもないのだ。
自分が何をしようが、何を言おうが、どっちでもない。
誰かにとっては良いだろうし、誰かにとっては悪いだろう。
自分にとっては、どっちでもない。
良いも悪いも、自分で縛ることじゃない。
受け取った相手が決めること。
ぼくは引き続き、やりたいことをやればいい。
氣が楽になった。
自分を見るのが楽になった。
他人を見るのも楽になった。
何をしてもどっちでもない。
だから、やりたいようにやるといい。
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