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お金を受け取るときに“申し訳ない”を抱かないために

お金をいただくことは悪いことではないという認識が身体に浸透しつつある。

昨日から、来月出版する書籍の予約注文を開始したのだが、早速ご注文をたくさんいただいている。自費出版ということで、値段は商業本よりも高めなのだが、それでも購入してくださる方がたくさんいらっしゃる。ご注文の通知が届く度に「ありがとうございます」と心の中で詠う。以前のぼくとはまるで違う氣持ちになっていることに驚いている。

以前は、お金をいただくことを“申し訳ないこと”と思っていた。自分の商品を買ってもらった際は、「ありがとう」よりも「申し訳ない」の氣持ちが強く出ていた。これまで出した電子書籍の値段は低めに設定していた。一冊を除いて全て500円以下で配信。中には100円で配信した書籍もある。当時から作品を売って食べていきたいと考えていたのに、振り返るとおかしな話である。

原因として大きいのは、納得のいく作品を発表できていなかったことだと思っている。当時の自分は、思い通りに作品を描けないことに随分と悩んでいた。4年はそうした日々を過ごしただろうか。そんな中、氣持ちを軽くして描いた作品を無料公開したところ、わずかに盛り上がった。

いくつかの作品が微々たる人氣を博したので電子書籍にまとめたのだが、値段をつけることにはとことん躊躇した。それらの内容は無料で公開したものをまとめたものに過ぎなかったし、そもそも、そこまで氣持ちを込めて描いていない。原稿と真剣に向き合っても雫一滴絞り出ない間に、息抜き程度に描いたもの。そういった作品ほど受けがいいのはなんとも皮肉な話だが。お金を受け取ることに対しての申し訳なさが拭えなかったのは、この氣持ちの部分が大きく影響していると思うのだ。

昨日予約を開始した本のご購入に対しては、「申し訳ない」が一切顔を出さない。この作品はとことん納得がいっている作品だ。10割とまではいかないものの、9割近くは。10年描いてきた中でいちばん氣持ちが込もっていると断言できる。だからだろうか、ご注文をいただく度に心で鳴るのが「ありがとう」ばかりなのは。

お金をいただくということに必要なのは、“納得”なのだと思う。自分の中で納得がいっているからその値段に設定できるし、その金額を受け取ることができるのだ。今回の書籍の値段は、「これ以上は受け取れない」というところに設定した。それ以上受け取るとおそらく、「申し訳ない」が顔を出してくるのだろう。

お金は「価値の対価」や「ありがとうの替わり」なんて言われるが、ぼくからすれば「身の丈」だなと思う。ただ受け取ることなどもちろんできないし、納得がいっていないと受け取っても氣持ちが悪い。自分の心に従って、自分に見合った分を素直にいただく。そのときの氣持ち一つで大きく変わってくる。まさに身の丈であるし、その積み重ねが財となるのだと思う。

難儀なことに、現代ではお金がないと創作活動を続けることが難しい。ぼくは自分の中にあるものを出し切ってから死にたいのだが、作り続けるためには、お金をいただき続けなければならない。氣持ち良くお金を受け取るためにも、今後も心血を注いで納得のいく作品を創り続ける所存だ。

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