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30才になったから、妊娠してみることにした。

わたしは30才になったから
妊娠してみることにした。

妊娠出産はめちゃくちゃリスキー。
そう思う女性は、少ないんだろうか。

わたしは20代のころに、友人を出産で亡くした。
日本ではもう起こらないはずの出来事で
友人を失った悲しさ、寂しさと共に
妊娠出産に対する、真っ黒な恐怖が生まれた。

出産時の母親の死は
限りなくゼロに近い確率であることは
頭ではわかっている。
でもゼロじゃない。
でもゼロじゃないんだと強烈に理解した。

友人のお葬式で
友人の父親が冗談紛れに
おい、起きろー!みんな来てるぞ!
と、友人に話しかけていた事。

恐らく生きていた中で1番盛れたであろう
友人の、成人式の前撮りの写真が
遺影に使われていたこと。
その遺影の中の友人があまりにも盛れてて
かわいくて、かわいくて、かわいくて悲しくて、
泣き崩れたこと。

今も思い出す。

今までお金や仕事を理由に
ずっと妊娠しないできたけれど
本当は死ぬのが怖いからだ。
自分の体が傷つき壊れることが怖いからだ。

でも
今、30才で妊娠しようと思ったのは
おじいちゃんのおかげ。

おじいちゃんは、わたしの29才の誕生日を目前に
本当に幸せな人生を終えた。
亡くなる直前にギリギリ間に合って
手を握った。
わたしだよーと言うと、朦朧としてるはずなのに
おじいちゃんは強く強く、手を握り返した。

この世を去るおじいちゃんとの
最後のコミュニケーションだった。

それから一度離れて
訃報をきいて
わんわん泣いて。
何度もおじいちゃんと呼んで。

おじいちゃんのお葬式は
淡々と進んでいったけれど
終始、親戚が集まっては挨拶をして
近況報告をしながらおじいちゃんの話をして
おじいちゃんを丁寧におくった。

多分まさにおじいちゃんか天国に昇る瞬間があって
認知症で状況がわからないはずのおばあちゃんが
おじいちゃーーん、行かないで。
と叫んだ。

こんなに取り乱すおばあちゃんは初めてで
わたしは、そうだよね、寂しいよねと思った。

おじいちゃんの棺に手紙を入れ、花を添え
心からのありがとうとだいすきを伝え
おじいちゃんは焼かれて。

わたしが抱えて運んだ骨壺は
おじいちゃんの体温がのこっているかのように
温かいものだった。

そうして家に帰ってお供えをして
笑顔のおじいちゃんの遺影が残って
おじいちゃんの生前の動画を見返してまた泣いて。


そんな、素敵なお葬式だった。

自分が死んでからの事を重ねた。
もし自分にも子供がいたら
こんな風に、最後にみんなに会えるような
お葬式にしてくれるんだろうか。

自分の死に、駆けつけてくれて
だいすきと言ってくれたりするのかな。
わたしだけじゃなくて
最愛の夫にも
そんな存在をのこせるのかな。

わたしは
家族や子供っていいなと、
おじいちゃんのお葬式で
心から感じたのでした。

友人のせいで怖くなって諦めるなんて
友人のせいにして
自分の将来を決めるのは
友人にあまりに失礼だよ。
子供がいて良かったよ。
強い繋がりの人間がいることは
何よりも心強いんだよ。

そう、おじいちゃんが
わたしの背中を押してくれた。


そんな理由でわたしは妊娠しようと思う。
30才になった今、新しい階段を上がる。
初めてだし、こわいけど。
その何倍も得られるものがある。

夫となら乗り越えられる。
わたしは世界でいちばんの
幸せな女性だ。

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