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SHIBUYA TSUTAYAのこと

2010年ごろのできごとです


何者かになりたい人たちの巣窟・SHIBUYA TSUTAYA

大学を卒業した直後、20代の前半はよく映画を観た。年間50回以上映画館に足を運んだし、100本以上レンタルした。

当時は「金持ちよりも高身長よりも高学歴よりも、たくさん映画を観て本を読んでいるヤツが偉い」と思っていたからだ。
文字通り寝る間を惜しんで本を読み、映画を観て、小劇場やライブハウスに足を運び、その資金をアルバイトで稼いでいた。

アルバイト先のSHIBUYA TSUTAYAの従業員の多くは何者かになろうと下積みをしていた。(今は知らないが)

俳優、ミュージシャン、ダンサー、映像作家、映画プロデューサー、ライター、ファッションデザイナー……。
舞台に出演するため長期休暇を取る人もいたし、映画を作る資金を集めたらサッと辞める人もいた。自身が出演したダンス公演のDVDを自らレジ打ちする人もいた。その中にはもちろん、ただなんとなくフリーターをしている人もいて、アマガヤさんはそういう人だった(と、最初は思っていた)。

私より4歳年上で、休憩時間が一緒になると働き始めたばかりの私に他の従業員のことや仕事のことを冗談まじりで教えてくれるアニキ的存在だった。

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おまえバカにしてんだろ?

ある日の休憩時間、アマガヤさんと映画の話をしていたときの話。

「アマガヤさん、この前めっちゃおもしろい映画観たんですよ」
「へぇーどんなやつ?」
「日芸の卒業制作で、『東京』というタイトルなんすけど...」
「おい、おまえバカにしてんだろ?」
「えっ?」
「誰に聞いたんだよ! 言えよ!」
「すみません、何のことかわからないです...」

センター街沿いの喫煙所で、いつもは通りの喧騒がうるさくてしかたないのだが、あたりが静まった気がした。
何のことかさっぱりわからなかった。

「早く言えよ!」
「誰にも聞いてないです。何のことかわかりません、、」

ややあって、いぶかる視線が解けた。


「おまえ、、本当に知らないで観たの? あの映画を?」
「知らないって、何をですか?」
「脚本書いたの、俺なんだよ」
「えー!! アマガヤさん、映画作ってたんですか?」
「一本だけな。あれは監督が高校の時の友達だったんだよ。」
「スゴくおもしろかったですよ、本当に。なんだかロスト・イン・トランスレーションみたいで」
「あ、わかった? あのとき結構意識したんだよ。楽しかったなあ」
「もう映画はつくらないんですか?」
「どうかなーちょっとわかんねぇや」

それからほどなくして、アマガヤはさんはアルバイトを辞めた。水道工事の仕事をはじめたらしいと噂で聞いた。

「東京には夢も希望も絶望も、全部詰まっている」

ときどき、あのときSHIBUYA TSUTAYAで一緒に働いていて、「何者か」になった人はいるのだろうかと、検索をする。

映画監督になった人もいるし、地元に帰った人もいるし、どこかにいなくなってしまった人もいる。
かくいう私も、何者かになることのないまま東京を出て福岡に移住した。

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「東京」の中で、10年経った今でも覚えているセリフがある。

「東京には夢も希望も絶望も、全部詰まっている」

アマガヤさんの名前を検索しても、何も出てこない。


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